散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

薬の勉強会 20回め

2014-06-03 22:53:13 | 日記
2014年6月3日(火)

 夜、薬の勉強会。
 イザベルさんとクチブエ君の尽力で回を重ね、今夜で20回め。
 ここ何回かは例の「アシュトン・マニュアル」を輪読して1時間あまり、その後はもちよりの話題で自由に語らう。渋谷の会議室の2時間はすぐに過ぎる。

 初めのうちは「塾」のコアメンバーだけだったのが、いつの頃からか友達の友達が一人ふたりと呼ばれてきて、毎回7~8人も集まるようになった。職種の多彩なのが殊の外うれしい。桜美林の卒業生が突然現れたりする。健心一期生のKKさんが臨月のお腹を抱えて出席するというので、来たらどうしようかと思っていたが、さすがに常識が働いて断念したらしい。

 「精神科薬物療法の勉強会」と銘打っていながら、話は決してそれで終わらない。それでいいのだ。
 「薬物療法とは、薬という高度の象徴性をもつツールを用いた心理療法の一種である」というのが年来の持論、それが本当なら薬物療法の学びも心の問題へ広がって当然だ。
 「持論」を文字にする機会は、おそらくあるまいと思っていたが、一度は書いておかないといけないかな。
 こんなアタリマエのこと、誰かが書くだろうと眺めていても、案外目につかない。相も変わらず、薬物療法と精神療法の二律背反みたいな話ばかりだ。ATスプリットはさすがに流行らなくなったか。あれは根本的に無理があるんだが、誰か指摘しているだろうか。

 今夜はイザベルさんが大西秀樹さんの新聞切り抜きをもってきて、それが対ガン協会の面々の発言につながった。イザベルさんの切り抜きは数か月前の日経だが、朝日はよく似た記事をちょうど今日の朝刊に掲載した。
 また起きたよ、「偶然の一致」というやつが。
 神社に風も吹くことだろう。

神社の鏡 付記

2014-06-03 07:52:37 | 日記
2014年6月3日(火)

 前項のこと、決してMさんの頭がおかしいのではなく、ある種の感受性が並み外れて鋭いんだよね。
 そしてこの種の「感受性」には、神経科学的な基礎があるはずだ。

 いずれ脳科学のテーマにもなるだろうと確信するが、さしあたり科学よりも、科学を補完するもうひとつの「知」の方向から受け止めたいことだと思う。引用許可に感謝しつつ。

 神社の中心部分がしばしば空虚であり、本尊の代わりに鏡が置かれていることには、何か非常に触発されるものがある。
 むろん祀られているものはあるわけで、三輪山であったり巨石であったり、樹齢三千年の杉の大木であったり、東郷平八郎であったりするのだが、そのように祀られているものは「本尊」ではない。

 本尊 ~ 真に尊いものは何か。
 その理解ひとつで、信心の質が自ずと明らかになる。
 その結果に天から地までの開きがある。

神社の鏡

2014-06-03 07:15:23 | 日記
2014年6月3日(火)

 映し出すといえば、1か月ほど前に面白い話を聞いた。
 聞かせてくれたのは以前に書いたMさんという女性である。
 (「杉並から松山へ」2014-04-19)

 許可をもらったので、もらったメールから抜粋・転記する。
 「映す」といえば「鏡」、その連想が働いたものだ。
 感謝する能力の有無と程度が人生の予後を分けると書いた、そのことを裏書きしてくれてもいる。

【第1信】

 先日は4年ぶりにお会い出来て、また元気な姿を見せることができて嬉しかったです。
 先生もお元気そうで全然変わっていなくて、安心しました。

 こちらは本当にすっかり落ち着き、昔の苦しい感覚が戻ることもほとんどありません。
 一言で表すと、「つきものが落ちた」という感じ。
 それと苦しい経験が多すぎたので、今、日常で何かの壁にあたってもそれほど辛いとか感じることもなく、
変な耐性がついたみたい(笑)

 「因果応報」とか「自分で蒔いた種を自分で刈り取る」という言葉は本当に正しいのだと思わざるを得ません。
 かわいそうな人生を歩んできたとしても、自分が幸せでないから・恵まれていないからと言って人を不幸にしたり
悲しませたりしてはいけないと思います。

***

 ここからはちょっと変な?話になるのですが・・・

 いっとき職場でのいじめなどがあって、もう頭の中が憎しみや苦しみで渦巻いてしまった時期があったんです。
 そんな自分が苦しく、すごく恐怖でした。

 そんな時、神社に行くようになったんです。
 「会社のあいつがどうにかなればいいのに!」みたいなことを祈るために時々通っていました。
 ある日、そういう悪いお祈りをした後に、ふと「境内の中って何があるんだろ?」と思って覗いてみたらそこに自分を映す鏡があったんです。
 神社のことをよく知らなかったので、てっきり仏様とか阿弥陀様の像が入ってるんだと思っていました。でも実際には鏡があった。
 その時、電光石火のごとく頭のなかに「人を呪えば自分に全て跳ね返る」というメッセージがさーっと入ってきました。
 今まで自分がしてきたことは自分を苦しめる行為だったとなぜか突然理解できた気がしたんです。
 何か宗教などやっていたわけではないんですけど。

 そこからめきめきと思考が明るくなり、自分も落ち着いてきたと思います。
 苦しめられた相手のことも、少しは落ち着いて考えられるようになり、恨んだりすることよりも
許すこと、受け入れることをしていくことで自分が変われると思いました。
 今は、あの人は身をもって、私にそういうことを教えてくれた人、くらいの感覚というか立ち位置なので、
会いたいとは思わないけれど、だからといって憎んでいるわけではありません。

 生活から憎しみや呪いがなくなるだけで、きっとほとんどのうつ病は治るような気がします。
 人の幸せを願える人にはそういうものが返ってくるのだし、呪っていればそれが違う形で自分に戻ってくる・・・これは身をもって実感しています。

 こういう不思議なことが重なってから、私は今まで苦しみや悲しみだけを外に表現して生きてきたから、
これから感謝の気持ちをもっと表にだして行こうと思ったときに、先生のことが思い浮かんだんです。
いろいろと力になっていただいたのに、お礼も言えてないなと。

 将来、私がもっと落ち着いてしっかりしてきたら、私と同じような困っている子供たちの
手助けができるような人間になれたらいいなと思っています。


【第2信】

 お返事が遅くなってしまい、すみません。

 神社のお話は使っていただいてかまいません。
結構、まわりでは神社に通う=おかしい人みたいに思われることが多いので、あまり話すことがないのですが、
神社に通ってると何か不思議なことが結構起こります。

 何か見えるとかそういうものはないですが、「気」みたいなものは大いに感じます。
あと突風が吹いたり、雲が晴れたりすることの割合が神社内にいると通常よりよく起こります。

 俗にいう「気あたり」というのもよく起こすのですが、これは精神医学的に何か証明されているのでしょうか?
 非常に興味深いです。

 合わない神社などいくと、とある場所より先に進めなくなるような体調不良(大体は激しい頭痛とだるさ)を起こしたり、
神社の帰りにとーっても深く眠りこんでしまったり。(通常の睡眠欲よりもっと強いもので抵抗できません)
ひどい時は、何の前触れもなく帰り道に40度近い高熱を出して死ぬかと思いました。

 などなどいろいろなエピソードがありますが、自分の頭がおかしくて起こしている現象じゃないことを祈ります(笑)