社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

12月22日(土)

2012年12月24日 17時29分11秒 | 2012年

  9時半起床。起きたら既に、阪南に住む叔父が来ていた。久しぶりに会ったので、あれこれと話をする。祖父同様、私が産まれた時にまだ中学生だった叔父も、私を可愛がってくれた。だから、叔父が結婚した時や、子ども(私にとってはいとこ)が産まれた時には、ちょっとした嫉妬を覚えたりもしたものだった。しかし、今度は私がいとこたちを可愛がる番である。ちなみに、叔父からすると、私はいつまでも子どものイメージで、今こうして働いていることは未だに不自然な感じがするらしい。まあ、そりゃそうか。

  ご当地キャラ全盛期の今、松原市にも「マッキー」というキャラクターが作られたらしい。頭には松と薔薇が載っていて、ベタだが、そのベタさが大阪っぽく、更に言えば松原っぽい。地元のお菓子屋さんでマッキーせんべいが売られたり、商品券が配られたりしているらしい。こういう取り組みをきっかけに、少しでも町が活性化したらいい。

  11時過ぎに松原の家を出て、叔父と母と3人で天王寺へ。天王寺で叔父と別れ、私と母は再び大阪船員保険病院へ行く。弟は、昨日にも増して元気そうだった。病院のご飯がまずいと文句を言ったり、隠れてタバコを吸いに行ったりしている。その良し悪しは別にして、まあ大丈夫だということだろう。

病院も、ちょっとだけクリスマスモード。

  1時間ほどお喋りをして、私は帰途につく。せっかくの機会なので、近鉄特急アーバンライナーに乗ることにする。大阪難波駅14:00発のノンストップ型で、少し奮発をしてデラックスシートを購入した。完全に独立した1人席で、座席間隔や幅も広く、電動式のリクライニングシートで超快適だ。難波を出てすぐに駅で購入した「天むす弁当」を食べ、そのあとは熟睡。目が覚めたら、津に到着していた。津から名古屋までは、40分ちょっとである。どうやら、1時間以上寝ていたらしい。

  名古屋には16時過ぎに到着。すぐに駅の地下街へ移動し、「スガキヤ」でラーメンを食べる。ここのラーメンは鉄板だ。危うく、持ち帰りのインスタント品まで購入するところだった。

スガキヤのキャラクターは「スーちゃん」

  名古屋駅16:53発ののぞみ36号に乗り、東京へ。いつも通り車内販売のアイスクリームを買おうとしたら、新しくみかん味が登場していた。東海道新幹線限定販売らしい。味はロッテの「爽」のようにさっぱりしつつも、スジャータのアイスの濃厚なうまみもしっかり残っていた。さすがはスジャータ。

  定刻通りに東京駅に到着し、19時半過ぎに実家へ帰宅。

  21時過ぎ、車に乗って家を出る。青森で働いている友人が、大学の同級生の結婚式のために帰ってきているので、まずは彼の実家へ迎えに行く。着くと同時に彼が結婚式から帰ってきて、ちょうどお母さんともお会いし、家の中にご招待頂いた。コーヒーとリンゴ、お菓子を頂き、30分ほどお喋り。物静かで温厚なお父さんと、明るく気さくなお母さんという彼のご両親は、いつお会いしても魅力的だ。こんな素敵なご両親から生まれた彼が良い奴なのも、いわば必然なのかもしれない。

  彼の家をおいとまし、もう1人の友人も合流して、まずは近所のスーパー銭湯へ。天然温泉の露天風呂にゆっくりと浸かり、一日の疲れを取る。ちょっと長湯し過ぎてのぼせてしまったが、やっぱり広いお風呂は気持ちいい。

  近くのガストへ移動し、軽めの食事。とは言っても私は夕飯を食べていなかったので、がっつりハンバーグを食べた。

  この時既に時計は2時を指していたが、そんなことは全く気にせず、先々週も行ったダーツバーへ。時間的に人が少なかったこともあって、店員のお兄さんが色々とコツを教えてくれた。見た目がちょっといかついので怖いのかなと思っていたが、気さくでノリが良く、しかも教え方も上手。おかげで、今日だけでかなり上達したと思う。おすすめのダーツショップも教えてもらったので、さっそく明日にでも買いに行ってみよう。完全に、ハマってしまったのだ。

  帰宅は6時過ぎ。完全に空が明るくなっていた。


12月21日(金)

2012年12月24日 17時17分09秒 | 2012年

  4時起床。超を通り越して眠い。睡眠時間が2時間を切っているのだから当然だ。身支度を整え、4時半過ぎに家を出る。あたりはまだ真っ暗で、人も全くいない。結局、本郷台の駅に着くまで一人も見かけなかった。

