散日拾遺

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悪い性根の大きな連鎖

2018-07-11 08:41:21 | 日記

2018年7月7日(土)

 ある学校の先生から聞いた話である。

 生徒XのレポートにA評価を付けたところ、同じ課題を与えた別のクラスの生徒Yが、やや遅れて明らかに丸写しのレポートを提出してきた。呼び出して注意しようかとも思ったが、シラを切るのは目に見えているので端的にC評価をつけて返した。するとこのYが、「全く同じ内容を提出したのに、XはAで自分はCを喰らうのはマジムカつく」とツイートしたのだそうである。

 開いた口がふさがらないとはこのことだが、当の先生には笑い話ではない。自分の卑劣を棚にあげて根にもつ手合いが世の中に多く、隠れたところから石を投げるぐらいやりかねない。その昔、戦場で「弾は前からだけ飛んでくるのではない」 と言われた験しもある。いわゆる底辺校ではない、有名進学校が舞台の実話である。

 いろいろ連想することはあり、例えば内田樹が書いていたこと。これもそこそこの一流大学を出て就職してきた若者が、余りにも基礎教養を欠いているので、思わず「君、大学で何を勉強してきたの?」と聞いたら、相手は胸を張って「何も」と答えたというのだ。

 ある年齢以上の読者には解説の要る話であろう。この彼は、コツコツ勉強するなどといったコスパの悪いことを目一杯省き、無手勝流で一流大学卒の肩書きを手に入れた要領の良さが自慢なのである。本当に、本気で自慢なのだ。その心性を踏まえれば、Y少年の逆恨みにも一縷の了解可能性が見えてくる。できの良い成果物を低コストで提出し、楽して良い成績をとるのが生徒のお仕事。だとしたら「同一内容、同一評価」が当然で、俺が努力してようがズルケてようが余計なお世話、先行レポートと内容が同じだからって、それで評価を下げるなんて「不公平」だろ・・・

 そこから連想はどこへ飛ぶ?

 最近話題の医大不正入試事件、第一報への学生の反応の中に「親の金で合格できるなんてうらやましい、不公平だ」というのがあった。いきなりインタビューされて咄嗟に口がすべったんだろうが、これでは「自分も金があれば同じことをする」と言ってるに等しい。それを学生の義憤という文脈で報じるのもどうかと思うが、イマドキの「公平・不公平」について上述のエピソードと組み合わせて考えるなら、案外深いところを衝いてるかもしれない。

 ちょっと乱暴かもしれないが、僕自身の連想はさらに国会の証人喚問へと飛躍する。「刑事訴追を受ける可能性があるから」と肝心な質問は全て答えず、結果的には不起訴におわって言わない者勝ち、首相の関与がないことだけはイヤにはっきり明言して奉公を尽くし、みごと逃げ切りの完全勝利。その姿は全国の低モラル者にさぞかし力と希望を与えたことだろう。すべてルール内で完結しており、これが卑怯だというなら敬遠四球だって同じでしょ・・・

***

 もうひとつ厄介なのがツイッターである。件のツイートがどんな反応を呼んだのか知らないし、知りたくもないからつっこんだ話はできないが、この種のアンチモラルがSNS空間で培養され増殖することは想像に難くない。

 精神分析の枠組みでいうなら、いわゆる公論が自我に相当するのに対して、SNSなどはイド(エス)に深く通じる。イドが言語化されるというのは矛盾であって、意識化も言語化もされないのがイド・・・という図式はもはや型通りには通用しない。個人レベルでも社会レベルでも抑圧の力は大いに衰退し、本音も本能も大全開という世紀の潮流にSNSが強力な翼を与えてしまった。タケコプターのようにハンディでパワフルなツールで、そこにイドの内容がいわばダダ漏れに漏れ出してくる。

 それに棹差しながら古典的な意味での正気を保つのは至難の業だが、既にSNSに浸りきって育ってきた少年少女を相手にする教員らは、見て見ぬ振りができる程度にはこれを見ておく必要がある。「災害・緊急時以外は原則として使わない」などと、僕のように呑気に構えていてはすまない現場であろう。

 今は米国大統領はじめ世界のリーダーらがツイッターをフル活用する時代だが、かなり高い代償が発生しているのではないかという気がする。いつの時代のどの世代が、それを支払うことになるのだろうか。

Ω