散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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同窓生らと旧交を温めること

2018-07-25 15:02:20 | 日記

2018年7月25日(水)

 この4月に放送大学に着任した河原温(かわはら・あつし)教授、フランドル史研究の第一人者で多数の著書がある。これ実は高校の同窓生、卒業時に彼はA組、僕はB組だった。御尊父が進学先のドイツ語の教授で、畑は違うが人文系の学者の血筋である。

 1977年頃、『星のギリシア神話』という聞くからに魅惑的な本を書店だか書評だかで見かけ、その訳者が河原忠彦氏とある。たまたまキャンパスで出会って話題にしたら「親父だよ」とちょっと照れくさそうに種を明かしてくれた。その晩、彼が電話をくれ、「良かったら一冊進呈するって」と望外の御配慮、表紙裏に一筆添えてくださったものが今も本棚の宝物で、関楠生先生の訳書などと並んでドイツ語コーナーを占めている。

 5月の教授会の日に持って行って、ジュニアに見せながらしばし昔話。御尊父は今も健筆をふるっておられ、どうやら河原君の目標でもあれば競う相手でもあるようだ。

 

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 彼のA組はたいへん仲の良いクラスで、卒業以来集まりを欠かしたことがないらしい。こちらB組は事情が違ってなかなか寄ることがなく、還暦前を機にようやく年一回の集まりが定例化した。今秋が4回目、その幹事を拝命したのが自分史上もっけの不思議である。高校時代のワガママ勝手、協調性の無さからは考えられない話で、誠に人生は奇妙に長い。

 通った高校は男女共学、同数なら女子が強いのが通例であるうえ、入学式で当時の校長が「女子の超一流と男子の一流半が集まっている」と口を滑らした通りの力関係。こちらは一人っ子育ちで女子というイキモノが無性に怖く、名古屋から上京してきたアウェイ感もありひたすら女子を敬い遠ざけていた。先様(さきさま)もまた、こちらのことなど眼中にないものと確信していたが。

 クラス会幹事は型通り男女一名。相棒のMさんに、我々を指名した昨年の幹事のH君とKさん、4人でキックオフの会食をしたところ、43~4年も寝かせた話が出るわ出るわ、あの時のその件はこんな真相だった式の記憶のすり合わせで、あっという間に時間が過ぎた。案外あたたかく見ててくれたんですね、そうとは気づかず失礼しました。

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 この高校には当時4つの附属中学があり(現在は3つ)、そこからの進学者と僕らのような外部からの入学者が混然一体の3年間を過ごすのが妙味だった。4人の中ではMさんとH君が同じS中学の出身で、Kさんと僕が外部である。この構図だと、Mさん・H君が小中学校以来のS校勢の逸話について、Kさんと僕に話して聞かせてくれるということが当然起きる。以下はその一例。

 Y君という男子がいる。卒業後は某私大を経て銀行に勤め、高校時代と同じ場所に住んで平穏に暮らしているはずだが、なぜか同窓会には全く出ないし連絡に返事もよこさない。それ自体はよくあることで、謎ではあるが別にスキャンダルではない。

 このY君がS中の卒業生で、高校一年ではMさんと同級になった。席替えのアヤでたまたまこの二人が机を並べていたある日、漢文の授業の時間のことである。

 Y君、何を思ったかMさん相手に熱弁を振るい始めた。テーマというのが『時計じかけのオレンジ』である。A. バージェス(英)のディストピア小説(!)が原作だが、僕らの印象にあるのはスタンリー・キューブリック監督、マルコム・マクダウェル主演の映画の方で、ポスターを見ただけでもキワモノぶりが察せられる。日本公開は1972年、まさしくY君とMさんが机を並べたその年である。Y君はこの映画がいかに面白いかを授業そっちのけで語り始め、その時間中ずっと語り通したのだそうである。

 え~っと、どこから突っ込もうか。

 まず、『時計じかけのオレンジ』については、たとえばこちら → 〈https://ja.wikipedia.org/wiki/時計じかけのオレンジ)

   

 読んでの通り、この映画を熱烈絶賛する高校生というのが少々問題含みである。もっとも、原作の末尾で主人公が全てを「若気の至り」と括るように、思春期男子の潜在的な欲望と攻撃性を明るみに曝すなら、これくらいにはなるかもしれない。それを男子仲間で共有するのは自然だが、女子相手にこと細かに語るものだろうか。もちろん誰彼問わずではなくMさん相手だからに違いないが、この場合の「ならでは」の理由は・・・

 「かなり信用されてた?」

 「知らないわよ」

 「ひょっとして好かれてたとか」

 「石丸君なら、好きな相手に目輝かしてこの映画の話する?」

 「しない。で、映画は見た?」

 「見るわけないでしょ」

 見逃せないポイントはMさんが至って常識的かつマジメな生徒だったことで、教室のどのへんに座ってたか知らないが、授業中にこんな話を聞かされ続けること自体、非常な迷惑だったに違いないのである。当時のこの高校で授業中の私語は稀だったが、漢文の先生は気づかなかったんだろうか。で、もうひとつの疑問は・・・

 「その日に教わった漢文のテキスト、何だったか覚えてる?」

 「モウギュウ」

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 ああ、あれか、と分かる自分でありたかった。教材が違ったか、僕は教わった覚えがない。Mさんこれを「猛牛」のイントネーションで語り、僕もまた暴れ牛のイメージをくっきり脳裏に思い浮かべ、そんな話が『史記』にあったろうか、儒墨老荘のたとえ話だろうかと悩むこと数日、行き詰まってMさんに確認したら答えは、

