一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1936   道無きほど著莪咲き乱る法の山   稱子

2018年05月07日 | 

 京都五山の送り火は、〇大文字山(大)、〇浄土院西山(妙)東山涌泉寺(法)、〇船山(西方寺)、〇左大文字山(法音寺)、〇曼陀羅山の五山で炎が上がるらしい。

 その中の、東山涌泉寺の送り火が「法」の字であり、東山又は涌泉寺が「法の山」と言われているという。

 さて、法の山とは、衆生や修行僧に道を説く寺であろう。この句の「道無きほど」著莪が咲き乱れているとは、昨今の世界の混迷のごとく、仏教など宗教そのものが、道を示すことができなくなっている・・・・ということを暗喩しているのではないのか。

ホウチャクソウ(宝鐸草)



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