散日拾遺

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治める主体は?/ timshel → מֹשֵׁל

2016-10-03 09:38:13 | 日記

2016年10月2日(日)

 所属教会の創立80周年なのだが、重要な校務が入ってしまった。来春まではコース代表のお役を拝している関係上、残念だけど致し方ない。箴言の例の言葉など唱えながらのそのそと出かける。「怒りを遅くせよ、心を治めよ」・・・

 待てよ、「心(魂・霊) רוּחוֹ 」を治めるとはどういう意味だろう? רוּחוֹ が治めるのではなく、רוּחוֹ を治めるのか。רוּחוֹ を「心」と訳すならまだしも、魂や霊は通常、精神内界の頂点を指すのではないか?それを治める精神の超上位者とはいったい何?

 神の霊をして、汝の霊を治めしめよ・・・ということ?うっぷ、分からない。

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 そういえば『エデンの東』、映画では完全に省略されているが、スタインベックの原作ではちょっとした神学論議が重要な伏線を為す。創世記4章7節、カインがアベルに殺意を抱き、しかしまだ実行に至らない葛藤の段階。

 「罪は戸口で待ち伏せ、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(新共同訳)

 「支配せねばならない」と訳された言葉に、スタインベック小説における父アダムは疑問を持つ。言語は תִּמְשָׁל 、英語で timshel と表記されるこの言葉は、通常は「支配せねばならない」あるいは「支配するであろう」と訳される。どちらとも決められないのがギリシア語と違ったヘブル語の難しさ/深さだということは、何度か話題にした。さらにスタインベック/父アダムは第3の解釈が可能だとする。「支配するか否かはお前次第」というのである。

 こういう読みが可能かどうか、今の僕の力では判定できない。小説では父の死の枕辺で赦しと救いを模索する息子ケインに対し、父は一言「timshel」と言い残して目を閉じる。成功しているかどうかはともかく、この時点でスタインベックが人の運命を託した鍵概念であることは間違いない。どうなんだろうね。

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 timshel の件はずっと気になっていたのだが、なぜ今この時に思い出したのか、気がつけばちゃんとつなぐものがあるじゃないの。

 「心を治めるもの」(箴言16:32)、「それを支配せねばならない」(創世記4:7)、「治める」「支配する」と訳し分けられている動詞が実は同じもの מֹשֵׁל である。 「マーシャル」といったような発音で、"to rule, habe dominion, reign"などといった英訳が示されている。

תִּמְשָׁל  カル未完了形、二人称男性単数 (創世記4:7)

מֹשֵׁל  カル分詞 (箴言16:32)

 心を治めるも罪を制するも מֹשֵׁל だとすると、この動詞もまた超重要なキーワードということになる。

Ω