2017年1月25日(水)
被爆二世さんは長崎生まれで福岡在住、逆に福岡生まれで長崎在住の放送大学(院)OBから連絡があったことを先に書いた。その後、O君というこの彼 ~ 博士号取得が決まり、今や立派な臨床家/研究者O氏 ~ がブログを読み、以下の話を伝えてくれた。プルトニウム型原爆の投下先変更にまつわることである。
O君のお祖母さまは小倉の人だったから、当日の天候のおかげで命拾いすることになった。いっぽう、O君の奥さんのお祖母さまは長崎に住み、原爆の標的になった三菱造船所で働いておられた。1945年8月9日は、たまたま体調不良をきたして友人に外勤と内勤を交代してもらったという。そして、11時2分に爆弾が投下された。お祖母さまは難を逃れ、友人は亡くなった。
災害を生き延びた人々の survivor`s guilt がどれほど深いものか、毎度の震災で僕らはいやというほど学んでいる。ましてこんな経緯の後で、助かった人の毎日もまたどれほど苦しいものだっただろうか。
「奇しくも互いの祖母がからくも難を逃れ、その孫同士が一緒になったことに言葉にならない縁を感じております。」
「私の祖母は一昨年大往生しました。祖母がつないでくれた自分の命、そして我々から生まれた子どもの命を大切にしていかなくてはいけないと、今夜もあらためて感慨を共にしました。」
つけ加える言葉は何もない。
Ω
2017年1月25日(水)
先週の日曜日の話の続き。中高生にラザロの復活の話をした後、今度はM師によるマタイ福音書の講解を伺う。9章1~8節は『中風の人の癒やし』と呼ばれる場面である。「中風」の原語が ταραλυτικος つまり paralytic であることは知っていたが、何となく脳卒中後遺症と思い込んでいたのは「中風」の字面に引っ張られたからで、翻訳語の影響力というものである。(今朝のラジオで「熟議」の重要性を強調する論者の「熟議はもともとドイツの学者が言い出したことで」に首を傾げたのもこの関連だ。)実際は麻痺性疾患一般の総称だから、脳性麻痺の未成年だったかも知れないし、神経難病を患う成人だったかも知れない。ともかく手足が麻痺して体の自由が利かないから、来たくとも自力では来られなかった。
そこでその患者を床に寝かせたまま、人々がイエスのところへ連れてきたのである。「人々ね」と読み過ごしそうだが、いったいこれはどんな人々か。家族親族か、近隣の「人々」か、通りすがりかボランティアか、誰であれ病の時に癒し主のもとへ運んでくれる「人々」に巡り会うものは幸いだ。ベトザタ(ベテスダ)の池にはそういう親切に恵まれることなく、38年間待ち続けた病人がいた。イエスが何を思ってか「良くなりたいか」と問いかけた病人である(ヨハネ 5:1-9)。
万事ほどよく整形するマタイの筆法だが、素材の原型をよりよく保存すると考えられるマルコでは、「イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした」と書かれている。聖書の面白さをどうしてもっと味わわないのか、屋根をはがして病人をつり降ろす話なんて、驚き呆れ泣き笑いしながら読むはずのものだ。生真面目にしかつめらしくお上品に読める話か。「当時この地域の屋根は日本の瓦屋根と違って簡単に取り外せるもの」と、したり顔の注釈もあり、たぶんそうでもあるのだろうが、地上を人かき分けて進むのとはやっぱり違う。運ぶ人々はイエスしか眼中になく、ただイエスのそばに連れて行きさえすれば事は成ると信じている。その信仰をイエスは「見た」。M師によれば、「信仰以外のものを見なかった」ということでもある。
