散日拾遺

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開いた瞳は魅力的か

2016-10-06 07:00:58 | 日記

2016年10月5日(水)

 これも日曜日のこと、現に行われている試験の問題を、待機中に控え室で見る機会があった。試験終了後だからもう話題にして構わないと思うが、英語の問題文がなかなか面白くて読み入った。 "How to speak dog" というタイトルが示すとおり、犬好きの著者が犬とコミュニケートする方法について書いているらしく、ということは出題者も犬好きなのに違いない(誰だろう?)。

 ただし、出題されたのは背景となるより広い話の部分で、コミュニケーションにおける目の重要性、とりわけ瞳孔の散大と縮小に関することがテーマだった。瞳孔は交感神経刺激によって散大するから、開いた瞳はより強い興奮・関心・刺激の存在を示す。セールスであれ恋の語らいであれ、語りかけている相手の瞳孔が開いていれば結果は有望だし、逆に縮瞳しているなら期待はもてない。転じて瞳孔が開いている相手の方がより魅力的に見えるということがある。芸能人がわざわざ散瞳薬を使う例もあり、ムーディーな晩餐の場で照明を抑えめにするのは、散瞳を誘導してお互いの雰囲気を高めるためであり云々と、ここまでは他でも聞いた話である。

 それがどう犬に関係するかというと犬の瞳孔も同じ原理で動くからで、この犬が自分をどう感じているかを知るうえで、瞳孔の大小は重要な情報を与えるというのである。ただ怖いのは、開いた瞳孔が飼い主(候補)に対する好意的な興奮によるものか、獲物(候補)に対する攻撃的な興奮によるものかが分からないという点である。好かれていると誤認した次の瞬間、あっけなく組み敷かれて食べられちゃうかもしれないのだ。筆者は抜かりなく両者を見分ける方法についても書いていり、攻撃的な興奮の場合、瞳孔は一瞬縮瞳に転じた後に散大するというのだが、でっかい犬を前にして呑気に瞳の大小を観察してる余裕があるかどうかは、残念ながら問題にされていない。これって危険かもと悟った時には食われちゃってるだろう。

 人の瞳に戻って言えば、理屈はそうだとしても瞳の大小なんてそんなに分かるものかしらんと、かねて眉に唾するところがあった。そこへこの問題文を読み進めてハタと納得したのである。瞳(pupil)を取り巻くのは虹彩(iris)、その役割は色合いと濃淡のコントラストによって瞳の大きさを一目瞭然に示すことにあるというのだ。なるほどな話で、僕ら東洋人は大多数が焦げ茶がかった暗色の虹彩をもつから瞳の黒は目立たないが、白人はブルーであれグリーンであれ薄色の虹彩だからポチッと黒い瞳が遠方からでもよく分かる。テーブルを挟んで、相手の眼の散瞳/縮瞳が分かるというのは、彼らならではの話なのだ。

 これいささかエスノセントリックな話で、白人の中にも褐色の虹彩をもつものはいくらでもあるから(ロシア民謡の名曲『黒い瞳』は、解剖学的には『暗色の虹彩』が正しいだろうが、要するにそのような眼をもつ若者が「私の心を虜にした」と歌っている)、淡色の虹彩をもつ北方系の白人を標準として目のコミュニケーションを語るのはいかがなものかと思う。それをさて置くなら面白い話だ。彼らにとって相手の瞳孔の大小はなるほど重要な情報であるだろうし、そこから「目をきちんと合わせる」ことがマナーになっていくのも道理である。

 ついでに言うなら、白人は僕らよりもはるかに暗順応に長けており、これは暗室作業の際に繰り返し痛感した。中国人のドクター Xin(秦)や僕などは鼻をつままれても分からないかすかな赤外線環境で、アングロサクソン(実はアメリカ先住民が4分の1入っているが見かけは真っ白)のジョンだのドイツ系のスティーブだのは易々と作業を進めている。夜戦を仕掛けられたらひとたまりもないなと、物騒な妄想が働いたりしたが、これも肌の白さと関連した網膜色素の特性に由来するものであり、日光に乏しい北方の環境の中で選択され発達したものに違いない。

 そうかしまった、120%イタリア系のトム・コルソが暗室内ではどうなのか、黒い瞳の彼に確認しておくのだった。

***

 現生人類のアフリカ起源説はほぼ確定したようだが、そのこととも考えあわせ白人集団の由来というのは興味深いテーマだと思う。広く動物種を見る時には、純白はむしろ「本来は存在した色素の脱失」という意味で標準からの逸脱を示すことが多く、実験動物として重用されるWistar や SD 系ラットなどもその例に漏れない。むろん、そうした変異の結果はプラス・マイナスの両面を含んでいるはずで、どちらが優れているか「黒白をつけ」ようとするところから間違いが起きる。

 そういえば岸田秀が、近現代における白人の有色人種に対するあからさまな差別の淵源を探るにあたって、「古い時代には逆に白人が白さのゆえに手ひどく差別されたからではないか」という意味のことを書いている。あれほど執拗な差別・敵意を説明できるのは、その種の古いトラウマ以外にありえないというもので、例によって物証のない話だが考えさせられるものがある。

 僕ら東洋人があまり目を合わせたがらない事情について、白人の側ではどのぐらい気づいているのかな。犬とコミュニケートできちゃう人なら、その共感能力を是非ヒトにも活用してほしいものである。

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