  京浜東北線で大船へ出て、東海道線で小田原へ。小田原駅06:15発のひかり493号に乗り、一路新大阪へ。広島行きの電車だったので寝過ごすのが不安で、車内では何とか頑張って起きていた。

明け方の富士山。

  地下鉄を乗り継ぎ、大阪港(天保山)にある大阪船員保険病院へ。9時半過ぎに到着する。ナースセンターで部屋の番号を聞き、弟の病室へ。着いたのは9時半だったが、すでに松原(大阪市の南東にある)に住む祖母が来ていた。始発に乗り、6時半には来ていたらしい。弟は酸素吸入器をつけてはいるものの、何食わぬ顔でベッドに横たわり、本を読んでいた。今も胸が痛いが、歩けるようにもなり、特に不自由はないらしい。一安心である。

  11時半前に母が到着し、一緒に弁天町にある弟の部屋へ着替えなどの荷物を取りに行く。朝から来てくれた祖母は、ここで一旦帰宅。弟の部屋は思った以上に広く、掃除も比較的きちんとなされている。周りの環境こそあまり良くない(すぐ裏に高速道路が走っていて、空気が悪い)が、駅からも近いし、一人暮らしとしては恵まれているほうだろう。

  病院に戻って荷物を届けてから、駅を挟んで病院の反対側にある大阪港へ。天保山マーケットプレイスというショッピング複合施設の「なにわ食いしんぼ横丁」の一角にあるオムライスの老舗「北極星」で昼食。私は定番のオムライスメニューの中から「ビーフオムライス」を選択し、トッピングにエビフライをつける。薄めのウスターソースのようなケチャップをつかったケチャップライスと半熟の卵の相性は抜群だし、自家製のトマトソースも変な酸っぱさがなく素朴なうまみがあって、めちゃくちゃおいしい。これまで食べたオムライスの中で1番である。全体的に薄味(「なつかしい味」と表現するのが適切かもしれない)なので、結構な量でもペロッと平らげることができる。これは、予期せぬところで素晴らしいお店を見つけた。さすがは食の街。

  入院に必要な物を母が買っている間の時間を使って、大阪港を見て回る。海遊館や遊覧船サンタマリア号など、小さい頃によく連れてきてもらった観光スポットが懐かしい。特に、サンタマリア号は、当時(おそらく小学校低学年の頃だった)はめちゃくちゃ大きな船に見えたが、今見るとかなりコンパクトに見えて、時間の経過をひしひしと感じさせられた。

  病院に戻る途中、ミルキーのアイスクリーム屋に立ち寄る。寒いので迷ったのだが、結局購入。ミルキーの味がそのままソフトクリームになっていて、美味しい。これは、寒さに耐えてでも食べる価値がある。

  母と合流し、病院近くの商店街を通る。その中の和菓子屋さんで弟の好きそうなものをいくつか購入。しかし、この商店街も、その他全国の多数の商店街同様、シャッター街と化していた。商店街の沈殿には、大規模商業施設の登場や人口減少などメジャーな理由以外にも独特の複雑な事情があるのだが、ここも例に漏れず同じような状況のようである。正直、商店街の活性化はかなり難しい。

  病院へ戻り、主治医の先生の説明を聞く。気胸であることに変わりはないが、その中では軽傷なほうで、レントゲンで見た肺も9割ぐらいの大きさは維持されていた。そのため、とりあえず外科的処置の必要はないそうだ。CTの結果にもこれといった異常はなく、自然気胸で間違いないとのこと。あとは、外部に漏れて肺を圧迫している空気が抜けるのを待つだけらしい。しかし、今後もしかしたら肺がさらに小さくなる恐れがあるため、1週間程度は入院したほうが良いとのことだった。クリスマスを病院で過ごすことになった弟は不満そうな顔をしていたが、まあそれもいずれは良い思い出になるだろう。

弟が検査に行っている間に、入院ごっこをして遊ぶ。

  19時前に病院を出て、天王寺へ。近鉄百貨店に入っているお好み焼き屋「ゆかり」で夕食。私は、エビやカニなどが入ったお好み焼きをモダン焼きにしてもらう。店員さんが目の前で焼いてくれ、もっちりめのモダン焼きだった。これはこれで結構美味しいと思う。


デザートの柚子シャーベット。

  22時前に松原にある祖母の家に到着。仏壇で祖父に手を合わせ、ゆっくりとお風呂に浸かってから、祖母と母と3人でゆっくりとおしゃべり。こういう言い方をしては何だが、弟のおかげで久しぶりにこういう時間を持つことが出来た。

近鉄線に乗るのも久しぶりだ。

  0時前に就寝。せっかくなので私は仏壇のある部屋に布団を敷き、祖父の写真の前で眠る。最初の孫である私を溺愛してくれた祖父は、きっと今も私のことを見守ってくれている気がする。