2018年7月13日(金)
「先生、『小石に躓け、山に躓くな』という諺をご存じですか?」
もちろん知りはしない。インドの諺だと彼女は言う。小石のような小さな災難に躓いたおかげで、結果的に山のような大きな災難を回避できた、そういうことが人生に確かにある。それゆえインド人は ~ 既に人口13億を超え、まもなく中国を抜いて世界一になるであろう巨大集団の、具体的にどの一部分かはさておき ~ 小石に躓くとかえって喜ぶというのである。
何年越しに及ぶ慢性的で構造的なストレス状況を耐えに耐え、それが大過を防ぐ小石の躓きであるかのように、この人は信じようと努めている。華奢な耳朶に鈴なりのピアス、前腕に眩しい緋蝶のタトゥー、人工的な装いとは裏腹に、実は彼女が中部地方の田園の出身で、豊かな自然体験をもっていることを思い出した。そうだ・・・
「御覧にいれたいものがあります。」
5月に前橋に出張し、利根川の河原でペットボトルに川水を汲んで帰り、水槽に注いでおいたらミジンコが大量に出てきたことをここにも書いた。その後ミジンコは爆発的に増え続け、先に「大量」などと書いたのが笑っちゃうような大繁殖。ハチ公前交差点よろしくあらゆる方向に行き交いながらぶつかりもせず、その賑わいをスマホで動画に撮っておいたのだ。
「ミジンコが増えたのですか?水がきれいなのですね、でも酸素は?」
などと言いながら手にとって、目が吸い付いた。
「これは本当に、ミジンコです、こんなに、ええ間違いない、でも雄と雌が、ミジンコは、確か・・・
河原の小石のように丸くころころ完結する言葉が、次第に小さくなって喉の奥に消えていく。やや居ずまいを正して、
「ミジンコの繁殖にはとてもユニークなパターンがあるのですが、すぐには思い出せません。調べてみます。」
小石に躓くようによたよた出ていきながら、帰り際に振り向いて付け加えた。
「今日はミジンコに元気をもらいました。」
***
「山に躓かずして垤(てつ)に躓く」
という言葉なら『韓非子』にあるという。垤とは蟻塚のことらしい。ただし「大きなことや目立つことには注意するが、小さなことには油断して失敗しがちである。見えにくいものに人はつまずくものだというたとえ」とあるから、ミジンコ嬢のもたらした諺とは噛み合わない。
さしあたり、この件は宿題。
***
いっぽう、ミジンコには確かに独特の繁殖パターンがある。
【ミジンコの生殖(単為生殖と有性生殖)】
ミジンコは生息する湖沼の環境が良いときは、単為生殖という方法で卵(単為生殖卵といいます)を産み、子孫を増やしています。この単為生殖は子孫を増やす際に雄を必要としません。つまり卵と精子の受精は起こっていません。そのため非常に効率よく多くの子孫を増やすことができます。そして、この時の子孫は全て雌です。これを雌性単為生殖といいます。これは、魚などに捕食されるミジンコにとってはとても理にかなった子孫の増やし方といえます。しかし、ミジンコが増えすぎたり、餌がなくなったり、水温が下がったり、日が短くなったりとミジンコにとって生息する環境が悪くなるとミジンコは雄を産むようになり、雄と雌の間で耐久卵という受精卵を作ります。このミジンコの耐久卵は乾燥に強く長い年月が経っても環境が良くなれば、また発生が進み雌のミジンコになります。ミジンコはこのようにして環境の変化に応じて巧みな生殖方法とることで種を維持していく戦略をとっています。
東京薬科大学 生命科学部 応用生命科学科「まめ知識」
(https://www.ls.toyaku.ac.jp/content/ミジンコの生殖)
ひたすら増えに増えている現状では大半が雌、やがて限界に達すれば雄が出現するということか。この図で見る限り形態に大きな違いはなく、ただでさえ微かな恋人たちのランデブーを目視するのは、簡単ではなさそうだ。
Ω