一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

361  父さんも母さんもゐた秋まつり  良一

2011年09月09日 | 

  とうさんも/ かあさんもいた/ あきまつり)

 

前回と同様、句集をいただいての選句である。私は、他人の句は極力見ないようにしている。読んで知ってしまうと、その句を作ることができないからだ。しかし、いただいた限りは読まねば失礼になる。こういうのを、痛し痒し、と言うのかな。

  

 さて掲句、私は作者を良く知っているから、作者の父母は既にこの世におられない、ことを知っている。つまり、自分の子供の頃を懐かしんでいる句だ。しかし、これを現在形にして 

 

父さんも母さんもゐる秋まつり 

 

としたらどうだろうか。私は、俳句の現在形は過去形を包含しているのではないか、と思う。

 

 あなたなら、どう思いますか?

 

合同句集「くにたち」NHK学園発行より

  

ススキ(芒、薄)尾花とも 

 

まもなく十五夜、今年は早いから

芒の穂が出ないところがあるかもしれない 

 

今朝のラジオ深夜便で

「今日は重陽の節句です」と言っていた。 

 

NHKまで新暦でやっているのか、とがっかり。 

 

別名「菊の節句」とも言われ旧暦の9月9日は

新暦では10月5日です。

 

お間違えのないように!

 


コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 360   100ワット分... | トップ | 362 俳句一服  江戸時... »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お答えします。 (八王子のつれづれ草)
2011-09-10 19:17:35
仰るお気持ちはよく解かりますが、言葉でお答えするには、私などには難しすぎます。俳句は読み手によって様々に変化するものでしょうが、私は、先ず一読して最初に感じたものを大切にしています。俳句と理屈とは別物で、相容れないものと思っております。
返信する
過去形と現在形 (issyo k)
2011-09-11 02:42:32
八王子のつれづれ草 さま

コメント、有難うございます。

俳句の場合、過去形と現在形のどちらがいいのか、私なら現在形を選ぶ、と申し上げています。極力、現在形にすべきではないでしょうか。

勿論、考え方は人それぞれです。この句の場合、当然過去形でも構いません。
返信する
秋祭 (照れまん)
2011-09-12 11:59:50
こんにちはー
突然、横合いから失礼致します。
 「父さんも母さんもゐた秋まつり 良一」
優しくて、柔らかい句ですね。一読して、自分も子供の頃の秋祭を思い出してしまいました。
作者は自分自身が、幼い頃に立ち戻って、詠んでおられますよね。
言葉使いが 子供言葉で 父さん と 母さん と言っているのが、珍しいですね。なかなか、大人になると、こうは書けません。そこが、とても面白いと思います。
過去を詠んで、現在を暗示するという作り方ですね。そこで、この句を現在にするのは、少し無理が生じると思います。意味が変わってしまいます。
現代にしますと 例えば文字を いる として読んでみますと、現在は離婚が多く、片親が多い。そこに、自分にはお父さんもお母さんも居て、一緒に秋祭りに行くんだよ、と言う子供俳句として読めなくもありません。
ゐ と言う文字があると無いでは大違いです。ゐがあることにより 大人の句だとして、とても大きな働きをしています。それが過去形に ゐた となっていて十二分に働いてくれています。
それともう一つ、普通の文章にすれば「父さん(と)母さん(が)と書きますが、これが(も)の助詞が二つ使われています。
これは、俳句に深みと広がりを込めたのだと思います。
父さんも母さんも と言う事は、爺ちゃんも婆ちゃんも、兄ちゃんも姉ちゃんも、弟も妹も・・・、と言うのが隠されているのではないでしょうか。つまり家族が沢山居たということが「も」に込めらているのではないでしょうか。これにより、昔は家族がいっぱい居た楽しい秋祭りだったというのではないでしょうか。
それが、今は、両親は亡くなり、子供さんは都会にでもいて、そちらにお孫さんなども居るのでしょうか。そのあたりは分かりませんが、今の秋祭りは 自分夫婦だけなのか、一人なのか?とにかく淋しいな と言う事なのでしょう。
父さんも母さんも 昔は一年中一緒に暮らしていたわけですから、一年のどこの行事にも置き換えられますし、いい変えは出来ます。例えば季語を「クリスマス」や「潮干狩り」にして頭の中で思い浮かべてみて下さい。そして、「秋祭」に戻ってみて下さい。
作者が家族の思い出の中では 秋祭りが一番楽しい思い出だったと「秋まつり」を選んでおられます。
頭の中で、四季をぐるりと廻ってもう一度秋祭に帰って見る。そうすると、昔の秋祭の賑やかさや家族のことなど、この句が4倍楽しく読むことが出来ると思います。
 