この場はその後のひねりが重要であり、不可解でもある。イエスは「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と告げる。それに対して律法学者が瀆神の疑いをもち、それを見抜いたイエスが「『罪は赦される』というのと、『起きて歩け』というのとどちらが易しいか」と反問する例の場面である。どちらが易しいの?律法学者の問より先に、病の癒しを求めてきた人間に対して「あなたの罪は赦される」とは何たる見当外れかと、近代人の常識が反応する。見当が外れていないことを知るには、幼子の素直さか熟年の叡知か、どちらかが必要なようだ。
M師はそこに立ち入る代わりに、思い出話をしてくださった。師の青年時代、年輩の信徒で病みついて教会に来られなくなった人があった。青年らが問安を思い立って訪ねていくと、高い窓からかろうじて明かりが入るほどの部屋でその人は床についている。青年達の顔を見て、「◯◯さんはどうしていますか?」と問う。消息を伝えると、しばらく黙って目を閉じている。やがて目を開け、「△△さんはどうしておられますか?」と問い、また黙って目を閉じる。ひとしきりそれが繰り返された。床から立てないその人は、ひとりひとりのために祈っていたのである。
「ひとつ励ましてさしあげよう、などと思って出かけていった私たちが、すっかり励まされ慰められて帰ってきたのです」とM師。「この方は元気な間、和服で教会にいらして正座で礼拝にあずかるような人でした。床について足が利かなくなっても、この方の魂はしっかり自立しておられました。かえって私たちが、いったい自分たちは自立しているかどうかを問われたのです。」
「(イエスは)中風の人に、『起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい』と言われた。その人は起き上がり、家に帰って行った。」(9:6-7)
イエスは病人を罪から解き放ち、自立させた。ついでながら「起き上がる」と訳された動詞の原形は εγειρω、 「起き上がらせる」の意とともに「死から甦らせる」の意味がある。イエスがラザロを死者の中から甦らせた、という時に用いられるものと同じである(ヨハネ 12:1)。マタイが言う「これほどの権威」(9:8)がどれほどの権威なのかも、自ずから明らかだ。
Ω
2017年1月24日(火)
わりとマジメに一日仕事して、夕方ふと見る西の空。思わず「おっ!」と声が出た。何と玄妙な。
地上では区立中学校のグラウンドに照明が入り、仄白く浮かんだ円形の舞台で生徒らがサッカーボールを蹴っている。水平視野には大学のビルが黒々とそびえ、四角い窓だけが明るく抜けて実験工場の内部が手に取るように望まれる。その上に神経細胞の標本のような冬枯れの枝枝、そのバックライトが橙色に焼けた地平線で、視線を挙げていくと薄水色から青、群青、藍色そして漆黒の成層圏まで厳かにスペクトルを描き、上方には宵の明星。中でも不思議なのはちょうど中央あたりに浮かんだ切れ切れの雲で、地平線の向こうの太陽から送られる光線を反映して真っ昼間のように白く明るいのである。
「マグリットの絵みたいな・・・」
と思わず口を衝いた。ヘンかな、ヘン?燕尾服を着たようなツバメ、プラネタリウムみたいな満天の星空、自然から遠く離れた都会人の倒錯・・・?
