恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

折りたたみ自転車

2005年04月20日 | 所感とか
ふと思うことがあってTSUTAYAで本を買ってきました。
単に昨日借りたDVDを返却に行くついでなのですが、
さすがに雨が降っていたのでバイクで行くこともなく傘を片手に自転車で。
ちなみに私が所有している自転車は16インチの折りたたみ式。
バイクと電車での移動が主になってしまった今となっては、
自転車に乗ってあっちこっちへ移動するということも少なく、
近所の駅前に飲みに行く時ぐらいしか使わないので、これで充分、
という思いが強かったので、何となく普通の自転車を買う気にもならず、
自宅の玄関にも収納できる折りたたみ式を購入したわけです。
さすがに16インチというだけあって坂道を登る時などはきついのですが、
小回りが利くということと手軽さに関しては申し分ない感じです。

かつて折りたたみ式の自転車で電車に乗り込んで、
降りた駅の周辺をサイクリングしようと企てたことがあり、
人が混まない時間帯を狙って電車に折りたたみ自転車ごと乗車しました。
そもそも電車内に自転車を持ち込むことに問題はないのかなぁ、と思い、
事前にインターネットなどでいろいろ調べたのですが、
折りたたんでいれば手荷物扱いということになるので問題ないらしく、
意気揚揚と自転車ごと乗り込んでいったのですが、やはり現実は厳しい。
改札口を通過する時も自転車を抱えているのでスムーズに抜けられず、
駅員から怪訝な視線を送られたり、道行く人に白い目で見られたり。
別に間違ったことをしているわけじゃないのに、恐懼に堪えざる思い。

電車の中に乗り込んでも好奇の目で見られ、なんともいたたまれず。
中にはオッサンが「そんなもん持ち込んでいいのか?」と聞いてきたり、
「それを持ち込むのにいくらぐらい別料金かかるんだい?」とか、
冷やかされることが頻発し、サイクリング気分も萎えてしまいました。
今になって思えば自転車に何のカバーをかけることもなく、
折り畳んだだけであったので、確かに奇妙な光景であったことでしょう。
自分がいかに正しいことをしているとしても、それが周りの人から見れば、
おかしく見えるということはこれに限ったことではないと思います。
例えば街中で原付が制限速度30キロジャストで走ってたらえらい迷惑だし、
全然車が通らない道で律儀に赤信号で立ち止まっていたら馬鹿正直と言われる。
適切な例じゃなかったかもしれませんが往々にしてあること。
子どもの頃はこうしたことに対して、とても純粋に決まりは決まり、
と受け止めて守っていたものが年を重ねるにつれて段々疎かになるもんです。
まぁこの場合、周りの人が単に物珍しがっていただけなんでしょうけど。

とりあえずこれを機に私が自転車を持って電車に乗ることはなくなりました。
今はもっぱら近所の移動にしか使わなくなってしまいました。
今さら電車に自転車持ち込んでいく勇気などないし、
ましてや通勤時間帯にぶち当たって恐懼に堪えざる思いはしたくないし。
そんな感じで電車やバイクばっかりになり、どんどん体を動かさなくなるから、
余計な所に脂肪がついてくるのかもしれません。
高校野球をやめてから早数年が経過し、あの頃の筋肉もどこへやら。
体を動かすことに抵抗感を覚えるようになってしまった今の自分、ダメです。

恐懼謹言。
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鉄道と公共心

2005年04月19日 | 所感とか
ふと思うことがあってTSUTAYAでDVDを借りました。
単に返却する際のついでに借りてきただけなんですがね。
バイクで近所を30分ぐらい走ってきたのも同じです。
まぁなんだ、家に帰ってきてここを更新しようと思うものの、
最近のgooブログがやたら重くて更新もままならず、
結局更新するのは寝る前になってしまってるんですが、まぁご愛嬌で。