 『蒙求』

 Mさん、メールを読んでさぞ笑ったことだろう。そんな様子はおくびにも出さず正解を教えてくれたが、イントネーションですね、「_ ー ー ー」じゃなくて「ー_ _ _」とならないかな、僕が訛ってるのか。

  中国語じゃあるまいし(もと中国語だが)、ちゃんと読んで中身を知ってればイントネーションは関係ない。そもそも「モウキュウ」とばかり思っていた自分が悪い。「勧学院の雀は蒙求を囀る」という諺にかすかに見覚えがあり、往古はそれほどの必修本だったのである。ネットで見ると「蛍雪の功」とか「漱石枕流」とかは『蒙求』が出典とある。漱石は筆名をここから取ったらしい。

 Mさん、今はめでたくお孫さんの成長を楽しむ身分。娘さんから頼まれてあずかったのを幸い「アカンベ」を教え込み、娘さんから嫌がられるという平和な日々を送っておいでだそうな。蒙求もアカンベも教えてくれる人あればこそ、末楽しみなことである。

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 超一流女子のことでもう一つ、お互いの誕生日が近いので何となく覚えあってる同級生がある。今年もその朝メールがあって、

 「お母様の御出産記念日おめでとうございます。」

  これがウィットというものか。三男児を世に出した彼女のもとには、毎年判で押したように上のお子さんから順にお祝いメールが入るのだそうだ。

  毎年よ彼岸の入りに寒いのは (子規)

 なんて付記されてる。やっぱりどこか作りが違う。

Ω 


郷里の痛み、誰が揺れるか案じるか

2018-07-25 05:31:09 | 日記

2018年7月24日(火)

 先週後半、郷里の知人より便りあり。この御一家は先日の豪雨の際、わが家の安全をことのほか気にしてくれた。こちらは電話で両親の元気な声を聞いたばかり、なるほど隣接地域に避難勧告が出ているようではあるけれど、2kmも離れればまるきり状況の違うことをプラスの方向に援用して呑気に構えている。

 I夫妻は河野川の増水とあわせて、背後の山の土砂崩れを心配してくれたのだ。河野塚をいただく例の山が、わが家の少し西側で切り立った崖を作っている。本来なら心配な地形だがここに面白い事情がある、というのは数年前に北隣のSさんが、この崖のあたりで少々無茶な伐採を行った。それでむき出しになった斜面が崩落の危険ありとされ、この時ばかりは松山市が早速やってきてコンクリでしっかり固めていったのである。その勘定書きがSさんに回るわけでもなく、行政というのはケチなんだか鷹揚なんだかわからない。

 何しろそんな事情があって土砂崩れの恐れは極小と思われるが、そうと知らないI氏は差し入れの食物を携え、わざわざ車で様子を見に来てくれたのである。ちょうど回線混雑のために固定電話がつながらなくなった時間帯のことで、これは本当にありがたかった。A friend in need is a friend indeed. 遠くの息子より近くのI氏である。

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 そのI夫人からの来信:

 北条でも善応寺のお宅は、しっかりと土砂崩れ防止の工事がなされていて御安心でしたね。

 それにしてもこのたびは、この地で生まれ育った私にも覚えのないような激しい雨が3日間も降り続き、どこもかしこも河川の水が溢れていました。心底怖かったです。

 息子の職場の所長さんは北条のS地区に住んでいますが、裏山が崩れて家屋がほぼ全壊しました。幸い人の被害はなかったようですけれど、2週間経った今も職場に復帰できません。

 私の職場の職員さんにも、北条の御実家が半壊した人があります。甘平を栽培する農家ですが、崩れ落ちる土砂が木々をなぎ倒し、押し流していったとのことでした。

 地球温暖化に伴って、信じられないような自然の変化が次々に起きています。私達は覚悟して生きてくしかないのですね。障害のある人たちも、とても動揺しています。何が起きているのか言葉で説明することはできなくとも、地元被災のニュースに心が不安定になることは同じなのです。

 誰にとっても厳しい夏です。

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 重い障害を負った人々への例の犯罪をめぐって、自分の中にも犯人と同じ気もちがあることを告白する声がそこここであがっている。これはある種の生真面目さから来るもので、なるほど抑圧し否認するよりは率直に認めた方がずっと良いには違いない。しかし、どうせ生真面目に自問するのなら、犯人とは違う感じ方をも自分の中に探ってみることを勧めたい。世情に流布される情報に惑わされ「自分はかれこれの病気ではないでしょうか」と駆け込んでくる人に対して、「あてはまることばかりでなく、あてはまらないことにも注目してください」と勧める伝である。

 そこで問うてみたいのだが、巨大災害の恐怖に曝されて彼も我も等しく動揺していると知る時、互いの中にほのかな連帯感が萌してこないだろうか。災害への恐れに健常者も障害者もありはしない。共に恐怖に耐える同志に対して、なかなか刃は向けられないものである。日本の社会がもともと防災共同体として立ち上がっているというのはささやかな持論だが、そこにはこのタイプの共同体が欧米型の政治共同体に比して、思想の強靭さと一貫性において劣るとしても、より懐の深い包容力を備えているはずだしそうであってほしいとの意味合いが含まれている。

 共感都市への入り口は、僕らの伝統の中にもあるはずなのだ。

Ω