散日拾遺

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上和下睦 夫唱婦隨 ~ 千字文 042/大西巨人のこと

2014-03-13 22:10:38 | 日記
2014年3月13日(木)

○ 上和下睦 夫唱婦隨

 上の者が温和であれば、下のものは仲良くなる。

 ・・・そう簡単にいきますか、と反論もあるところながら、実は考えてみる意味がある。医学部卒業直前だったと思うが、一足先に医者になった先輩女性が卓見を披露した。
 医局員はおしなべて教授に似る。それも、非常によく似るというのである。
 教授が短気だと医局員も短気になり、教授が尊大なら医局員も尊大になる。驚くぐらい似るのだと。
 むろん、無意識のうちに真似をしているのだ。同一化 identification という機制の強力なことは、古代中国も現代日本も変わりはしない。上位者との同一化は、繰り返し言及してきた「攻撃者との同一化」の亜型として、いっそう普遍的に観察される。上にそそり立つ権威・権力が強大であるほど、同一化の浸透力も強く深くなるのは無論である。
 そのような意味で、上に立つ者の責任は今日あらためて強調されて良い。僕らのように特段「上に立つ」位置にないものでも、診察室内での患者に対する影響力、そして家庭における年少者への影響力については、よくよく自覚を要するだろう。

 夫唱婦随のほうは、今時コメントのしようもないかと思ったが、李注を読んでこれまた考えた。
 「夫が正しいことを行えば、妻は必ず夫に従う。」
 とある。「従うべし」というススメでは(少なくとも李注の解釈は)ないらしい。
 そのように取るなら、これにも「上和下睦」に類する注がつけられる。
 さらに一歩を進め、配偶者が(もはや「妻が」とは言わない)自分の意に沿わない行動をとる場合、その原因が自分の側にあるのではないか(相手が従わないのは、自分が正しくないからではあるまいか)と考えることは、人間関係における智恵のはじめと言えるかもしれない。

***

 昨12日、作家・大西巨人が他界した。満97歳だった。

 この人の名前について、二つの記憶がある。
 最初は彼自身のことではなく子息・大西赤人氏のこと、というより父子セットとしての鮮烈なニュースである。
 大西赤人は中学を卒業した年に『善人は若死にをする』という創作集を刊行し、ちょっとした社会的事件になった。1971年のことで、僕は彼の一学年下の中3だったから、印象にも強かったのである。
 わざわざ「中学を卒業した年に」と書いたのは、彼の高校受験をめぐっていわゆる「浦高事件」が起きたからだ。Wiki から拝借すれば、事実経過はあらまし以下のようである。

 1971年、大西は埼玉県立浦和高等学校の入学試験を受験した。先天性の特異体質(重度の血友病)という障害を持っていたため、父巨人が浦和高等学校の校長から「身体的条件は、まったく入学拒否理由ではあり得ない」との言質を取り付けた上での受験だったが、入試の結果は不合格だった。浦高側は、筆記試験における大西の成績が優に合格圏内に達していたことを認めつつも、内申書における実技科目の評点が劣っていたことを不合格の理由として説明した(実技科目の授業に出席できなかったのは血友病のためである)。この対応に抗議した大西父子は、1973年3月、埼玉県教育委員会ならびに浦高の両当局者を公務員職権濫用罪と涜職罪と文書偽造罪の容疑で刑事告訴。これに対して1974年1月、浦和地方検察庁は不起訴処分とすることを決定。大西側による浦和地方裁判所への付審判請求も、1974年2月に棄却となった。1974年3月6日、大西側は東京高等裁判所へ抗告するも再び棄却となる。続いて1974年3月27日、大西側は最高裁判所へ特別抗告をおこなったが、1974年5月2日、やはり棄却となった。

 この通りだとするなら、その時代について大いに考えさせられる事件である。刑事裁判の判決の妥当性はとりあえず置くとしても、一受験生に対する処遇として、今日の目からすれば不当きわまりない。当時のマスコミがどういう扱い方をしたか残念ながら覚えないが、大西の父・巨人が『神聖喜劇』という大作の著者であり、極端な遅筆・寡作の作家であることは記憶に残った。

***

 次の「事件」は、それから15年ほども後のことだ。
 血友病にはAとBがあるが、いずれも遺伝疾患である。大西巨人は上にも書いたとおり遅筆の作家だけに稼ぎははかばかしくなく、少なくともある時期に福祉に頼って生計を立てていた(らしい)。
 そのことを、今も健在のある高名な評論家が名指しで攻撃したのである。
 要は「遺伝疾患の保因者であると知りながら子を為し、しかも自分では養えずに福祉の世話になっているのはけしからん」という趣旨だったと記憶する。政治的思惑も絡んでいたのだろう、大西氏が共産党の支持者であるのに対し、非難する評論家は正反対の主張をもっていた。ともかく、記事を読んで胸が悪くなる思いだった。
 むろん大西氏は真っ向から反論し、新聞(たぶん朝日)には当時一流と目された生物学者・岡田節人(おかだ・ときんど)氏(1927年生まれ、健在)のコメントが載った。「非難する側に、遺伝疾患についての誤解がある」という趣旨だったと記憶する。
 こちらの「事件」は「時代について考えさせられる」などということで済むかどうか。今や出生前診断の「進歩」によって、この種の軋轢が技術的に回避されてしまう時代である。軋轢自体は解消されても解決されず、ただ棚上げになっているだけだ。技術の「進歩」必ずしも社会や人心の「進歩」を意味しない。既にあきあきするほど繰り返して書いたことだが。

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 新聞の初報はこれらの「事件」には言及せず、ただ『神聖喜劇』という主著についてのみ、高い評価を記している。この本は書店で手に取ってみたことがあるが、読むには至らなかった。
 この際、読んでみようか、しんどそうだけれど。