2014年6月17日(火)
少し巻き戻して先の土日、2014年6月14日~15日に、日本TA協会の第27回大会が四谷の桜美林大学キャンパスで開催された。
これは実名でいいのだろう、桜美林の河合美子先生が今年の大会長で、僕に初日午前中の「基調講演」を委ねてくださった。
TA(交流分析)には実は少々思い出があったりするが、河合先生は御存知ないはずだ。素人の僕に何でといぶかりつつ、二つ返事でお引き受けしたのが半年ほど前の話。
河合先生は準備に遺漏のない方である。2002年から2008年まで桜美林で御一緒して、僕の長も短もよく御承知だ。それで指名してくださるなら間違いはあり得ない。言われた通り、思うところを自由に語れば良いに違いない。
で、悦に入って準備をするうち、パワポ資料作りが面白いのでつい自己目的化してしまい、ザリガニ大師の喝を頂戴したわけなのだった。
(再掲)
(追加、伝染(うつ)るんです・・・)
http://gundamzplus.plme.net/photo/index_7.html
http://pict.corich.jp/book_detail.php?book_id=1275
それでもなかなかツボから抜け出せず、夢中で考えていたら当日の明け方、3時半を回っている!
こんなの、何十年ぶりだろう・・・
大会テーマは「TAの今とこれから ~ 伝える・育てる」とある。放っておいては伝わらない・育たないから、しっかりと伝えよう・育てよう、そんな意気込みが伝わってくる。
外部スピーカーとしては、一ひねりしてみたくなった。「心はそもそも伝わるようにできており、人は放っておいても育つようにできている」と考えたらどうか。
で、レジュメをこんな風に始めてみる。
心は伝わる、ただし伝えたいようには伝わらない。
子どもは育つ、ただし育てたいようには育たない。
これを基本線にして、情動の伝染(それでザリガニを引き合いに出したのね、あと猫ちゃんと江沢民氏と)、モデリングと同一化、言葉の二義性など、好き勝手に話した。
言葉の二義性というのは準備していてふと気づいたことで、僕らは言葉を「伝えるための道具」と考えているが、実際には「伝わることを阻止する道具」として働くことがしばしばであり、時にはこれこそが言葉の主要な機能となる、そんな風に論を立てたら面白かろうと思ったのだ。
二日目に顔を出したとき、ある参加者から「昨日のこの話は、どこかに書いていらっしゃらないんですか?」と訊かれて、嬉しくもあり恥ずかしくもあり。いろんなことを考えながら、ちっとも書いていない。確かに書いてみても良いことかもしれない。
***
1時間半ほどが楽しく過ぎ、階段教室に集まった50人余りの参加者は、しっかり聞き入ってくれている。話を終えた瞬間から夕方のワインパーティーまで、皆から溢れるほどの反応をもらった。
河合先生は僕を「ストロークの達人」と紹介してくださり、これはTAの集まりにおいては最高の賛辞に相違ない。しかし今日に関しては、自分が発したストロークに対して確かに100倍の報いがあった。参加者たちこそ達人ぞろいだ。それはそうか、深澤道子先生を同一化の目あてとしてきた人々だもの。
会場近くで蕎麦を食べ、総会の時間帯は四ツ谷駅沿いの坂道を下った公園のベンチで休憩した。気温は高いがカラっとして、ネムノキの大木の下を涼しい風が抜ける。『百年の孤独』を読んではウタタ寝し、目が覚めると袖に5mmほどのちびカマキリが止まっている。
緑樹 陰濃(こまや)かにして夏日長し
池水も薔薇もないが、実に快い夏の日だ。
***
午後のシンポジウムが充実している。
倉成さんの再決断療法の話、門本さんの『日本のTA、地球ののTA』、それに圧巻は福島で被災し、以来今日まで浜通りから少しも動かずメンタルケアを続けている須藤(すとう)康宏さんのスピーチ。
「フクシマ」とカタカナ書きされることへの違和感、「難民」としての自己規定、「わたしは何歳まで生きられますか?」という小5の子どもの問、そして若者たちが語る「地産地消」(配偶者選択のことである)・・・のっけから引き込まれずにはいられない。
一瞬の躊躇を合間にはさみつつ、彼は節目ごとに「留まる」ことを選択し続けてきた。その中で何度か、自分自身の「死」を意識し、予想した。
「午前中の話を伺っていて、ああ自分はこの3年間、否認と躁的防衛の中にあったのだと感じました」と須藤さん。
それは、それだけは違いますよ、
あなたはいつも現実に直面し、現実に必要とされる役割を果たすため、現実的な努力を重ねてきたのだ。死の恐れをあえて押し切り活動し続けた決断について言うのなら、それは郷土への愛と患者に対する責任が選ばせたこと、あなたの死生観の渾身の発露であって、そこに病的な要素などかけらもない。
これが、勇気というものだ。
***
何重にも授かった嬉しさのトドメは、沖縄からの参加者がとっても多かったこと。どうしたんだろうというぐらい。
那覇でフクシマ(ここ、敢えてカタカナ書きする)について考えたことなど思い出し、ワインパーティーではついハジけてしまった。
どうも今年は僕にとって、沖縄の年であるらしい。こういうことを偶然とは呼ばない。
(TA風味の御褒美)
少し巻き戻して先の土日、2014年6月14日~15日に、日本TA協会の第27回大会が四谷の桜美林大学キャンパスで開催された。
これは実名でいいのだろう、桜美林の河合美子先生が今年の大会長で、僕に初日午前中の「基調講演」を委ねてくださった。
TA(交流分析)には実は少々思い出があったりするが、河合先生は御存知ないはずだ。素人の僕に何でといぶかりつつ、二つ返事でお引き受けしたのが半年ほど前の話。
河合先生は準備に遺漏のない方である。2002年から2008年まで桜美林で御一緒して、僕の長も短もよく御承知だ。それで指名してくださるなら間違いはあり得ない。言われた通り、思うところを自由に語れば良いに違いない。
で、悦に入って準備をするうち、パワポ資料作りが面白いのでつい自己目的化してしまい、ザリガニ大師の喝を頂戴したわけなのだった。
(再掲)
(追加、伝染(うつ)るんです・・・)
http://gundamzplus.plme.net/photo/index_7.html
http://pict.corich.jp/book_detail.php?book_id=1275
それでもなかなかツボから抜け出せず、夢中で考えていたら当日の明け方、3時半を回っている!
