(げんかんに/ うみがきておる/ のわきかな)
「野分」は、「のわき」が正しいようだが、「のわけ」とも読む。秋の暴風雨で台風などをさす。
今年の台風12号も15号も、結構な爪跡を残した。浸水した家々も多いから、まさにこの句のようだったろう。津波でやられた石巻は、地盤沈下で満潮ともなると、今まさにこの句の通りだ。
掲句、作者によると、20年前の台風の時の作という。作者の解説は、以下のコメント欄をご覧下さい。
ということは、日本が誕生して以来、地震や台風、津波、噴火、山津波などは必ずあったわけで、これからもずーっと自然災害はあり続けるのだ。
ところが「災害は忘れた頃に必ずやってくる」わけで、諺通り忘れてのんきに暮らす方がいいのかもしれない。いつもおどおど暮らしたってどうにもならないからだ。
シロバナハギ(白花萩)
いやいや~、私の拙い句を載せて頂き、ありがとう御座います。
こんな、素晴しい俳句ブログに 二句目を載せていただいて、恐縮します。
野分といえばこの句。
「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 蕪村」
この句が、私の颱風の句の手本でありまして、いつか、こんな句が詠みたいというのが夢です。
まず、鳥羽殿(とばどの)と言うのがいいですね。上皇の造った離宮。上皇が院政を行っていて、天皇と対立。そこで、上皇方に味方するべく、五六騎の武者が駆けて行く。そのスピード感!それと、いよいよ合戦か?と言う不安感。
風が吹き始めて、本格的な颱風になるぞと言う、何ともいえぬ胸騒ぎのようなものを感じます。
蕪村が500~600年も前の事を思って書いた句でしょうか。素晴しい句ですね。
私は 颱風の句を作る時は、常にこの句が頭にあって、こんな句を作りたいと思うのに、なかなかそうはいきません。出来損ないばかり作っています。
上掲の句は、そんな句の中では、割とよく出来た句で、これなら蕪村さんに見せられる句かなと思った句でした。
そんなことでして、ありがとう御座いました。
これからも、よろしくお願い申し上げます。
おはようございます
蕪村は、当時より600年以上前の出来事を想像して句に詠んだのですね。
現代と異なり、読む本や歴史が格段に少なかっただけに、蕪村にとって強いインパクトがあったんでしょうね。