で、今日はちょっと電車の車内放送に関して思うことがありまして、
今日乗っていた電車の中での案内放送なんですが、
「車内での痴漢行為・盗撮行為は犯罪です。」
「これらの迷惑行為にお気づきの御客様は乗務員もしくは駅係員まで」云々。
おいおい、なんかすごい注意だなこれは、って思いましたよ。
携帯電話のご利用は云々っていうのはもう耳に馴染んでしまった感もありますが、
さすがに痴漢盗撮っていう単語を案内放送でストレートにくるとドキッとします。
いや、別に私がそういうことしているからってわけじゃありませんけどね。
こんなもん案内放送でいちいちアナウンスしなくてもわかるだろー、
って言うのが私の率直な気持ちではあるんですが、現実は厳しいようですね。
でなきゃここまで深刻な放送するなんて考えられませんもん。
社会状況が来るべき所まで来ていて、無茶苦茶で瀕死の社会状況、
というのはどこぞの唯一神のお言葉ですが、あながち間違いでもないかも。
最近のニュースではこんな感じで犯罪者撲滅のために色々と画策してるようですがね。
鉄道各社も最近になって本腰で女性専用車両の導入を計画してるようで、
こういうことはぜひとも積極的にやってほしいもんです。

携帯電話の問題については、電車の中にいてもついつい、ってことはあるので、
車掌が耳にタコができるぐらいにしつこく放送する意味はあると思いますが。
しかしまぁ電車に乗る人のマナーっていうのがどうにも
最近は低下しているような気がしてならないと感じることが多々あります。
自分が電車から降りる時に、私が降りるのを待たずホームから乗り込んでくる、
みたいな人が最近は目に付くようになりました。相手がお年寄りなら理解できますが、
これが普通のサラリーマンとか普通っぽい人ばかりだから太刀が悪いんです。
こんなことだから駅の案内放送でも「降りるお客様が終わってからご乗車ください」
みたいに子どもでもわかるようなことまで馬鹿丁寧に言わなければならないんでしょう。
他にも「空いているドアからご乗車ください」とか、
「駆け込み乗車はおやめくださーい!」なんていうのも同様かと。
私の場合子どもの頃に親と一緒に電車に乗るときには、
こうした基本的なマナーについてはある程度教育されてきた記憶があります。
電車に乗る時は降りる人が降りてから、とか床に座り込むな、とかね。
これは今思えば子どもの頃に基礎的な公共心を育む教育だったのだな、と。

ここでやはり思うのは現代日本人に公共心が欠落していることがあるのかもしれません。
自由と権利ばかりが教えてこられて、義務とか公共心というものが忘れ去られてしまった、
戦後民主主義教育の弊害というものを強く意識せざるを得ません。
最低限の感覚として持ち合わせていたいのは「自分がされて嫌なことは他人にもしない」
ということだろうと思います。
とかいいながら、かくいう私も今日は駆け込み乗車をやっちゃいましたけどね。
車掌さんがされて嫌なことだろうと思いますので、今後は慎みます。
嗚呼、自己矛盾。

恐懼謹言。
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思索する夜

2005年04月18日 | 恐懼とか
ふと思うことがあって久々にTSUTAYAでDVDを借りました。
会員カードは持っているものの年に使うのは片手で数えるほど。
そんな使用状況なので年会費を払うのも何となく馬鹿みたいですが、
厄介な学校での報告も終わって今日ぐらいは息をつこうと画策し、
春の夜長をゆるゆると過ごすためにレンタルしてきたわけです。
家から一キロも離れていない場所までバイクで行ったわけなんですが、
そんな近場だけじゃ飽き足らないので近所を30分ぐらい流してきました。
夜の街の空気というのは当然、昼のそれとは一味違い、
違った魅力を見せてくれるので嫌いじゃないですね。
特に夜でも気温が上がってくるこの時期はバイクで軽く街を流すだけで爽快。
そのうちサーキット気分で首都高でも走りに行こうかな、と。

