散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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もう一言

2017-01-24 08:02:10 | 日記

2017年1月24日(火)

 しつこく追記したくなるのは、やっぱり心配だからでしょうね。

 「変なことをするくらいなら国家としてのアメリカはもっと内向きであるべきだ」(勝沼氏) ← ここ、激しく同感します。ただしトランプ大統領は、どう考えても内向きではないですよね。それが心配なんです。

 今朝のラジオ解説者がトランプの経済政策の矛盾を指摘していました。いろいろありますが私が理解した一番のポイントは、保護主義に走ることによってアメリカの消費者は安くて優良な輸入品へのアクセスを断たれ、生活物資の高騰が進んで庶民生活はかえって苦しくなるだろうということでした。そしてこれは、「隠れトランプ」層が彼を支持した最大の理由を失わせるというのです。

 私が怖いのはその先です。そういう時に政治指導者が目ざすお決まりの手法は「対外摩擦へ人々の関心を振り向ける」ということで、これはめったに外れのないやり方ですよね。北朝鮮は言うに及ばず、中国でも韓国でも指導者らの常用ツールです。トランプがその手を使わないはずがなく、さしあたり日本などはよほどとっちめても手痛い反撃を食らう危険のない安全牌と目されているでしょうから、さぞあれこれと難癖つけてくることでしょう。「自動車をこのままにしておくなら、尖閣なんか知らないよ」ぐらいは序の口でしょうね。そんなのとは桁違いに大きな恐怖に曝されている人々が、地球上至るところで声を挙げているわけですけれど。

 トランプが成功しても失敗しても僕らに嬉しい話はなかなか出てこないし、中韓との関係は知っての通りですから、日本の外交は当分の間、辛抱の時代が続くんだろうと思います。「政治はそのようであっても文化はまた別」という文脈で、最近の韓国で柴犬がブームになっているニュースなんかはこういう時勢に悪くないものです。(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170123-00153400-toyo-bus_all)

 ・・・突然ですが、鶴竜がんばれ!

  http://w3.dreams.ne.jp/fj3958/145653_2.jpg より拝借

  http://automobilemusic.com/wp-content/uploads/2015/05/アヒルと鶴竜 〃

Ω


追伸 ~ 街場の外交談義

2017-01-22 22:26:30 | 日記

2017年1月22日(日)

 勝沼さんへの追伸です。当ブログもそこそこ継続するにつれ、同じことを新しげに何度も書いていたり、書いた覚えのないことが埋もれていたり、ガラクタ箱の面白さが出てきて悦に入っていますが、それもこれも読んでくれる皆さんのおかげでして。

 アメリカの国際戦略が ~ アメリカだけに限らないかも知れませんがとりわけ目立って ~ A国を抑えるためにB国にテコ入れし、その結果強くなりすぎたB国を抑えるためにC国に肩入れし、C国が増長してくるとグルッと回ってA国やB国を助け起こす愚かしさの連鎖であることを、だいぶ前に書いたような気がします。現に中東などで悪性の連鎖反応が進行中ですが、その出発点は他ならぬ日本を叩くために中国と結んだところにあっただろう、等々。

 トランプ流の大ナタがこうした連鎖を断ち切る方向に動くなら、長い目で見て案外な効果もあるかもしれません。ただ今さら引くにはアメリカは既に深入りしすぎているし、中東等に深い利害関係をもつ組織や個人も多数あり、アメリカが引けばロシアなり中国なりがここぞとばかり出てくるだけですから、なかなか less bad とはいかないような気がします。シリアが当面の試金石になるかと思うのですが、こうして騒ぎが大きくなればなるほど拉致被害者の帰国が遠くなるかと、残念でなりません。

 それにしても「世界80カ国で470万人が抗議行動」(朝日新聞一面)って、たいへんな動員力ですね。僕らはそういう時代に生きているんですね。鏡像現象として、ヨーロッパの右翼政党が軒並み勢いづいているのも見逃せないでしょう。しかし「各国の極右指導者が一堂に会する」って何だか不思議です。右翼というのは国粋主義だから右翼なんで、要するに自国・自民族の利益伸長以外に関心をもたないのだから、国境を越えた連帯って語義的にあり得ないですよね。もちろん政治は語義で動くものではないし、さしあたりお互いの損にならないエール交換なら、 win-win (!)の広報イベントってことですか。

