散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

一輪挿しと草の勢い/今年もハチの巣発見

2014-06-24 13:02:42 | 日記
2014年6月23日(月)

 穏やかな薄曇り、作業には格好の日和。
 といって、午前中は土間の事務机で東京から抱えてきた校正仕事、合間に庭から小さな花一輪もらって手近の花器に挿してみる。
 ピンクのかわいい花は、月見草の一種らしい。
 花器のほうは、錫製だろうか。だとしたら、昔マレーシアから買って帰ったものかもしれない。
 この種の器は都会ではただの場所ふさぎだが、田舎ではたちまち息を吹き返す。

 

 午後から、薪炭林前の日だまりで草刈り。4月に体調不良で一回休んだツケで、ちょっとした平地が竹と草のジャングルになっている。膝高・腰高の草に埋もれて息も絶え絶えのミカンやレモンを、掘り出すといった感じの作業。これにはエンジン付き、回転盤式の草刈り機が威力を発揮する。
 昨年植えたばかりの八朔(ハッサク)の若木がすっかり草に埋もれ、危うく草ごと刈り倒すところだった。

 屋敷に戻って今度は庭の剪定。曾祖父丹精の石の庭が、これまた雑草に埋もれている。夏草の生命力は実に旺盛、鬱蒼の鬱の字は本来この様を表したものだ。してみるとうつ病の精神病理も冬枯れというよりは、繁茂しすぎたあれこれの思いで心の風通しが悪くなっているのに違いない。

 築山の頂あたりで、大型のハチがこちらへ突進してきた。慌てて逃げながら、これはピンと来る。ハチは庭の真ん中ですれ違うときなど至って紳士的、というより没交渉・無関心である。向かってくるのは、近くに巣があるからだ。
 しばし視覚的に追尾、見つけた!
 小さいがしっかりしたサザンカの枝蔭に、トックリを逆さに吊ったような独特の巣。コガタスズメバチ、かな。
 

 これはちょっとした芸術品で、本当だったらそのまま放っておきたいのだ。ハチにしろクモにしろ、大した生き物である。その作品には敬意を表したい。
 だけどそうは行かないのは、僕は悲しいかなハチアレルギーがあるからで、うっかり刺されてアナフィラキシーショックでも起こしたら命に関わるから・・・
 それでという訳でもないが、ハチの巣を見つけて取るのはすっかり慣れた。フマキラーなんか要らない、高バサミが必需品である。そっとつまんで取ってきて、それで終わり。ごめんね、本意じゃないのだよ。
 
(トックリを割ると、中はいわゆるハニカム構造で、その7~8部屋が幼虫を納めて白繭で封印されている。)
 
 たっぷり庭で遊び、夜は8時間熟睡した。
 

ユニオン・ジャック

2014-06-23 19:50:28 | 日記
2014年6月23日(月)

 KMBさんの楽しい英国旅行も遂に終わり、めでたく羽田へ御帰還の由。午前7時前のモノレールの中からメールをくださった。

 「ロンドンで撮った写真も添付します。たった二週間ですが、浦島太郎のようです。」
 「今日からREALLIFEに戻ります。欲しかった洋書を手に入れたので、まずは楽しみます。」

 何という充実!洋行でリトリート、欲しかった洋書を入手しての帰還、鷗外・漱石はじめ明治以来の全ての日本人の、精神的シェイプアップの原型だ。
 僕はといえば、実は羽田の「再開発」以降、海外に出ていない。1976年に羽田で出入国、その後は成田しか知らないのである。すっかりものぐさになって、次の機会があるものかどうか。
 
 いただいた写真の中から一枚だけ、いちばん強烈なのを転載する。
 僕のほうは日曜夜の『ダウントン・アビー』をこのところ楽しみに見ていた。抑制のきいた感情表出と、辛辣でもあり温かくもある人間観察がたまらなく良い。秋からシリーズ2放映だそうで、第一次世界大戦を英国貴族の一家と使用人達がどう乗り越えていくのか、今から興味津々である。

