2018年7月16日(月)
義弟夫婦が連休を利用して宇和島へボランティアに行っているとのこと。まことにありがたい。猛暑の中、決して強壮とはいえない義妹の健康が案ぜられる。
こちらは溜まった仕事を言い訳に、東京に居座ったままである。時に大河の『西郷どん』はそこそこの人気かな。最近読んだ本に立て続けに西郷の逸話が出てきたが、必ずしもこの偉人の小さな名誉にならないのが面白い。
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ところで、1871(明治4)年7月、廃藩置県の断行をみるに至った。廃藩のことはすでに早くから木戸、伊藤の構想にあったように王政維新の変革の重大目標であったが、大蔵省官僚の進歩政策に反対する西郷隆盛が政府に入ったことがひとつのきっかけとなった。大蔵官僚群は西郷らの入閣によって、近代化の事業が水泡に帰することを憂え、また西郷がいたずらに無能の人物を推挙したところから、その政治能力に依拠できないことを確信した。かれらは山形有朋らの近代的軍事官僚群とともに、断然西郷を退けようと考え、むしろ進んで西郷と衝突することが近道であると決心するようになった。まず、木戸、大久保が廃藩に賛成し、当たって砕ける手段をとったところ、意外にも西郷が同意したため、急に断行されたものであった。
梅渓昇『お雇い外国人 明治日本の脇役たち』講談社学術文庫 P.75-6
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西郷さんはわたしに向かって、
「かくかくしかじかの事情があるため、せっかくのよい方を廃止してしまうのも惜しいから、渋沢の取り計らいでこの法が続けられるよう、相馬藩のために力になってくれないか」
といわれた。そこでわたしは西郷さんに向かい、
「それならあなたは、二宮先生の『興国安民法』とはどんなものかご存じなのでしょうか」
とお尋ねすると、それはまったく知らないとのこと。まったく知らないものを廃止しないでくれと頼むのも、よくわからない話だ。しかし、知らないのなら仕方ない、わたしから西郷さんにご説明申しあげることにした。その頃、すでに私は『興国安民法』について充分調べてあったのだ。」
(中略)
「西郷参議におかれましては、相馬藩だけに関わる『興国安民法』は大事なので、ぜひ廃止しないようにしたい、とおっしゃいます。しかし国家のために必要な『興国安民法』については何も取り組まないままでよいとお考えなのでしょうか。一国をその双肩に担い、国政の采配をふるう大任にあたっているお身体で、国家のごく一部分でしかない相馬藩だけの『興国安民法』のために努力しても、一国の『興国安民法』についてどうするのかというお考えがないのは、わけがわかりません。本末転倒もはなはだしいのではないでしょうか」
と熱心に述べた。西郷さんは、これに対して別になにもいわず、静かにわたしの粗末な家から帰っていかれた。
とにかく明治維新の豪傑のなかで、知らないことは知らないと素直にいって、まったく飾り気のない人物が西郷さんだったのだ。心から尊敬する次第であった。
渋沢栄一/守屋淳訳『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書 P.131-4
最後の部分、原文では・・・
「とにかく、維新の豪傑のうちで、知らざるを知らずとして、毫も虚飾の無かった人物は西郷公で、実に敬仰に堪えぬ次第である。」
渋沢栄一『論語と算盤』 角川ソフィア文庫 P. 200
現代語訳も悪くないと思ったが、ときどき釈然としない箇所がある。そもそもこの程度のものに「訳」が要るものかな。
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以上二題。「いたずらに無能の人物を推挙」し、是非にも存続させたいと頼み込む法の中身をまるで知らない、普通の尺度で言ったら偉人どころか大迷惑なこの人の巨大さは、解説や伝達を超越する。強いて解題を求めるとしたら、やっぱりこれしかないかな。
「知識の点においては、外国の事情などは、かえっておれが話して聞かせたくらいだが、その気胆(きも)の大きいことは、このとおり実に絶倫で、議論もなにもあったものではなかったよ。
今の世に西郷が生きていたら、話し相手もあるのに ―
南洲の後家と話すや夢のあと」
勝海舟『氷川清話』角川文庫 P. 58
解説にならない・・・まあいいか。西郷どんならブログなんか書く暇があったら、被災地へ飛んでいって泥の掻き出しに汗を惜しまないことだろう。ということは、被災地で黙々と汗を流す無名兄姉の中にこそ、今日の西郷が埋もれているのかもしれない。
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