一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1959   鵜のむくろ喰らう鴉に迷いなし   狭心

2018年06月04日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 自然界の習わしである光景を詠んだ掲句に、私は強い衝動を覚えた。この句の要点は、「迷いなし」にある。鴉が迷うはずがないのに、わざわざ「迷いなし」としている。句の終わりに、人間の感受性を込めているのである。

作者は、この言葉を入れることにより、鳥と人間を置き換えて考える様示唆しているのではあるまいか。「人のむくろを人は迷いなく喰らうことができるか?」

 この句、人間社会の「掟」又は「宗教」さらには「人間の不思議」についての問いかけをしている。(石川炎火記)

 

古暦捨てて来福希わんか

佐保姫の裳裾触れたか山笑う

同じ道今年も逢えて濃菫

死に近きアバンギャルドに華のあり

緑陰やみどり児笑みて瞳の青し

 

花の道憩う良夜やハイボール

野川にも「 もじり 」盛んに梅雨暮色

生臭し芽吹き降る夜の静寂かな

蟇百匹組んず解れつ春うらら

御仏の優しき里の田植かな

 

年毎に縮む身丈や盆灯籠

立ちんぼの果ての至福やトリス・ハイ

青鷺の釣り師のごとく佇めり

汗くさき工夫ら美蝶にまとわられ

函南の郷のシュールや曼珠沙華

 

あの花がこの赤の実か烏瓜

おでん鍋底に見えくる小宇宙

さくら・やなぎ枝垂競ひて水面まで

いのち昇る高木の梢一葉まで

父の日の話も無くて八十路かな

 

まどろめるドロ亀動き平和かな

うれしきは早苗田に直ぐミジンコの湧く

生存てるよ獺の叫びは幻聴か

六十年怒り治めずゲバラの眼

新蝶のルリ鮮明に目を射たり

(岩戸句会第五句集「何」より 三浦狭心)

シモツケ(下野)