まぁ話は変わるんですが今日は大学の教育実習指導の授業で、
我々と同じ学生が行なう模擬授業ってのを初めて見てきました。
二人がそれぞれの実習予定教科を20分ぐらいで担当する形式なのですが、
さすが自ら名乗り出ただけあってそれなりにサマになってましたね。
そのうちの一人は塾講師の経験も長いということらしく、
話口調や授業の創意工夫でも見習うべき点が多く、かなり衝撃を受けました。
とはいうものの、私はどうもひねくれた性格の持ち主のようで、
しっかりとその人の能力を評価したいものの、素直に羨むという方向にならず、
どうしてもマイナスな面ばかりに目がいってしまい、
いわば重箱の隅をつつくようなことをして素直に「凄いなぁ」と思えないんですわ。
私がどうも負けず嫌いということも関係しているのかもしれませんが、
「俺ならここはこうするんだがなぁ」ということばっかり考えてしまう。
経験的に乏しい私は今日の彼の足元にも及ばないんでしょうが、
なんか知らないけど勝手に闘争心を燃やしている自分がいるんです。
我の分を弁えず、なんとも傲慢甚だしい自分に自己嫌悪。
素直になれない自分についてある程度は悪いと思うのですが、
「三つ子の魂百まで」というようにどうにも自分のことは直せないんですね。

よく履歴書なんかに自分の長所と短所みたいなことを書く欄で、
短所はいくらでも浮かぶのに、自分の長所はなかなか書けないことがありますが、
つまり短所はよく自覚しているのに長所って自分じゃわからないってことですね。
でもさすがに短所の欄に「素直になれない」とは書けないでしょうけど。
とりあえず自分の短所を認識することによって逆説的に長所を発見する、
という手段でも踏んで今後の自己分析にでも役立てていければいいなぁ、と。
就活してない私が自己分析なんていう俄に覚えた単語を使うのは恐懼ですが、
一人の大人としてもう一度自分自身をよくよく見つめなおす時期、かも。
そんなことをDVD見ながら考えていた春の一日。

恐懼謹言。
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怒る技術

2005年04月17日 | 日記とか
毎年恒例のことではあるのですが、
バイト先でそれまでのスタッフが抜けると新人が入ってくるわけで、
当然その指導にあたるのは社員のみならず先輩スタッフの勤め。
しかしながらどうにも私は後輩への指導っていうのが苦手なんです。
高校時代の部活にしても、上級生として後輩に指導するっていう所から苦手で、
なんというか後輩に先輩風を吹かせて接するのが嫌なんですよ。
相手の心の中を無駄に探ってしまうという感じもあって、
自分がこういう風にいわれたらイヤだろうなぁ、とか、
なに偉そうにしてやがんだ、とか思われてたりしたらイヤだなぁって。
思い過ごしには違いない部分も多いんでしょうが、どうにもできないんです。

教師を目指す人間がこんなことでいいのか甚だ疑問ではありますが、
今日にしても後輩のミスを見ていながらも叱責をするわけでなく、
あとで自分でこっそりと手直ししてみたりそんな感じでした。
さすがにこれじゃ本人のためにならないだろうなぁ、と意を決し、
注意を与えたはいいものの、今の言い方はまずかったかなぁと自己嫌悪。
何で人のご機嫌を伺いながら接するんだろうなぁ、
と冷静に考えるとなんとも間抜けな話です。
でも何とか相手に悪い印象を与えないように注意しなきゃ、
と思案し、四苦八苦していたりすることによって精神的疲労も倍増です。

で、そんな感じで思うようにいかないとつい気分も殺伐としてしまい。
私からは近寄るなオ-ラが出てしまうらしく、
カウンターの中まで重苦しい空気になってしまうわけで、
さすがにこれは恐懼に堪えぬ次第であります。
とりあえず人を注意したり、怒ったりする所ではしっかりと怒る。
これこそが本当に相手のためを思った行為なんだろうと信じ、
今後は教育者を目指すものとしてしっかりと実行せねば。
ただ注意しなきゃいけないのは私情・私怨を持ち込んだり、
単なる好き嫌いを越えた上での行いでないといけませんね。
その思いさえ伝われば自ずと道は開けてくることを信じます。