 『夕陽のガンマン』の中で、クリント・イーストウッド扮する賞金稼ぎとリー・ヴァン・クリーフ演じるモーチマー大佐が盗賊退治で手を組みながら、「(賞金を手にするのは)結局は一人ってことさ」と毒々しく笑い交わす場面がありましたっけ。この二人は最後は和やかに別れるんですけれど、映画ですからね。禿頭の悪役面、リー・ヴァン・クリーフは好きな俳優でした。

    

Ω


二大政党制の昔話

2017-01-22 09:43:57 | 日記

2017年1月22日(日)

 勝沼さん、さっそく来ましたね。そんな気がしていました。オリバー・ストーンのコメントのこと、お知らせありがとうございます。昨夜寝る前に、一言追記しておきたいと思ったこととも関連するようです。

 アメリカの歴史を辿ると、「アメリカ第一で他所のことには口を出さない」路線と「アメリカの見いだした価値をアメリカの力で世界に広げよう」路線との角逐は、かなり早くからあったようですね。ロシア革命後には「一国社会主義」vs「世界革命」の対立がありましたし、大きな力が生まれるところには宿命的につきまとう問題なのでしょう。

 アメリカの場合、二つの路線の対立はある時期まで、二大政党制のシステムによって調整されていたのだろうと思います。伝統的には民主党が「良いものをアメリカの力で世界に広げる」路線、共和党が「アメリカを大事にして世界のことはほどほどに」という路線だったでしょう。モンロー主義で知られるジェームズ・モンロー(第5代大統領)は共和党でした。その約一世紀後に、民主党のウッドロー・ウィルソンが第一次世界大戦勝利の余勢を駆って国際連盟を提唱したものの、議会であっさり否決されて当のアメリカが国際連盟に加盟しなかったことなどが思い出されます。

 この図式は南北戦争をはさんで20世紀まで続いており、ナチス台頭後も国際社会への関与には消極的だったアメリカを外向きに転じることに腐心し、ABCD包囲陣で日本をかなり悪辣に挑発して遂に目的を達したF.ルーズベルトは典型的な民主党型の大統領でした。大戦後の冷戦時代には既にアメリカが国際社会に引きずり込まれており、民主党であろうが共和党であろうがその事実から逃げるわけに行かないので話は錯綜してきますが、両党の基本的なスタンスは人々のイメージの中では生きており、政党の側もそれを意識しながら政策決定をしてきたと思います。(両党のスタンスの違いが国際政治だけに限らないことは言うまでもありません。)

 しかしこの図式は、今ではほとんど機能しません。その最大の原因はブッシュ親子ではなかったかと思います。「原因」が言い過ぎだとすれば、共和党のあり方とイメージが決定的に変質したのは、G.H.W.ブッシュ(第41代)が指揮した湾岸戦争(1991)と、G.W.ブッシュ(第43代)が指揮したイラク戦争(2003)の時期だろうと推測するのです。ある知的なアメリカ人に言わせれば、湾岸戦争は「クウェートではなくブッシュ家の石油の利権を守るため」の戦争だったそうで、この言葉を聞いたのは1994年頃でしたから、2003年にまたしても同じような構図で戦争が起き、そして「大量破壊兵器は実在しなかった」と判明(!)した時にはかなり強い無力感がありました。

 詳しく見ていくと終わらないので、いったん切りあげましょう。要するに、オリバー・ストーンの批判の対象は「アメリカの民主党的な方向性の負の側面」であると考えたら分かりやすいと思うのです。これに対して「余計なお節介で迷惑をまき散らすことをやめ、良くも悪くもアメリカ第一で行きましょう」という主張は、伝統的には共和党に政権を委ねることで自動的に果たされてきた ~ だいぶ古い話? ~ のですが、ブッシュ親子の赫々たる功績とともにその種の共和党らしさは雲散霧消しました。そのこともあり、モノのレベルや人々の生活のレベルで否応なく国際的な相互依存が強まっていることもありで、今ではトランプ氏ぐらい乱暴なことを言い、乱暴なやり方をしないと、「アメリカ第一」などとは言えなくなっているのかなというのが、勝沼さんへのさしあたりのお返事です。

