散日拾遺

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4月15日 ブルース・リーの遺作「死亡遊戯」が公開される(1978年)

2024-04-15 03:38:22 | 日記
2024年4月15日(月)

> 1978年4月15日、ハリウッド史上最高のアクション俳優・武道家ブルース・リーの遺作「死亡遊戯」が公開された。ブルース・リーは五年前の1973年に亡くなっていたが、映画はかなりの部分出来上がっていたため、足りない十数分のシーンを代役で撮影し、ストーリーを変更して完成されたのである。
 ブルース・リーは本名を李振藩(リー・ジュン・ファン)といい、香港の舞台俳優を父に、米国のサンフランシスコで生まれた。香港帰国後、子役として数々の映画に出演した。幼い頃から中国拳法を学び、十八歳で渡米してワシントン大学に入学。同時に中国拳法の道場を開いて指導を始めた。その後、様々な武術を取り込んだジークンドーという武術を編み出した。アクション俳優となるきっかけも、武術大会だった。
 1970年、「ドラゴン怒りの鉄拳」など三本の映画に出演、トップスターとなり1973年「燃えよドラゴン」に出演するが、公開のわずかひと月前に急死する。死因は脳腫瘍ではないかと言われている。「燃えよドラゴン」が公開されると、カンフーの大ブームが巻き起こった。多くのファンの声に応えて、この五年後に最後の作品「死亡遊戯」が公開された。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.111

Bruce Lee(李 小龍、本名:李 振藩)
1940年11月27日 - 1973年7月20日


 これはもう、懐かしさの塊である。
 1972年3月に名古屋市立汐路中学校を卒業し、東京の高校へ進んだ。今ならSNSで連絡を取り合うのだろうが、そんなもののない代わりに時々手紙をやりとりした昭和の風雅である。
 で、あれは二年生だったから、まさしく73年のある日のこと。男子体育の剣道の時間が剣道にならない、「オゥグワァッ!」という雄叫びや「アチョッ!」という怪鳥音とともに、誰も彼もがヌンチャク替わりに竹刀をやみくもに振り回す、危険きわまる無法状態を面白おかしく書いてよこした友人があった。
 名古屋で然り、東京も同じ。そして映画の爆発的な人気とどちらが先だったのか、ブルース・リーという正体不明の英雄の訃報が一緒くたになって届いたのである。その死は未だに謎であり、怪死というに近い。公式の死因は「脳浮腫」とされており、それは事実だろうが脳浮腫をきたした背景やメカニズムが皆目不明なのである。「脳腫瘍」は推測に過ぎず、検死解剖で脳腫瘍も脳内出血も確認されていない。
 ちなみに「ワシントン」という名のつく大学は全米にいくつかある。ブルース・リーが学んだ University of Washington(略称UW)は、シアトルに本部を置くワシントン州の州立大学。僕が留学したのもワシントン大学だが、これは正式名称を Washington University in St. Louis(略称 WashU/WUSTL)というミズーリ州の私立大学。いずれ劣らぬ名門と、ここは威張っておくことにしよう。

Ω

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