散日拾遺

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シュヴァイツァーの跡を踏む人

2018-07-17 08:54:45 | 日記

2018年7月17日(火)

 昨夜の番組で知った、ガーナで学校づくりに専心する日本人、堀田哲也(ほりた・てつや)さん。今頃はSNSでも大ブレイクしてるかな。掛け値なしに素晴らしく、またカッコいい。検索したらブログが見つかった。https://ameblo.jp/horipone/

 皆が彼を「偉い」というし、僕だってもちろん「偉い」と思う。しかし何より感銘を受けるのは、この人の自然体であることだ。少しも無理をしていないし、背伸びもしていない。不便な生活には違いないが、それを埋め合わせてはるかに余りある悦び・楽しみを実感しており、今ではこれが彼にとっていちばん楽なのである。そのように楽なあり方を自分自身で見つけ出した、とらわれない自然な野太さに皆が喝采している。これをこそ、自己実現と呼ぶのだろう。

 幼い頃に両親が離婚して「父親というものを知らない」と彼の語ったことが、何人かの人物を連想させる。たとえばエリク・エリクソン、ユダヤ系デンマーク人を母にもつ彼もまた、思いの導くままアメリカ先住民の中にまで分け入った。父親が誰なのか、敬愛して止まない母親は終生語らなかったと伝えられる。

 驚き崇めるばかりの堀田さんの生き方だが、ひとつ共通点があって嬉しくなった。「森と原生林の間」で生きたアルベルト・シュヴァイツァーの伝記に出会い、感銘とインスピレーションを与えられたらしいことである。彼はそれをもっとも素直な形で実行に移した。素晴らしいことだが、まねび方は一つに限るというものでもないだろう。

 シュヴァイツァーは多面的な才人で、オルガニストとりわけバッハの演奏者として大いに知られた。神学者でもあり、史的イエスの公生涯についてユニークな解釈を残している。彼の生涯のどこに惹かれるかは人によって違うだろうが、僕が忘れることのできないのは次の逸話である。

 人々から尊敬される牧師の息子であったアルベルト少年は、とりたてて裕福とは言えないまでも、不自由のない暮らしをしていた。ある日、子どもたちの中でケンカが起き、ガキ大将のゲオルクに挑まれたアルベルトは、とっくみあいの末に思いがけず相手を組み敷いている自分を発見した。

 その時、地面に押しつけられたゲオルクが憎々しげに言い放った。「俺だって週に3回、肉入りのスープを食わしてもらってりゃあ、お前なんかに負けやしねえ。」

 びっくりしたアルベルトはそのまま家まで駆け戻った。それからしばらくの間、どれほど叱られ罰せられても肉入りのスープを食べようとしなかった。

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