散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

若い鳩

2016-10-02 07:37:13 | 日記

2016年10月2日(日)

 

 「田んぼにサンダル」で分かるとおり、僕の「田舎度」はたかが知れていて威張れたものではない。先に、祭りの朝に曾祖母が「つくりたてのおはぎを背負って」と書いたら、さっそく情報源から訂正が入った。正しくは「おはぎ」ではなくこの地方でいう「餡餅」、つまり搗(つ)いたお餅に餡を入れたものだそうな。書いてるだけで口の中が洪水になるのはどちらも同じである。

 そんな風だが、自信をもって語れることもある。ベランダから撮った上の写真、普通のドバト(鳥綱ハト目ハト科カワラバト属カワラバト Columba livia)だが、案外「え?」と思われるかもしれないね。典型的なドバトはこんな風だから。

  wiki カワラバトより

 電線の二羽はやや小ぶりで羽がむくむくし、緑や銀灰色がなく茶色が勝っている。観察の鋭い人だと、かえって「これはドバトと違うんじゃないの?」と疑問を持ちそうだ。正解は、この二羽が若いのである。たぶんこの春あたりに誕生し、巣立ってから間もない当歳鳩なのだ。なぜ断言できるかというと、ドバトの産卵から孵化を経て巣立ちまで、毎日目の当たりに観察したことがあるからである。1966(昭和41)年から68(同43)年まで住んだ、松江城の裾から遠からぬ内中原町の社宅に、先の御家族が残していったしっかりした鳩小屋があり、一対の鳩が住んでいた。つがいの一方が目の前で猫に捕られ、残った鳥が新しいパートナーを連れ戻ったのを覚えている。そのうちの前のペアか後のペアかは思い出せないが、ある冬めでたく産卵し抱卵に至った。二個の卵のうち一個が孵ったのだったか、孵った二羽のうち一羽が育ったのだったか、ともかく一羽が無事に成長し初夏には巣立っていった。その羽の色の移ろいが記憶に鮮やかである。

 鳩の育児の中で感動的なのは給餌の場面で、よく描かれる小鳥のそれのようにヒナが口を開け、親が餌を咥えて口に運ぶという形を取らない。ヒナ鳩の嘴は親のそれと全く違ったエボナイト様の長いもので、それを親の口から突っ込むのである。親バトの喉には、食道の一部が膨隆してできた素嚢と呼ばれる袋があり、そこに貯留された粥状の餌をヒナが自ら吸い取るしかけである。その間親バトはそれこそ目を白黒させ、ヒナ鳩の旺盛な食欲にひたすら耐えている。1970年代末に『レース鳩0777(レースバトあらし)』という漫画が少年チャンピオンに連載され、全体としてはよくできた作品で楽しく読んだが、給餌の場面がまったくデタラメで残念に思ったことがあった。

 当歳鳩の風景を、何か短編小説のような形に作れないかとだいぶ前から思うのだが、うまくいかない。どうもそういう才能が欠けているようである。

Ω