散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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落下傘 補遺 ~ 暴風雨時の配慮とマナー

2014-06-05 09:44:35 | 日記
2014年6月5日(木)

 Mさんからソッコー解説。

 「落下傘」ね、
 風が強くて、柄を握りしめていると私自身が傘について行きそうで、同時に傘は上下が逆になりました。手を離していたら、傘は下へ落ちたでしょう。
 ちょうど自転車で通りがかった人が「その傘、あむないから、たたんだ方が良いですよ、あむないから、もう使えないけどね。」
 でも左手にハンドルとひきづなを持ち、右手に傘を持っていたので、思うようにいきません。
 「今たためないです」と言ったら、「たたんであげる」と言って自転車から下りて、たたんでくれました。
 お礼を言って別れたのですがありがたかったです。

***

 震災のあった2011年、秋にはものすごい台風が来て、放送大学の帰りに地下鉄が止まった。
 白金高輪から目黒方向に歩いたが、上も下も分からない凄まじい風雨、さながらプールの中で特大の扇風機に煽られている感じ。
 こういう時は皆同じで、もうヤケクソである。綺麗に着飾っていたのであろうOL風の3人連れが、シンクロ選手のなれの果てみたいになって声を振り絞り、
 「すぅ・み・まっせん!チカテツ、う・ご・い・て・ました~??」
 「ま・だ、とうぶん、ムリ・ムリ!」

 もちろん傘なんか役に立たないが、ここで人倫が問われるのである。
 使えなくなった傘を手から放せば、直ちに強風に吹き飛ばされて凶器になる。これはほんとに危ない。
 壊れた傘でも持って歩くか、せめて畳んでから物陰に捨てるのがこの際の「マナー」だ。けれども中には腹立たしげに路傍に(というより空中に)投げ捨て、それがどれほどの危険と恐怖を生むか顧みない御仁もある。「バカヤロー!」の声も暴風にちぎられ、いっそ痛快なぐらい。
 風で一瞬体が浮いたときは、心底怖かったけれどね。

雨と風/卒論ゼミと質問箱

2014-06-05 07:17:22 | 日記
2014年6月5日(木)

 四国は豪雨と聞いてさっそく家人が電話するが、松山は今のところ「どうってことはない」様子。雨は高知方面らしい。
 四国は小さな島だが、西日本最高峰の石鎚山(1982m)を中心とする峻険な山並みの裾に平地がぐるりとへばりつき、北は瀬戸内海、南は太平洋に面して地形も気象も多様、何度か書いたように四国四県の風土の違い、さらには細長い愛媛県内のバラエティの大きさも頷かれる。
 家の周囲は、今年はタケノコが全くダメで、代わりに豆類が予想外の豊作だと。決して思ったようにはいかないが、思いがけない恵みも必ずある。自己愛にヤスリをかけるに、自然は何よりの学校なのだ。

 昨日Mさんが小豆島の風の強さを知らせてきた。
 「港のバス停から高速艇の待合室までは、距離はそんなにないのに、あっという間に傘が落下傘になったことがある」と。
 「傘が落下傘になる」は初めて聞いた面白い表現、笑った後で、正確にはどういうことなんだろうと考えてしまった。
 裏返しになっちゃうことを言ったのかな、でも傘はそのままの形で落下傘になるよね・・・

 そういえば、メアリー・ポピンズが「東風と共に来たり、また去る」ということの意味が腑に落ちたのは、中学地理で西岸海洋性気候について教わってからだった。彼女の傘は高性能落下傘、落下するだけでなく舞い上がるのも自在だったっけ。



 昨日は卒論ゼミ。
 宮城・京都の遠来組を含む8名全員出席。昨年よりはおとなしい始まりに見えたが、会を追って各メンバーの存在感がせりあがってくる感じがする。皆、単なる勉強以上の何かを卒業研究に託している印象があり、そういうものはメンバー間を雷電の速さで往来し増幅するから、見ていて少々怖くなるぐらいである。月に一度の集まりではさぞ足りなかろうと懸念したこともあったが、このインパクトの強さでは月一回にとどめるのが良かろうと思われ、逆にその頻度だからこれだけ集中するのかとも考える。メンバーに必ず当事者が混じるのも当ゼミの特色で、「おかげで安定している」と聞いて安堵するのでもある。
 若手看護師の早期離職問題、グリーフケア、異文化間看護と「中立性」、働く者のメンタルヘルス、高齢者の歯科衛生、アルコール依存症とエピジェネティックス、統合失調症の最新動向など、こちらがお腹いっぱいになり、そして触発される。
 写真を載せたいのだけれど、これはしっかりガマンしておこう。

 帰宅してPCを開くと、大学の質問箱に学生からの質問が入っている。これまさに玉石混交、今回は「石」のほうで少々がっかりした。メールで簡単に質問できるのは、今どきあたりまえの「サービス」かもしれないが、僕は良いやり方とは思わない。アナクロのようだけれどね。
 人の成長とは何なのかということを、もう少し考えた方がいい。退行ではなく成熟を促進するようでありたいのだ。