 ただ、トランプ大統領は単に「アメリカ第一」を言うだけでなく、女性やマイノリティなどアメリカの大事な一部である人々を敵に回し、一般に和解ではなく憎悪を助長するやり方を鮮明にしていますから、「落ち着いて見守ってい」て大丈夫かどうか、非常に心配ではあります。ということで結局は、「変なことをするくらいなら国家としてのアメリカはもっと内向きであるべきだと思っています。まぁだからトランプ支持となるわけではないのですが。。。」という勝沼さんの述懐と、非常に近いところに落ちるのですね。

 さて、そろそろ出かけてきます。良い一日をお過ごしください。

***

・タイトル

オリバー・ストーンのトランプ評

・コメント

 非常に興味深いことですが、先日、映画『スノーデン』の宣伝で来日していたオリバー・ストーンが「トランプのアメリカファーストは正しい。まぁ落ち着いてトランプを見守りましょう」と言っていました。

 一見驚きましたが、インタビュー全体から見るとなるほどなと思いました。オリバー・ストーンはアメリカがその理想とは裏腹に世界に対してやってきたことを批判的に描いてきた人ですから、アメリカは内向きであるべきだという人なんですね。アメリカのダブルスタンダードの負の方に焦点を当ててきた人ですから。スノーデン事件なんてまさにそうです。自由と民主主義の正反対といえるのが監視社会なわけですから。

 実は私もオリバー・ストーンに近くて、変なことをするくらいなら国家としてのアメリカはもっと内向きであるべきだと思っています。

 まぁだからトランプ支持となるわけではないのですが。。。

Ω

 


朝刊のこと、診療のこと

2017-01-22 08:01:19 | 日記

2017年1月20日(金)に、書いたつもりで書き忘れていたこと:

 被爆二世さんに知らせたい記事が朝刊にあり。長崎の原爆体験を伝える目的で朝日新聞が長崎県内版に連載を続けている『ナガサキノート』、その連載が3000回を迎えたとある。詳しくは紙面に譲るとして、『ナガサキノート』というタイトルに目を引かれた。僕の年代の者が直ちに連想するのは大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)、1965年に上梓されたノン・フィクションである。明らかに意識しているだろう。大江は愛媛県内子町が生んだノーベル賞作家ではあるが、小説はどうも好きになれない。強いて挙げるなら『遅れてきた青年』は嫌いではないというぐらい。ただ、『ヒロシマ・ノート』は衝撃的だった。その勢いで『沖縄ノート』も読んだ。

 「どんなに筆を尽くして書いてみても、実際に被爆を体験した人からは、『こんなものではない』と言われる」という趣旨のことが、『ヒロシマ・ノート』のどこかにあった。ことの性質上、絶対に筆舌には尽くせないものがあり、それを極限状況と呼ぶのか。あるいは、それを体験した人にとって「こんなものではない」と言い続けるほかないような状況があり、それが極限状況であるのか。そんなくだらないことでも考えながら読まないことには、どうにもたまらない気もちだった。「ことの性質上、絶対に筆舌に尽くせない」ものが他にもあるとすれば、統合失調症の発病期に起きることがそれではあるまいかと後年思った。『ヒロシマ・ノート』の遅れてきた影響であったろう。

 

 先日は杉山アナと『まんだら屋の良太』から「小倉」が偶然の結び目として浮上したのだったが、長崎に落とされたプルトニウム型原爆は、当初小倉に投下されるはずだったことが知られている。当日朝の小倉が曇り空であったため、直前になって投下目標が変更された。落とす側にとっては一定の条件を備えているならどこでもよく、しかしどこかでなくてはならなかった。一方にとってはどうでも良いことが、他方の運命を未来永劫にわたって分ける。「ノート」を綴る役割は、小倉ではなく長崎の人々に託されることになった。

 被爆二世さんは長崎出身で福岡在住。逆に福岡出身で長崎在住の放送大学(院)OBから連絡があり、活躍ぶりを知らせてきた。彼は元ラグビー青年で杉本哲多の雰囲気がなくもないが、ケンカはしないはずである。杉本自身は立派な不良少年あがりとあるが、何でも駅前(逗子?藤沢?)で派手にケンカして、そのケンカっぷりが見事でスカウトされたと聞いた由、これはブログを読んだ母からの追加情報。杉本の姑さんが中村メイコで、この人も(その御家族も)ただ者ではない上に、相当の酒豪と聞いている。この面々がお正月に集まると、どんな風景が展開されるんだろう?