恐懼謹言。
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求心力の低下

2005年04月16日 | 日記とか
まぁ結局ほとんど寝れなかったわけです。
ツーリングの疲れがあっても起きた時間が遅ければ、
そりゃもう早く寝るなんて無理なことは目に見えてます。
しかも寝つきを良くしようと睡眠直前に発泡酒を呷ったのですが、
むしろ逆に脈拍が上がってしまって眠れないという始末。
朝の五時半に起きても疲れが全然取れず、足取りも覚束ないままバイト先へ。

本日のバイトは七時から三時までですが、終わってしまえばこっちのもの。
こう寝不足だといつも三時という中途半端な時間に放り出されても
何もする気力が沸かずにどうしようもない有様なのですが、
気付いてみれば大学の教職課程履修登録は今日が締め切りで、
ただ一枚の紙を提出するためだけのために大学へ赴くのも癪ですが、
奨学金のことで失敗もしているので、ここで失敗するわけにも行かず、
締切時間ギリギリで大学で履修届を提出。
事のついで、でやらなくてもいいのにやらなければならなくなった
ゼミの報告準備のために図書館にこもって色々と史料を吟味したり。
こういう時こそ本当に自分自身が無様で悲しいですね。

月曜に発表なのに自分の専門外の部分だと全くやる気が起きないんです。
私の専門としている分野は現代史で主に1920年以降の日本史なのですが、
今回の報告担当箇所は「開国に伴う日本国内思想の変化」みたいな感じなんです。
去年一年間現代史のゼミで基礎知識を蓄積してきたというのに、
何で今さらペリーとか岩倉具視の文献を漁らねばならんのだ、と煩悶。
もう完全に近代史の範囲なわけで、教養の範囲にしても掘り下げすぎ。
このゼミだって一応「現代史」がテーマなのに完全に方向性が違うし、
今後の卒論の準備やら教育実習準備の妨げになるだけで、
はっきりいって自分にとって有益であろうはずがないんですわ。
たとえ教育実習で担当する部分がここであったとしても、
ゼミの雰囲気から言って、四年生が一人で受講するにはまさに生き地獄。

なんか今年は本気で厄を祓いに行った方がいいんじゃないかと切実に考えてます。
何ごとも身から出た錆ではありますが、そんな自分への戒めの意味も含め、
奥山に篭って滝に打たれて修行でもしたほうがいいのかもしれません。

恐懼謹言。
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休日は峠攻め

2005年04月15日 | 二輪/四輪車とか
学校も始まったこともあって、バイクに乗る機会が激減。
事故に遭ってから通学とバイト先への通勤を電車にシフトしたことも
一つの理由としてあげられますが、一時期に比べれば格段に減少しました。
というわけで今日のように天気が良くて予定もない一日は、
まさに日帰りツーリングにうってつけな一日なわけです。
千葉やら神奈川は何となく行き尽くした感もあるので、
今日は同じ東京都でありながらも多くの自然が残る奥多摩へ進出します。

昼頃に起きるのはいつものこととして、私が西へ向かう際の一番のポイントである、
交通量の多い都心部の通過ですが、今日はそれを回避するため、豪華に首都高を利用。
家の近くにある中央環状線の船堀橋ICから湾岸線、都心環状線、4号新宿線を経由し、
快調なペースで中央自動車道へ流れ込んで均一料金の限界である八王子へ。
自宅から八王子までは1200円の通行料を支払って1時間弱で到着。
いささか割高な気もしますが、ただでさえスタートが遅いのでなるべく早い時間に
目的地に到着したいということと、都心部の混雑部の通過を考えれば納得の価格か。
八王子で高速を降りたあとは国道を使わず、ローカルな陣馬街道へ。
この街道を進んでいくと道幅がどんどん狭く険しくなり、
バイクでもなければよっぽど通過は難しいであろう和田峠を経由するのですが、
なにぶん私がバイクで始めて峠に挑んだのがこの道であるだけに感慨深いものが。
やはり新緑の季節の山道は気持ちのいいものですね。