突然、長々と書きまして、すみません。作者の方にお叱りを受けるかもしれませんが、その時は誤りますので、お許し下さい。
返信する
深読み (照れまんさま)
2011-09-13 10:16:32
照れまん さま、

貴重な御意見、有難うございます。

私は、深読みのissyoなどと言われていますが、照れまんさまもなかなかの深読みですね。恐れ入りました。
返信する
議論、大好き! (八王子のつれづれ草)
2011-09-17 20:36:35
私にも割り込ませて下さい。  俳句は、簡明を何よりも大切にする文芸です。だから、つきつめて、つきつめて、文章ではなく、「もの」に託して詠うのです。
 でも、含みや、連想を許すものもあります。
それが季語です。季語の持つ含みを生かしてないものは俳句ではありません。  
 「秋まつり」の「秋」には、淋しさが含まれています。
 ですから 「父さんも母さんもゐる秋まつり」 は、俳句ではないのです。
返信する
意味が分かりません (issyo k)
2011-09-18 04:07:40
八王子のつれづれ草 さま


ご意見、有難うございます。但し、
もう少し詳しく説明していただけませんか?
意味がよく分かりません。
返信する
有難うございました。 (八王子のつれづれ草)
2011-09-20 16:55:51
絶縁されなかったことに感謝!   御言葉に甘えて続けます。「現在形は過去形を包含している」は、ナンセンスだと思います。(詩文でも、あり得ないのではないでしょうか) 「俳句は極力現在形にすべき」のは勿論だとは思いますが、過去を用いなければ表現出来ぬ場合も多々あります。
<秋声を聴けり古曲に似たりけり  相生垣 瓜人>
「き」、「けり」は過去の助動詞です。

「父さんも母さんもゐた秋まつり」の「秋まつり」は、現在ただ今の秋まつりから、過去の秋まつりを追想しています。詩に、俳句に成っています。それに比べて、

「父さんも母さんもゐる秋まつり」には、追想も連想も割り込む余地がありません。ただの報告文、散文です。

私が感じたことを、また裸で申し上げてしまいました。失礼な舌足らずの表現をお許し下さい。
返信する
現在形と過去形 (issyo k)
2011-09-22 03:47:12
八王子のつれづれ草さま

ご説明、有難うございます。よく分かりました。

但し、私は未だに「現在形主義」なので、考え方を変えた訳ではありません。

それを具体的に説明するのは難しいので、改めて別の機会に反論したいと思います。

有難うございました。



返信する
誠に申し訳ありませんでした。 (八王子のつれづれ草)
2011-09-25 19:10:33
とんでもないことを申し上げてしまいました。
私はただただ、ゲームを楽しむような感覚で議論(?)をしたかっただけなのに、どうやらお心に触れてしまったようです。お詫びして済むことでは有りませんが、お許し下さいますように。以後、私の悪癖でもある、軽率な物言いを改めるよう、勤めて参ります。
返信する
全然気にしていません (issyo k)
2011-09-26 06:04:35
八王子のつれづれ草  さま

父さんも母さんもいた秋祭り
を、私が選んで講評したのは、この句が良い句だと思ったからです。従って、この句を誉めていただき、その良さを言っていただくのに問題はありません。

私は、全く腹を立てたりしていません。唯、このコメント欄では、上手く説明できないので、別の機会に、と申し上げたのです。

これからも、是非鋭いコメント、ご意見をお願い致します。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事