 

※ Mさんへ:
 ロンドンの雑貨店内のようなんですが、木製のフローリングの上に軽自動車が鎮座していて、これが全身イギリス国旗の模様に塗られているんです。W杯サポーターも顔負けのボディ・ペインティングなのでした。

親ツバメ雨をものともすべきかは/剣を携え静かにやってくる者

2014-06-23 08:49:29 | 日記
2014年6月22日(日)

 朝から本降りで、完全に降り込められている。
 「晴耕雨読」は風雅に聞こえるが、その日の計画が天候に左右される覚束なさと受動性を、現代人はガマンできない。だからこそ、「農」を離れないほうが良いというのである。人間が万能ではないことを僕らは簡単に忘れるが、思い出すのもさして難しくない。

 昨夕、ツバメの姿を見たのを思い出し、数歩の距離を傘さして門まで行ってみた。案の定、門の屋根裏に今年も営巣している。対の親ツバメは雨中へ飛び出しては飛び返り、給餌に余念がない。留守の間は静かに見える巣の中から、親が戻るが早いか三つの首がついと伸び、ピーピー餌をせがむ。
 何としても不思議である。小鳥たちの中では、ずば抜けて強靱なつくりとはいえ、掌に載るか載らぬかのこの小動物が、つい先頃南洋から数千㎞の風浪を越えて飛来したばかりだという事実!
 そうか、それなら日本の梅雨など、少々雨脚が激しくても給餌の妨げになるはずないのだ。
 えらいなあ。

 親ツバメ雨をものともすべきかは
 昌策

*****

 武器輸出三原則見直し。
 これはいけない、これはまずい。
 集団的自衛権の問題、僕は真っ向反対だが、まだしも議論の余地があると思っている。日本人の安全を守るために日本人がどう振る舞うかという問題だから、自分らのこととしてじっくり話し合うまでで、おそらく選択肢も多様なのだ。
 武器輸出は違う。他人の安危につけこんで商業上の利得を得ようとするのは基本的に悪魔のビジネス、人として最低最悪の背徳に属する。神の法廷で厳しく糾弾される性質のもので、それがまかり通るのはただ「皆がやっている」からに過ぎない。だからこそ・・・
 過去数十年、日本が世界最高のハイテク水準を実現しながら、悪魔のビジネスと本格的な関わりをもたなかったこと(部分的な関わりは確かにあったけれど)は、実は非常な祝福だった。その事実以上に、国際社会でそのような定評を得たことがどれほど大きな「国益」を産み出したか、その幸運を思わずにいられない。
 「平和を愛する道義の高い国」、その定評の潜在的な力は百万の軍隊に匹敵しただろう。

 6月16日開催の「ユーロサトリ」に、日本が初めてブースを設けた。
 リベラシオン紙は「新たな武器輸出国」の見出しのもと、「日本は静かにやってきた」と評する。背徳のハイテク?僕らが気づく前に、世界が目ざとく注視する。
 むろん、現政権の武器輸出緩和方針の結果であり、狙いである。

 僕らをどこへ連れて行くつもりなのか?

しまなみ一望/心の視力 in 『百年の孤独』

2014-06-22 08:43:15 | 日記
2014年6月21日(土)

 日中のフライト、梅雨の雲海をかき分けていくので眺めは期待していなかったが、切れ切れの雲が遅く速く飛び過ぎていくのを見上げ見おろすのは、実は飽きないものだ。
 上がりきったと思う間もなく降下が始まり、雲の下に出たところで眼下に「しまなみ海道」が開けた。いきなり多々羅大橋である。海道中、最も長く、最も美しく、大三島と生口島を結んで愛媛・広島の県境にもなっている。中央径間長890mは完成当時、斜張橋として世界最長だった。現在では中国江蘇省の蘇通長江公路大橋(1,088m)に次いで二番目だという。
 斜張橋は何しろ美しいのである。遠見に綱の幾何学的な配列が優雅であり、走る車の中から見上げるとSF的な眩暈を催すようだ。堅牢で信頼性の高い工法だが、精密な計算に基づく高度の技術を要するという。古来、白砂青松というところ、青い海の中の白い橋が新たなコントラストになっている。
 

