(とうさんも/ かあさんもいた/ あきまつり)
前回と同様、句集をいただいての選句である。私は、他人の句は極力見ないようにしている。読んで知ってしまうと、その句を作ることができないからだ。しかし、いただいた限りは読まねば失礼になる。こういうのを、痛し痒し、と言うのかな。
さて掲句、私は作者を良く知っているから、作者の父母は既にこの世におられない、ことを知っている。つまり、自分の子供の頃を懐かしんでいる句だ。しかし、これを現在形にして
父さんも母さんもゐる秋まつり
としたらどうだろうか。私は、俳句の現在形は過去形を包含しているのではないか、と思う。
あなたなら、どう思いますか?
合同句集「くにたち」NHK学園発行より
ススキ(芒、薄)尾花とも
まもなく十五夜、今年は早いから
芒の穂が出ないところがあるかもしれない
今朝のラジオ深夜便で
「今日は重陽の節句です」と言っていた。
NHKまで新暦でやっているのか、とがっかり。
別名「菊の節句」とも言われ旧暦の9月9日は
新暦では10月5日です。
お間違えのないように!
コメント、有難うございます。
俳句の場合、過去形と現在形のどちらがいいのか、私なら現在形を選ぶ、と申し上げています。極力、現在形にすべきではないでしょうか。
勿論、考え方は人それぞれです。この句の場合、当然過去形でも構いません。
突然、横合いから失礼致します。
「父さんも母さんもゐた秋まつり 良一」
優しくて、柔らかい句ですね。一読して、自分も子供の頃の秋祭を思い出してしまいました。
作者は自分自身が、幼い頃に立ち戻って、詠んでおられますよね。
言葉使いが 子供言葉で 父さん と 母さん と言っているのが、珍しいですね。なかなか、大人になると、こうは書けません。そこが、とても面白いと思います。
過去を詠んで、現在を暗示するという作り方ですね。そこで、この句を現在にするのは、少し無理が生じると思います。意味が変わってしまいます。
現代にしますと 例えば文字を いる として読んでみますと、現在は離婚が多く、片親が多い。そこに、自分にはお父さんもお母さんも居て、一緒に秋祭りに行くんだよ、と言う子供俳句として読めなくもありません。
ゐ と言う文字があると無いでは大違いです。ゐがあることにより 大人の句だとして、とても大きな働きをしています。それが過去形に ゐた となっていて十二分に働いてくれています。
それともう一つ、普通の文章にすれば「父さん(と)母さん(が)と書きますが、これが(も)の助詞が二つ使われています。
これは、俳句に深みと広がりを込めたのだと思います。
父さんも母さんも と言う事は、爺ちゃんも婆ちゃんも、兄ちゃんも姉ちゃんも、弟も妹も・・・、と言うのが隠されているのではないでしょうか。つまり家族が沢山居たということが「も」に込めらているのではないでしょうか。これにより、昔は家族がいっぱい居た楽しい秋祭りだったというのではないでしょうか。
それが、今は、両親は亡くなり、子供さんは都会にでもいて、そちらにお孫さんなども居るのでしょうか。そのあたりは分かりませんが、今の秋祭りは 自分夫婦だけなのか、一人なのか?とにかく淋しいな と言う事なのでしょう。
父さんも母さんも 昔は一年中一緒に暮らしていたわけですから、一年のどこの行事にも置き換えられますし、いい変えは出来ます。例えば季語を「クリスマス」や「潮干狩り」にして頭の中で思い浮かべてみて下さい。そして、「秋祭」に戻ってみて下さい。
作者が家族の思い出の中では 秋祭りが一番楽しい思い出だったと「秋まつり」を選んでおられます。
頭の中で、四季をぐるりと廻ってもう一度秋祭に帰って見る。そうすると、昔の秋祭の賑やかさや家族のことなど、この句が4倍楽しく読むことが出来ると思います。
突然、長々と書きまして、すみません。作者の方にお叱りを受けるかもしれませんが、その時は誤りますので、お許し下さい。
貴重な御意見、有難うございます。
私は、深読みのissyoなどと言われていますが、照れまんさまもなかなかの深読みですね。恐れ入りました。
でも、含みや、連想を許すものもあります。
それが季語です。季語の持つ含みを生かしてないものは俳句ではありません。
「秋まつり」の「秋」には、淋しさが含まれています。
ですから 「父さんも母さんもゐる秋まつり」 は、俳句ではないのです。
ご意見、有難うございます。但し、
もう少し詳しく説明していただけませんか?
意味がよく分かりません。
<秋声を聴けり古曲に似たりけり 相生垣 瓜人>
「き」、「けり」は過去の助動詞です。
「父さんも母さんもゐた秋まつり」の「秋まつり」は、現在ただ今の秋まつりから、過去の秋まつりを追想しています。詩に、俳句に成っています。それに比べて、
「父さんも母さんもゐる秋まつり」には、追想も連想も割り込む余地がありません。ただの報告文、散文です。
私が感じたことを、また裸で申し上げてしまいました。失礼な舌足らずの表現をお許し下さい。
ご説明、有難うございます。よく分かりました。
但し、私は未だに「現在形主義」なので、考え方を変えた訳ではありません。
それを具体的に説明するのは難しいので、改めて別の機会に反論したいと思います。
有難うございました。
私はただただ、ゲームを楽しむような感覚で議論(?)をしたかっただけなのに、どうやらお心に触れてしまったようです。お詫びして済むことでは有りませんが、お許し下さいますように。以後、私の悪癖でもある、軽率な物言いを改めるよう、勤めて参ります。
父さんも母さんもいた秋祭り
を、私が選んで講評したのは、この句が良い句だと思ったからです。従って、この句を誉めていただき、その良さを言っていただくのに問題はありません。
私は、全く腹を立てたりしていません。唯、このコメント欄では、上手く説明できないので、別の機会に、と申し上げたのです。
これからも、是非鋭いコメント、ご意見をお願い致します。