そうじゃない、そうではないと思いたい。溢れるほどの自然に囲まれていても、切り取り方を知らないということがある。今夕のこの風景は非日常的な美しさだが、それを貴い贈り物として感知するアンテナがなかったら気づかずに見過ごすだろう。切り取る視点を教えてくれるのが芸術の功徳で、「自然が芸術を模倣する」という逆説も ~ 誰が言ったのか知らないが ~ そのあたりのことを言ったのだろうと思う。
ルネ・マグリット(1898-1967)は大変なクソガキだったと何かで読んだ。ベルギーのどこかの街の育ちだが、ある時何を考えたか隣家のドアを板で釘付けにして、当然ながら大目玉を食らったとか。1912年には母が謎の入水自殺を遂げたとある。これが14歳の少年に何かを刻印しなかったはずはないが、それはともかく成人後の生活は「波乱や奇行とは無縁の平凡なものであった」という。「ブリュッセルでは客間、寝室、食堂、台所からなる、日本式に言えば3LDKのつましいアパートに暮らし、幼なじみの妻と生涯連れ添い、ポメラニアン犬を飼い、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝するという、どこまでも典型的な小市民であった。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・マグリット)「仮面紳士と逃亡奴隷」などという話を思い出したりする。
ついでながらネット上でたまたま見つけたこと。下記は『エクソシスト』の一場面、僕はこの映画を見ていないが悪魔払いのため神父がマクニール邸に入る場面だそうである。これが「光の帝国」の影響を受けているとされる由、下記にあり。そうなのかな、昼空との対照がないのでは、原画とはまるで異質なものと僕には思えるのだけれど・・・ちなみに「自然は芸術を模倣する」はオスカー・ワイルドだそうだ。アリストテレスの言葉を逆手に取ったのだね。
山田視覚芸術研究室 https://www.ggccaatt.net/2015/01/19/ルネ-マグリット-光の帝国/
Ω
2017年1月24日(火)
話が戻って二つ前の日曜日、中高生との礼拝に与えられた箇所は「ラザロの復活」の場面(ヨハネ福音書 11:38-44)である。仮死状態の病人を蘇生させたという話ではなく、完全に死んで四日も経った(丸三日が経過した)人間を甦らせたというもので、奇跡と言っても他の奇跡とレベルが一段違う。ヨハネは「霊的福音書」などと称され、三つの共観福音書と区別されたりもするが、不意を突くように他が言及しない生の事実を突きつけてくることがある。ベタニヤのマルタとマリヤはルカ福音書(10:38-42)にも登場し、ルカとヨハネの伝える雰囲気にあまりにも齟齬がないので、僕はどちらがどちらに書かれているかよく混乱していた。
「もうにおいます」(11:39)というマルタの言葉一つとっても、決して読みやすい箇所ではないし、まして受け容れやすい箇所でもない。幼い頃から周囲に聖書のある環境で育ってきたが、「ラザロの復活」を最初に知ったのは実は聖書からではなく『罪と罰』からである。高1の夏休みだから45年近く前になるが、家にあった旺文社文庫の江川訳をたまたま読んだことで、たぶん人生が少なからず変わった。
予審判事のポルフィリー・ペトロビッチは食えない男で、まるで刑事コロンボみたいに初めからラスコーリニコフが真犯人だと見抜いている節がある。その直観の裏づけを取るといった具合に ~ あるいはラスコーリニコフの人物像の全体を再構築することによって、起きた事態を総体的に理解しようとするように・・・この水準まで来ると、判事の仕事も心理臨床のそれと変わらない、要は共感的理解である ~ 広がりをもった問いかけや細部を穿つ質問で相手を翻弄する。
その最初の、そして非常に面白い場面は、第三部(五)、上巻のP.443から。
「じゃあなたは、やはり新しきエルサレムを信じておられるのですか?」
「信じてますとも」ラスコーリニコフはきっぱりと答えた。こう言ったときも、またいまの長広舌の間も、彼は終始下を向き、じゅうたんの上に選び出した一点だけをじっと見つめていた。
「で、神も、神も信じておられるんですか?やたら質問攻めにしてすみませんが」
「信じています」ラスコーリニコフはこうくり返し、ポルフィリーを見あげた。
「ラザロの復活も信じますか?」
