散日拾遺

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「科学」という言葉/ドイツ人、先を行く

2014-06-28 10:02:05 | 日記
2014年6月26日(木)
 村上講演、付記。
 フロアからの質問に関連して、science を科学と訳したのは、どこの誰かということが話題になった。
 「私もかなり調べたんですが、これはよく分かりません、定説がありません」と、村上氏がきっぱりおっしゃったのが意外だった。
 いつも思うのだが、ヨーロッパ由来の述語に漢字を当てて漢字文化圏で使えるようにしたのは、先人らのたいへんな偉業である。中国人の功績もかなりあるが、幕末あたりからの日本の知識人の貢献は目覚ましい。単独個人の仕事ではなく多くの人々が関わっており、たとえば「哲学」は西周(にし・あまね)の造語であり、主要な精神医学用語は呉秀三に依るといった具合に、大体の言葉は出自の見当がついている。それらの多くが中国・朝鮮にも輸出され用いられた。恩返しというものだ。
 そんな中で、「科学」が由来不明とは知らなかった。手許の『翻訳語成立事情』 ~ 柳父章(やなぶ・あきら)氏の名著! ~ を見ても、なるほど「社会」「自然」「権利」「自由」などはあるのに、「科学」は見えない。今度訊ねてみようかな。

 ちなみにドイツ語の Wissenschaft は近代ドイツ人の苦心の産物で、僕らが science を科学と変換するのと同様の作業を彼らも余儀なくされたのだ。ただし、よく似た作業をしているようでも、精神医学に関してはドイツ人の方がだいぶ先を行っている。単に用語を充てるだけでなく、自分らの言葉で自前の精神病理学を創りだす努力をした点で先行しているのだ。
 ヤスパースの「自我障害」が、ego- ではなく ich-stoerung であることを、日本人学徒はたいがい見落としている。「自我障害」ではなく、「私(わたくし)障害」とでも訳す方が適切であろう。

 僕自身の関心事としては、「交感/副交感神経系」の「交感」をめぐる疑問がある。ひとつひとつ解いていかないと、あっという間に人生が終わってしまう。
 
 一寸の光陰、軽んずべからず・・・