2016年10月1日(土)
載せたかったのはこっちの写真、翼の日の丸が溶け出して夕焼けになったような、『ソラリス』の一場面を見るような、覚えのない空だった。
窓にもたれながら読んでいたのは『宇治拾遺物語』で、同じ本でも読み返すたびに違う箇所に惹かれるのは珍しくもないこと、今回は32段の『柿の木に佛現ずること』に引っかかった。どちらかといえば地味な話で、延喜の代(西暦901-922)都の五条天神あたりに実のならない柿の大木があり、その樹上に仏が顕現するとの噂が広がり、人々こぞってこれを拝むことがあった。ところが時の右大臣がこれを不審に思い、人払いをした上で柿の木をじっと見守ったところ、初めは花を降らせ光を放っていたそのものが一時ほどで霊力を失い、しまいに「しわびて大なるくそとびの羽おれたる、土にまどひふためくを、童部どもよりて、うちころしてけり。おとどは、さればこそとて帰り給ぬ」というのである。
「まことの佛の末の世に出給べきにあらず」(=この末世にホンモノの仏の出現なさるはずがない)という右大臣の健全な判断力が称揚されるという落ちだが、これに注意を惹かれたのは小泉八雲の『常識』という作品と通底するテーマの故である。ただ、『柿の木』は愚かな凡俗の迷を教養ある右大臣が解くのに対し、『常識』では歴としたお坊さんが物の怪にたぶらかされるのを一介の猟師が救うという構図だから、ドラマ性も教訓的意義もここは八雲に軍配が上がる。芥川の流儀で八雲が『宇治拾遺』を翻案したというわけではあるまい。民俗に直接取材するルートを八雲はもっていたはずだ。そのカラクリを知る人は知っているのだろうが、僕には未知の楽しい謎である。
ちなみに今どきの若者らが罵り言葉でむやみに「クソ」を連発するのがオジサンとしては嘆かわしいのだが、いまいましげに「くそとび」と吐き捨てる『宇治拾遺』の筆法を見ると、これも本朝の伝統かなといささか考え直したりする。
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見えるかしら?虻(アブ)に刺されたのだ。蜂にはアメリカのもあわせ過去5~6回も刺されたが、虻は初めてである。栗の大木の下で身をかがめて草刈り機を操作している時、いきなり虻が貼りつき刺してきた。チクッとする感じは蚊のそれを何倍かに増強した感じで、それ自体はたいしたことはない。ただ、手で払ってもまたやってきて同じところにかじりつく。落ち着いて叩けば良いのだろうが、落ちついて叩くには寸秒の間合いが必要で、その間この大きなやつに食いつかれ続けているのはたまらない。なので慌てて払いのけ、相手はたやすく身をかわしてまたやってくる。結局、栗の木の下から場所を変えるまでこの繰り返しだった。
刺された痛みや腫れは蜂よりずっと軽く、痛みというより強い痒みである。とあるネット情報によれば蜂のようにギ酸を注入するわけではなく、蚊のように血液凝固を防ぐ液体を注入するわけでもなく、ただ囓られた部分の物理的な破損だけだというのだが、これは少々信じがたい。というのも、写真の通りの腫脹・発赤・痛がゆさが3日以上も続いたからで、何らかの物質による/に対する化学反応を想定しなければ理解し難いことである。
田舎に住めば経験するに違いないたかが虻の話を詳しく書いたのは、ちょっと気になることがあるからで。実はこの八月、父がやはり30年来初めて虻に刺されるということがあった。状況も同じく草刈りの最中だが、気の毒なのは父の場合、ちょうど蜂が近くに寄ってきてそちらに気を取られていたらしいのである。蜂を追いながらふと見ると虻が取り付いている。虻蜂取らずとはまさしくこのこと、腹背に敵を受けて虻を払うことがおろそかになり、数秒にわたって囓られ続けた結果、そちらの手が手首ぐらいまでパンパンに腫れた。やっぱり何かの物質が関与してるよね。
で、ポイントは、この「30年来初めて」というところだ。僕もこの10年ほど、年に1週間やそこらは父に倣って農作業のまね事をしており、これが初めての虻刺されである。同じことを同じように繰り返していて何かが初めて起きたということは、何らかの条件が微妙に変化した/しつつある証拠ではないだろうか。この夏わが家にツバメが巣をかけ損ねたこと、国土全体で雨風のありようがひどく荒々しくなっていることなど考え合わせ、末世の忍び寄る不気味な気配を感じたりしている。
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