散日拾遺

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日本に骨を埋めたお雇いの人々

2018-07-20 06:57:57 | 日記

2018年7月19日(木)

 梅渓昇『お雇い外国人 ー 明治日本の脇役たち』

 まだ読みかけだが、戯れに第2章「功績を残した人びと」で言及された人物を列挙してみる。

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フルベッキ 米(G.H.F. Verbeck)政治・法制度、宣教師 ※

ボアソナード 仏(G.E. Boissonade)法制度

ロエスレル 独(H. Roesler)法制度

ジュ・ブスケ 仏(A.C. Du Bousquet)軍事(陸軍)・外交 ※

ドゥグラス 英(A.L. Douglas)軍事(海軍)

デニソン 米(H.W. Denison)軍事・外交 ※

キンドル 英(T.W. Kinder)貨幣制度

シャンド 英(A.A. Shand)銀行制度

ワグネル 独(G. Wagener)殖産興業 ※

ダイエル 英(H. Dyer)工業・工学教育

エルトン 英(W.E. Ayrton)電気工業・工学教育

ラグーザ 伊(V. Ragusa)美術

フォンタネージ 伊(A. Fontanesi)美術

コンドル 英(J. Conder)建築 ※

モルレー 米(D. Murray)教育行政

モース 米(E.S. Morse)生物学・科学哲学

フェノロサ 米(E.F. Fenollosa)美学・哲学 ※※

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この17人のうち、※を付した5人は日本で亡くなった。

フルベッキ(1830-98):赤坂葵町の自宅で心臓麻痺のため急逝。葬儀は芝日本基督教会で行われ、青山墓地に埋葬。

ジュ・ブスケ(1837-82):日本女性と結婚し3子をもうけた。日本政府との契約が満期完了した後もフランス領事として留まり麻布鳥居坂の自宅で他界。青山霊園に埋葬され、墓碑には「治部輔」と刻まれる。

デニソン(1846-1914):終生、外務省顧問として日本の外交に貢献。築地の聖路加病院で死去の後、青山墓地に埋葬。墓碑は盟友・小村寿太郎の墓の近くに建つ。

ワグネル(1831-92):後半生の25年を独身で過ごし、産業発展に貢献。講演では常に日本語を用い、日本の風土を愛した。遺言に従って青山墓地に埋葬。

コンドル(1852-1920):11日前に亡くなった妻と共に護国寺に埋葬。

※※を付したフェノロサ(1853-1908)の場合は、ひときわ印象痛烈である。1896年以降、京都に住んで仏教を学ぶなどしていたが、1908年に美術研究のため渡英し帰国の直前に急逝した。遺骨はいったんロンドンに葬られた後、生前の希望に従って翌年三井寺境内に移葬され今日に至る。

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将東遊題壁

釈 月性

男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山

 釈月性(1817-58)は幕末期の尊攘派僧侶。周防大島で浄土真宗の寺の住職を勤める傍ら攘夷論・海防論の喧伝に余念なく、吉田松陰などとも往来があった。

 「骨を埋(うず)む豈(あに)惟(た)だ墳墓の地のみならんや」の転句が切っ先のように鋭いが、これを実行して日本に骨を埋めた異人らが近代日本の勃興を支えてくれたと知ったら、攘夷坊主の月性先生、何と言ったことだろうか。

 同胞とは誰のことかとあらためて思う。血統も生地も異にしながら、才能と生涯を捧げて労苦を共にしてくれた「外国人」か、それとも・・・?


https://ja.wikipedia.org/wiki/月性

Ω