 大三島の手前が伯方島、さらに大島へ、道はこんなふうに伸びているのか。
 日頃自分のやっていることを、こうして頭上数kmから随時に俯瞰できたらいいのにな。
 
 前にも書いたが、芸予諸島は海の中に島々が浮かんでいると言うより、もともと本四を太く結んでいた陸地に無数の水路が開けたようなもので、水面より地面の占める面積のほうが大きい。そのことが手に取るようによく分かる。

 15分遅れて到着。警官がひとり、ピックアップゾーンで目を光らせていて、拾ってもらうのに少し手間取った。
 夕方さっそく庭の草刈り、2日前に注文しておいた回転刃の電動草刈り機がまずまず使えて安心する。何で10年前にこれを考えなかったと、後悔しきり。
 まもなく本降りになってきたので、中へ移ってリビング掃除。土間の上がり口を雑巾がけしていたら、手にビリッと来た。ネズミが電気のコードを囓って被覆がところどころ破れている。囓るネズミもビリッと来たはずだが、平気なのかな・・・

***

 出てくる前にMさんと「バックドロッパー」の件でやりとりあり。
 移動中は『百年の孤独』を読みながら来た。単行本、細かい活字で300ページほどの大作だが、珍しく飽きるということがない。240ページあたりまで来て、残り少なくなっていくのが惜しいぐらいだ。
 ある一族の百年史のようなもので、誰が主人公とは特定しにくい作りになっているが、ウルスラという名の女性は全体を貫く生き証人というか太母というか、不可欠の人物である。
 このウルスラが超高齢に及んで「そこひ」のために視力を失っていく。老いの宿命だが、そのパフォーマンスは落ちるどころか研ぎ澄まされていく。衰える視力を補うために、嗅覚が非常に役に立つことを彼女は学ぶ。記憶力も頼りになる。そして何より、目が見えなくなるにつれて彼女の洞察はいよいよ鋭くなる。
 そのようにしてこの超・老女は、家族のなくした物を誰よりも早く見つけ、孫娘の秘め事に誰よりも早く気づく。目からウロコというのか、痛快というのか、これだから小説読むのはやめられない。
 僕も実は左眼に「そこひ」があるが、これは遠近両用の眼内レンズを入れてもらい、おかげでかえって老眼鏡要らずになった。以来、老眼をかこつ人には「白内障になるといいですよ」と勧めたりする。しかしこれは、事の半面でしかない。
 肉体の視力が時の容赦ない力によって衰えていくとき、これに逞しく適応していく中で、心の目と魂の視力を養うということがあったのだ。そうすれば少しずつ、Mさんの境地に近づいていくことができるかもしれない。
 

バックドロッパー

2014-06-21 10:05:16 | 日記
2014年6月21日(土)

Mさんより:
 おはようございます!
 今日のブログの最後のところの(右はバックドロッパー)に聞こえるのですがどんな物ですか?

石丸より:
 聞き違いではないです。
 携帯電話のスタンドなんですが、その形がまるでプロレスのバックドロップという技をかけたように、人が後方へのけぞって弓なりのアーチを作っているんです。その両手がケータイを囲んで支える形になっているんですよ。ヘタな説明ですが、分かりますか?

Mさんより:
 ありがとうございます。わかります。おもしろいです。

***

 家族に言わせると、この姿勢は「ラヂヲ体操第4みたい」だそうだ。

 さて、ちょっと出かけてきます。次は松山からの予定。