こんなの、何十年ぶりだろう・・・
大会テーマは「TAの今とこれから ~ 伝える・育てる」とある。放っておいては伝わらない・育たないから、しっかりと伝えよう・育てよう、そんな意気込みが伝わってくる。
外部スピーカーとしては、一ひねりしてみたくなった。「心はそもそも伝わるようにできており、人は放っておいても育つようにできている」と考えたらどうか。
で、レジュメをこんな風に始めてみる。
心は伝わる、ただし伝えたいようには伝わらない。
子どもは育つ、ただし育てたいようには育たない。
これを基本線にして、情動の伝染(それでザリガニを引き合いに出したのね、あと猫ちゃんと江沢民氏と)、モデリングと同一化、言葉の二義性など、好き勝手に話した。
言葉の二義性というのは準備していてふと気づいたことで、僕らは言葉を「伝えるための道具」と考えているが、実際には「伝わることを阻止する道具」として働くことがしばしばであり、時にはこれこそが言葉の主要な機能となる、そんな風に論を立てたら面白かろうと思ったのだ。
二日目に顔を出したとき、ある参加者から「昨日のこの話は、どこかに書いていらっしゃらないんですか?」と訊かれて、嬉しくもあり恥ずかしくもあり。いろんなことを考えながら、ちっとも書いていない。確かに書いてみても良いことかもしれない。
***
1時間半ほどが楽しく過ぎ、階段教室に集まった50人余りの参加者は、しっかり聞き入ってくれている。話を終えた瞬間から夕方のワインパーティーまで、皆から溢れるほどの反応をもらった。
河合先生は僕を「ストロークの達人」と紹介してくださり、これはTAの集まりにおいては最高の賛辞に相違ない。しかし今日に関しては、自分が発したストロークに対して確かに100倍の報いがあった。参加者たちこそ達人ぞろいだ。それはそうか、深澤道子先生を同一化の目あてとしてきた人々だもの。
会場近くで蕎麦を食べ、総会の時間帯は四ツ谷駅沿いの坂道を下った公園のベンチで休憩した。気温は高いがカラっとして、ネムノキの大木の下を涼しい風が抜ける。『百年の孤独』を読んではウタタ寝し、目が覚めると袖に5mmほどのちびカマキリが止まっている。
緑樹 陰濃(こまや)かにして夏日長し
池水も薔薇もないが、実に快い夏の日だ。
***
午後のシンポジウムが充実している。
倉成さんの再決断療法の話、門本さんの『日本のTA、地球ののTA』、それに圧巻は福島で被災し、以来今日まで浜通りから少しも動かずメンタルケアを続けている須藤(すとう)康宏さんのスピーチ。
「フクシマ」とカタカナ書きされることへの違和感、「難民」としての自己規定、「わたしは何歳まで生きられますか?」という小5の子どもの問、そして若者たちが語る「地産地消」(配偶者選択のことである)・・・のっけから引き込まれずにはいられない。
一瞬の躊躇を合間にはさみつつ、彼は節目ごとに「留まる」ことを選択し続けてきた。その中で何度か、自分自身の「死」を意識し、予想した。
「午前中の話を伺っていて、ああ自分はこの3年間、否認と躁的防衛の中にあったのだと感じました」と須藤さん。
それは、それだけは違いますよ、
あなたはいつも現実に直面し、現実に必要とされる役割を果たすため、現実的な努力を重ねてきたのだ。死の恐れをあえて押し切り活動し続けた決断について言うのなら、それは郷土への愛と患者に対する責任が選ばせたこと、あなたの死生観の渾身の発露であって、そこに病的な要素などかけらもない。
これが、勇気というものだ。
***
何重にも授かった嬉しさのトドメは、沖縄からの参加者がとっても多かったこと。どうしたんだろうというぐらい。
那覇でフクシマ(ここ、敢えてカタカナ書きする)について考えたことなど思い出し、ワインパーティーではついハジけてしまった。
どうも今年は僕にとって、沖縄の年であるらしい。こういうことを偶然とは呼ばない。
(TA風味の御褒美)