芭蕉を慕い、奥の細道の旅に随行した曽良は、62歳の時に巡検使の随員として九州に旅したが、芭蕉が没して17年後の宝永7年5月22日、壱岐の勝本で病に倒れ客死した。曽良の墓は勝本の能満寺にあるが、没して30年を経た元文5年(1740年)、甥の河西周徳により、故郷諏訪の正願寺にも曽良の墓標が建てられた。
オトシブミ(落とし文)は、ゾウムシ上科の昆虫でクロモジ(黒文字)の葉などに卵を産み、上手に葉を巻いて、地面に落とす。この揺籃が、江戸時代にわざと落とした巻き手紙に似ているので、付いた名前だそうである。「ホトトギスの落とし文」「落とし文の揺籃」などとも呼ぶ。
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アカメガシワの雄花