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 スポーツ面では、板東英二の凄さが毎日のように回顧されている。二年生のショートで後にプロ野球で活躍した大坂という選手の話に、「板東さんが投げると、ほとんどショートに飛んでこない。私らは試合の外におるんですよ」とある。板東は三振を15個とらないと走らされたそうだ。27アウトの半分以上が三振なら、「野手は楽なようで楽ではないのかもしれない」という記者の説がたぶん正しい。対魚津高戦の二回裏、ショートゴロエラーで徳島商がピンチを招いた場面である。四球二つがからんで満塁になったが、板東は後続を二飛、一ゴロに退けた。延長18回まで、まだまだ先が長い。

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 診療の合間にとりとめもなく。摂食障害は単純な食欲の変調には収まらないし、ある種の睡眠障害は単なる眠りの不足・不規則では片づかない。言葉で語る代わりに体で語っていると見れば、かなり深いレベルのコミュニケーションの問題である。自己と自己身体との乖離というテーマが至るところに顔を出し、しばしば自我障害の水準に及ぶ。体-心-魂の全てのレベルが音を立ててきしんでいるようだ。「去る者日々に疎し」と格言はいうが、どれほど日が経っても疎くなれないとすれば、人は先へ進むことができない。記憶力の低下を嘆く声があり、忘れることを禁じられた嘆きがある。別々のことに見えて、実はすべてつながっているのではないか?

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 「私の年のものは、心がけて思い出づくりを始めませんとね。」

 思い出は、思い出すためにある。人生の最終章で作る思い出は、いつどこでどのように思い出すのだろう?人は皆、不死を信じている。僕にはそのように見える。

Ω

 


還暦のこと

2017-01-21 18:52:29 | 日記

2017年1月21日(土)

 『なぜなに日本語』というのは読売新聞の人気コラムなのかな。読売はとっていないが、ある人が記事のコピーをくださったので面白く読んだ。以前ブログにも書いたが、還暦と数え年の基礎知識について関根健一記者が要領よく書いておられるので、転記しておく。同記者の似顔絵が秀逸で、もちろん赤いちゃんちゃんこをお召しである。

 赤いちゃんちゃんこは長寿の祝いであると同時に、老境入りを社会的に宣言する社会儀礼でもあった。潜在的には「楢山入り」の意味を含んだことだろう。「還暦」は60の倍数でしかありえないから数え年の61歳から動かすわけにいかないが、赤いちゃんちゃんこに託される意味づけは十二支をもう一巡した数え73歳ぐらいが現状にあっていると思われる。

 そんなことを考えながら迎えた正月5日、日本老年学会・日本老年医学会が高齢者の定義を「65歳以上」から「75歳以上」に改めようとの提言をまとめ、物議を醸した。一気に10歳引き上げは思いきったものだが、実際そんなものかもしれない。

 ただしこれは医学的な観点からの軌道修正であって、年金や福祉のあり方と自動的にリンクするものではない。そうあってはならないということ、大方の論者の言う通りである。以上、念のため。

  なぜなに日本語332 『還暦 数え年では何歳?』

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 新年になると「おめでとうございます」とあいさつします。どうして「めでたい」のでしょう? 昔の暦では春の訪れとともに新年が来ました。太陽が輝きを取り戻し、生き物が活動を始める季節に再び出会えるのはめでたいことでした。

 そして、お正月には、みんな一緒に一つ年をとりました。生まれた時点で1歳、おせち料理を食べるごとに1歲ずつ加えていくこの計算法を数え年と言います。数え年によるならば、お正月はいわば全員の誕生日ということになり、お互いに「おめでとう」と祝いあったのです。

 さて、今年は酉年ですね。動物にちなんだ呼び名の十二支と、十干(甲、乙、丙、丁…の順で並んだ十の言葉)を組み合わせ、60種類の言い方(干支)が作れます。年に当てはめると、60年に1度、61年目に同じ干支が還ってきます。それを還暦と呼びます。年齢を指す言葉です。2017年は、丁酉(ひのととり、ていゆう)で、1957年と同じ干支です。

 57年生まれの人は今年、還暦を迎えました。満年齢では誕生日が来るまではまだ59歳ですが、還暦は数え年で計算するので、みな仲良く61歳です。めでたいのはいいけれど、2歳も年をとってしまうのはなあ、と思う人も!?

(関根健一)

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