「信じますよ。なぜ聞くんです?」
「文字どおり信じますか?」
「文字どおり」
「なるほど…どうも物好きな質問をしてしまって」(以下略)
***
まるで一途な信徒の信仰告白といった態で、この段階でのラスコーリニコフの行動や彼自身が掲げる思想とは、どうにも一致しない。といって、彼は予審判事の心証を気にして善良ぶっているわけでは決してない。当時の僕には訳が分からず、ただ訳も分からないのになぜこんなにワクワクするのだろうと思っていた。そして「文字どおり?」「文字どおり」というやりとりに強く興味をひかれていた。今でも訳は分からないが、今の分からなさにはドストエフスキーという作家の底知れぬ力量への畏怖が重なっている。というのもこれはある重要な伏線になっているからで、「信じている」と言いながらろくに読んでいなかったその箇所を、ラスコーリニコフはソーニャによってあらためて聞くことになる。第四部(四)は赤鉛筆で三重丸が記してあり、ひどく気に入った箇所らしい。下巻 P.88から。
「ラザロのとこは、どのあたりかい?」突然彼がたずねた。
ソーニャはかたくなに床を見つめていて、答えようとしない。彼女はテーブルにいくぶん横向きかげんに立っていた。
「ラザロの復活はどこ?探してくれないか、ソーニャ」
彼女は横目に彼を見やった。
「そんなところじゃありません…第四福音書です…」彼のほうに近寄ろうとはせず、彼女は小声できびしく答えた。
「見つけて、読んでくれないか」こう言うと、彼は椅子にかけ、テーブルに肘をついて、片手で頬杖をつき、ぶすっとした顔でわきのほうを向いて、聞こうと身がまえた。
『三週間もしたら、精神病院のほうへどうぞだ!おれも、たぶん、そっちのほうにいるさ、それより悪いことにならないかぎりね』彼は心のなかでつぶやいた。
ソーニャは、ラスコーリニコフの奇妙な頼みをけげんな面持ちで聞くと、ためらいがちにテーブルのほうへ近づいた。それでも、本は手にとった。
「お読みになったことがないんですか?」テーブルの向こうから上目使いに彼を見あげて、彼女はたずねた。彼女の声はいちだんとけわしいものになった。
「ずっとまえ…学校にいたころには、さあ、読んで!」
「教会で聞かれたことはないんですか?」
「ぼくは…行ったことがないんだ。きみはたびたび行くのかい?」
「い、いいえ」ソーニャはつぶやいた。
ラスコーリニコフは苦笑した。
「わかったよ…じゃ、あすもお父さんの葬式には行かないわけだな」
「行きます。わたし、先週も行ってきたんです…供養をしに」
「だれの?」
「リザベータのです。あのひと、斧で殺されたんです」
彼の神経はますますいらだってきた。頭がくらくらしはじめた。
「きみはリザベータとは仲よしだったのかい?」
「ええ…あのひとは心の正しいひとでした…ここへも来てくれました…たまにでしたけれど…そうそうは来られなかったんです。でも、いっしょに読んだり…お話したりして。あの人は神を見る方です」
聖句のようなこの言葉は、彼の耳に異様にひびいた。それに、彼女がリザベータと秘密に行き合っていたことも、ふたりがふたりとも神がかりだということも、新しい発見だった。
『こんなところにいたら、こっちまで神がかりになってしまう!伝染するぞ!』と彼は考え、ふいに「読んでくれ!」と押しつけがましい、いらだたしい調子で叫んだ。
ソーニャはまだためらっていた。心臓がはげしく打った。なぜか彼に読んでやる気持ちになれないのだ。彼は、ほとんど苦痛に近い表情をうかべて、『不幸な狂女』をながめていた。
「なんのために読むんです?だってあなたは神さまを信じていらっしゃらないんでしょう?」
彼女は小声に、なぜか息を切らすようにしながらささやいた。
「読んでくれ!そうしてほしいんだ!」彼はあとへ退かなかった。「リザベータには読んでやったじゃないか!」
ソーニャは本を開いて、場所をさがした。彼女の手はわなわなとふるえ、声が声にならなかった。二度読みかけて、二度とも最初の一句でつかえてしまった。
『さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、…ベタニヤの人であった…』
***
ここらでやめよう、でないと『罪と罰』をまるまる書き写すことになっちゃう。それにしてもなんで、どうしてこんなに面白いんだろう?フロイト先生の御批判はさることながら、やっぱりこれが一番おもしろい!
Ω