グーグルマップを使って高知に行ってみた。
地図を徐々に拡大して行くと
あったぁー 私の高校
高校の建物の上に指を置き軽く押すと
それをタップすると
あーー
出て来る 出て来る サテライトフォト
高校の建物に近づいていくと
すっかり綺麗になってしまい
時計台がなければ母校とは分からなかっただろう。
指を使ってスクリーンにある高校の前の通りを進んで行くと
隣に立つ私立の女子中高が出て来た。
明治生まれの祖母はその女学校に通っていた。
私が通っていた高校はその頃男子校で
女生徒が男生徒と通りで一緒になった場合
下を向き男生徒と目を合わせない様にするものだったらしい。
”それやにね 松本のおばさんは男生徒とすれ違う時に
顔をあげて生徒の顔を覗きみるがぞね。”
祖母が言う松本のおばさんは女学校以来の友人。
小学生の私を連れ祖母はよく松本のおばさんを訪れてもいた。
祖母と比べハイカラで小奇麗にもしている方だったけど
祖母と同じように苦労もされていた。
ある日 大人の会話に退屈した私に
”イジーちゃん 目は口ほどに物を言う って知っちゅう?”
と 松本のおばさんが私に言い
心を見通された事にドキリとした事も思い出される。
祖母と60年近く友達だった松本のおばさんは
祖母がこの世を去った日、祖母が最後に会話を持った人でもある。
私が中学3年だった3月3日
入院していた松本のおばさんのお見舞いに行った祖母は
その帰り市電にはねられ亡くなった。
お葬式の日だったか私は松本のおばさんに言われたんだ。
”私の見舞いに来てくれたおばあちゃんはあの朝
この頃のイジーちゃんはおばあちゃんと喧嘩ばっかりすると
困っていたぞね。”
と、、、。
見えるのですね。学校正門前に止まった軽四のナンバーも
これなら見えてますね。昨年の夏はここで よさこいを見ました。
イジーさんの祖母様は私の大先輩に当たります。
そうでしたか 女学校時代のお友達のお見舞いに行かれて
その帰り道 祖母様は電車にはねられ亡くなったのですね。
祖母様と暮しておられたイジーさんは辛い事でしたね。
祖母様と松本のおばさまの 土佐弁そのままの会話を
イジーさんが覚えていてくださり嬉しいです。
貴方が、重く受け止めてるなら、
でも喧嘩できるって事は、出来たって事は遠慮が無かったって事、
良い思い出かも、
きっと親になってみれば、解る言葉だったのでしょうけど、その時に言われるのは、
酷かなぁ~~って、感じました。
私の祖母は反抗するのも躊躇われる状態でしたし、大叔母には、どこかで歯止めが掛かっていました。
そして母には、結局何も言えなかった。
一度、思いをぶちまけたかった。
その鬱憤が燻ってる気がします。今でも
>出て来る 出て来る 私の高校
>この頃のイジーちゃんはおばあちゃんと喧嘩ばっかりすると困っていたぞね。”
わっはっはっは、最愛の祖母さまにも反抗的でしたか。
へーっ、祖母さまは学校の先輩にもなるんですか。
>下を向き男生徒と目を合わせない様にするものだったらしい。
いやー、古き良き時代ですね。
>”イジーちゃん 目は口ほどに物を言う って知っちゅう?”
おばさんは人生の師でもあったわけですね
祖母が通っていたと言う事もありこの学校には愛着さえ感じます
綺麗な生徒さんたちも多かったですよね
学生服も憧れでした
写る車のナンバーや人の顔はぼやしてのっています
通りを移動できるのが何ともいいですよね
二つの高校の間の道を永国寺のほうに行った所にある寮で暮らした事がありそこもサテライトフォトで観た事です
周りの様子は随分変わっていますね
私が住んでいた西町はまだうまく探せていないんですが
近くにあった細木病院は確認でき喜んだ事です
祖母を突然亡くした事をうまく自分の中で処理出来ないまま大人になった私です。
寂しいとか 悲しいとかそんな想いを持つ事も出来ないまま
土佐弁を使う事なく40年以上ですが
覚えちゅうと思います
この夏アメリカに来る友人は土佐出身
彼女と土佐弁が喋れるかみものですね
*タカコさんへ
私はもう一人の人にも似た事を言われた事があります
とても良くして頂いた親戚の人ですが
もっとおばあちゃんの手伝いをしたほうがいい と言われました
口達者で気が強く きつい口調で祖母に話していた私です
今この年齢になって
私の中で生きる祖母を感じます
祖母が亡くなり親戚の家での暮らしが始まった時の私は自分をうまく出せない高校生でした
*小父さんへ
面白いですね サテライトフォト
それにしても日本は家々がひしめき合って建っていますね
歩道のように見える道を車が通ると知り驚いたり、、、。
中学3年というといろいろ悪い事もし始めた頃でした
>へーっ、祖母さまは学校の先輩にもなるんですか。
私の母校の隣に建つ女子高を祖母は卒業しました
父は私の母校卒業です
松本のおばさんは しっかりした方でした
あういう人には偉そうな事は言えませんね 笑
*びこさんへ
びこさんやくりまんじゅうさんがあの学校ご出身としり嬉しかったです
びこさんの時代でも他校の男生徒に対する行動について注意があったんですね
祖母と一緒に、家へ行ったことがありました。あかぬけた美しい人でしたね。亡くなった日は「松本のおばさん」宅から急いで西町の家へ帰っていて信号無視をして電車と衝突!!
祖母は、私の母に「、私より、イジーの方が美人や」と言ったそうで母が私に「一緒に暮らしゆう孫がやっぱり、かわいいがぞね」と言っていました。イジーのお母さんきれいだったもんね
祖母が亡くなる数日前、ちらし寿しを作り西町へ持っていきました。寝ていたので家に上がらず、すぐ帰りました。
それが最後でした
母に「ちらし寿司を持って来てくれた。やっぱり、女の子やねえ」と言ったそうです。長男を戦争で亡くしているのに、負けず、明るい楽しいおばあさんでした。
大好きでした
職業軍人さんと結婚されたんじゃないですか?
その写真を持っています
お孫さんのおひとりが障害を持たれていたのもおもいだされます
祖母は信号無視をして電車にひかれたんですか
私はてっきり座り込んで電車を待っていて電車が近づいたときに立ったことから目まいでも起こし倒れかかりはねられたと思っていました
急いでいて信号無視、、、というのは祖母らしい話でもあります 実はそう言うところも私は似ているんです
ちらし寿司をあの離れに持って来てくれたんですか
多分私がそのほとんどを食べてしまった事でしょう
美味しい物や栄養のある物は私が殆ど食べていました
私には比べる祖母もなく その上祖母の存在は当たり前の物であったことから祖母のいい面を感じる事なく暮らしていました。