2014年6月13日(金)
星田直彦さんからコメントをいただいた。
> 星田直彦です。
> ご紹介、ありがとうございました!
> http://tadahikostar.blog21.fc2.com/
『もちつもたれつ/カイロウドウケツ』という記事に対するもので、昨年11月14日の記事である。
こうして忘れた頃に御挨拶いただくのも楽しいものだ。
上記のURLは『雑学のソムリエ』というページのものである。星田さんは雑学の大家なんだね。
奈良にお住まいらしい。今度お訪ねしてみようかな。
***
池下和彦さんからメールをいただいた。
そのまま転載する。「ブラボー!」だ。
【産経抄】父の詩集 2014年6月13日 (産経新聞1面のコラム)
詩人の池下和彦さんが、私家版『母の詩集』を出したのは、平成9年だった。池下さんは、76歳で認知症を発症した母親を、ヘルパーの力を借りながら父親と5年半介護して、看取(みと)った。百か日の供養の気持ちを込めて発行した詩集は、以前コラムで紹介したことがある。
▼きのうの「朝の詩」に掲載された『記憶』という作品も、母を詠(うた)っている。81歳の作者は、節くれ立った母の手とそっくりになった、自分の手に驚いていた。父と母、どちらが詩の題材になっているのか。今年に入ってからの「朝の詩」を振り返ってみると、数で倍以上、母の圧勝である。
▼ところが「父の日」を前にして、池下さんから『父の詩集』(コールサック社)が送られてきた。あとがきに「世に母の詩集は山ほどあります。くらべて父の詩集の景色は、さびしいといえるかもしれません」とある。
▼先立った妻に、朝な夕な線香を手向(たむ)けていた。そんな父との暮らしを描いた、日記のような作品が並ぶ。もちろん母も、ここかしこに登場する。実は、11年前に亡くなった父親について思うような詩がなかなか書けず、最近になってようやくまとまったという。
▼池下さんは、囲碁が得意だった父に何度も習おうとした。「父は困った顔で『簡単にはおしえられないことがわかった』とひとこと/ついに囲碁の『い』もわからなかったけれど/父におそわったひとことの真理」(『真理』)。
▼小欄の父も囲碁が好きだった。ある日、石を盤面の真ん中から斜めにつながるように置いていく、不思議な打ち方を始めた。5つ並んだところで、「勝った」と叫んだ。五目並べをしているつもりらしい。認知症を確信した瞬間だった。その父が亡くなって、もう1年たつ。
***
これを書いている今日は6月15日(日)、今年の父の日である。
先日の「コペルニクス的転回」を適用すれば、僕のほうこそ息子たちと神に感謝するのが、この日の正しい過ごし方ということになる。あ、もちろん連れ合いにもだ。
あともうひとつ、父のない子らに、天の父の特別の計らいがありますように。
星田直彦さんからコメントをいただいた。
> 星田直彦です。
> ご紹介、ありがとうございました!
> http://tadahikostar.blog21.fc2.com/
『もちつもたれつ/カイロウドウケツ』という記事に対するもので、昨年11月14日の記事である。
こうして忘れた頃に御挨拶いただくのも楽しいものだ。
上記のURLは『雑学のソムリエ』というページのものである。星田さんは雑学の大家なんだね。
奈良にお住まいらしい。今度お訪ねしてみようかな。
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池下和彦さんからメールをいただいた。
そのまま転載する。「ブラボー!」だ。
【産経抄】父の詩集 2014年6月13日 (産経新聞1面のコラム)
詩人の池下和彦さんが、私家版『母の詩集』を出したのは、平成9年だった。池下さんは、76歳で認知症を発症した母親を、ヘルパーの力を借りながら父親と5年半介護して、看取(みと)った。百か日の供養の気持ちを込めて発行した詩集は、以前コラムで紹介したことがある。
▼きのうの「朝の詩」に掲載された『記憶』という作品も、母を詠(うた)っている。81歳の作者は、節くれ立った母の手とそっくりになった、自分の手に驚いていた。父と母、どちらが詩の題材になっているのか。今年に入ってからの「朝の詩」を振り返ってみると、数で倍以上、母の圧勝である。
▼ところが「父の日」を前にして、池下さんから『父の詩集』(コールサック社)が送られてきた。あとがきに「世に母の詩集は山ほどあります。くらべて父の詩集の景色は、さびしいといえるかもしれません」とある。
▼先立った妻に、朝な夕な線香を手向(たむ)けていた。そんな父との暮らしを描いた、日記のような作品が並ぶ。もちろん母も、ここかしこに登場する。実は、11年前に亡くなった父親について思うような詩がなかなか書けず、最近になってようやくまとまったという。
▼池下さんは、囲碁が得意だった父に何度も習おうとした。「父は困った顔で『簡単にはおしえられないことがわかった』とひとこと/ついに囲碁の『い』もわからなかったけれど/父におそわったひとことの真理」(『真理』)。
▼小欄の父も囲碁が好きだった。ある日、石を盤面の真ん中から斜めにつながるように置いていく、不思議な打ち方を始めた。5つ並んだところで、「勝った」と叫んだ。五目並べをしているつもりらしい。認知症を確信した瞬間だった。その父が亡くなって、もう1年たつ。
***
これを書いている今日は6月15日(日)、今年の父の日である。
先日の「コペルニクス的転回」を適用すれば、僕のほうこそ息子たちと神に感謝するのが、この日の正しい過ごし方ということになる。あ、もちろん連れ合いにもだ。
あともうひとつ、父のない子らに、天の父の特別の計らいがありますように。