今日は釈迦ケ岳と大日岳に登った。
この辺の山々はどれもこれもドストレートに仏教名が付いているところがすごい。
もちろん、修験道や山岳仏教の修行の場であることからの、名前の由来だ。
大峰山系も実際に歩いてみると、ぼくなんかにはやはり海の気、黒潮の気を感じる。
と同時に、やはり紀伊半島とは、環太平洋の黒潮流域の中のひとつの島のように思えてくる。
紀伊半島の海を漕ぎ、そして山を歩く。
その行為の中にいろいろな発見があるのだけれど、そこでの感覚を研ぎ澄ませていくということは、黒潮感覚を養っていくってことにもなるんじゃないかな。と言ってもなかなか分からないかも知れないけれど、紀州でシーカヤックを漕いでいると、場所によって黒潮感覚の濃淡ってものがあるのが分かるし(南に行けば行くほど濃くなるけれど、北のほうでもホットスポットみたいな場所がある)、また他国に行って別の海を漕ぐと全身を包む体感が全く違うってのも分かるし、色んな場所と比べてみて総合してもそういう黒潮特有の気みたいなものがあることはぼくには実感としてある、というか自分の中ではもう常識になっている。
で、それは陸に上がって紀伊半島の野山を歩いてみても同様に感じるわけ。
客観的な自然科学の目から見ても、紀伊半島の自然って、とどのつまり「黒潮」が育んだものだし、それならそうと、「紀伊半島とは環太平洋の黒潮流域のひとつの島だ」と捉えた方が色々明確になるし、豊かな発想が導き出されると思うわけ。
あるいは「黒潮の流れの中の中洲」とか。
その中にある、山と森。
熊野、髙野、大峯と、縄文古来からの自然信仰の聖地が世界遺産になっているわけだけれど、そのスピリットの本地、エッセンスとはずばり、黒潮の気なんじゃないかな(実際に熊野三山のひとつ、新宮・速玉大社の「速玉」というのは黒潮のスピリットのことらしい)。そう考えると海と山とがひとつに繋がるわけで、また修験道という大昔からの山の信仰の始祖的存在である「役行者(えんのぎょうじゃ)」が同時に海を感じさせる存在でもあるということにもつじつまが合ってくる。
紀伊半島は面白いけれど、「環太平洋の黒潮流域」、という視点で見てみるとますます面白くなってくる。
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