2018年7月12日(木)
婦人会連合の来年の催しに向けての準備会あり。西早稲田のその一画は35年ぶりか。地下鉄の駅を降りて早稲田通りをどちらに行くかでハタと迷った。暑いのに曇天で方角が分からない。スマホにコンパス機能が付いているのを、こういう時には思い出さない。
うろうろするうち穴八幡の鳥居が見えて、ようやくオリエンテーションがついた。高田馬場というぐらいでもともと馬場があり、八幡様とは相性が良いわけである。その横を過ぎてキリスト教会館、近づいてみれば5-6年前にも来た場所だった。人生の先輩方9人を15分も待たせて申し訳ないばかり。
担当の分科会は「老いと祝福」がテーマである。いろいろ考えさせられるのは間違いないが、現時点で老いに祝福を見ることはむしろ論点が決めやすく、楽しめるはずの作業である。将来のことを考えてハタと頭が止まった。今次会場に集まる人々の大多数は、家庭を営み子孫を残すことが人としての標準形であった世代に属する。けれどもそれは、既に若い世代の常識ではない。今の若者たちが50年後に集う時、「老いと祝福」というこのテーマは、全く違った様相を帯びることになる。
とすれば、今の我々もそこまで射程を伸ばしたうえで、「祝福」について考える必要があるのではないか。
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八幡宮は神社の中で最も人気のあるものらしいが、好きになれないのは源氏の武威との結びつきが強すぎるからである。社伝によれば1062(康平5)年に源義家が奥州からの凱旋の途次、この地に兜と太刀を納めて八幡神を祀ったのが穴八幡の起こり(Wikipedia)だそうだが、阿弖流為(アテルイ)の乱から前九年・後三年の役を経て奥州藤原氏の滅亡に至るまでの歴史経緯を眺め、源氏に肩入れしたくなる理由がどこにも見つからない。
要はヤクザの親分みたいなもので、それがある種の歴史的役割を帯びたのである。その役割こそ重要なのだ。
穴八幡宮 流鏑馬像
(https://ja.wikipedia.org/wiki/穴八幡宮)
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