陣馬街道を抜けた後は、未だに散らない桜が多く残る山道を進み、
かつては有料道路であった奥多摩周遊道路へと向かいます。
この道路は月夜見山の尾根伝いに走る片側2車線の快適ワインディングロード。
車で走るにはちときついかもしれませんが、バイクではまさに爽快そのもの。
途中の月夜見駐車場からは目下に奥多摩湖を展望できるスポットもあり、
こういう時こそ本当に走りにきてよかったと感じる瞬間です。
平日であるにもかかわらずバイクで走りに来てる人も多数見かけました。
やっぱり皆考えることは一緒なんですかね。
ただローリング族の方々も多かったので、こちらが恐懼する場面もちらほら。
ちなみに奥多摩周遊道路の入り口の看板には、

    安全運転のお願い
オートバイの事故が多発しています。
1.制限速度(30キロ)を守る
2.カーブの手前では減速する
けがをしますと病院に収容されるまで約2時間かかります

なんてことが書いてあったのでよっぽど事故が多いんだろうなぁ、と。
せっかく走りに来ても事故ってしまったら本当に憂鬱ですもんね。
適度に飛ばすことと安全運転をうまく併用させることが肝要でありましょう。

周遊道路を脱出したあとは奥多摩湖の周りを軽く流しつつ、
青梅街道に入って下道のみで東京へと帰っていきます。
途中の日向和田駅付近で見つけた釜飯がウリの食堂にはいったのですが、
名物の釜飯が1680円もするという始末で、なぜか安いうどんを食べたりしつつ、
2時間半ぐらいの道のりを延々と東へ進んでいきました。
やっぱり高速使わないと安くて済むのはいいですが、
都心部に近づくにつれて渋滞があるなど、やはり疲れが溜まりますな。
まぁとりあえず一日使ってたっぷりと走ることが出来たので、
疲労感があってもそれは心地の良い疲労感ってやつでしょう。
この日の総走行距離は250キロぐらいでした。満足満足。
気になることといえば着衣が排ガス・土埃まみれになったということと、
明日が朝7時からバイトってことぐらいですが。
二度寝が板についてしまったこの生活で起きれるのか甚だ心配であります。

恐懼謹言。
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房総地下鉄新宿線

2005年04月14日 | 日記とか
バイトが終わって午後11時過ぎに都営新宿線に乗り込んで帰宅の途へ。
新宿線はJRの混雑に比べればたいしたことはないのですが、
それでも座って楽々というわけにはいかない微妙な混雑具合。
如何せん電車の本数が新宿の割に少ないというのが一つの原因でしょうか。
そして地下鉄ということもあってか車内がやたら蒸し暑いのも特徴。
そんな不快指数上がりっぱなしの電車でちょっとおかしなことが。

私はいつも先頭車両に乗り込むので、新宿駅での乗務員交代を見ることが多いのですが、
この日の運転士はものすごく鉄分たっぷりそうなお方でした。
とりあえず鞄についてるものは「多摩動物公園」のロゴつきキーホルダー。
運転の際に使用する座布団は鉄道グッズでも筋金入りのこんな代物
電車が進入してくる際も身振り手振り動作を大にして指差し確認。
鉄道ファンたる私も彼はなかなかの逸材であろうと判断しました。
そもそも規則のゆるそうな新宿線乗務員の中において、
これだけキチッとしたことをするのはよっぽどの鉄道好きか新人さんぐらい。
電車に乗り込んだあとも運転席からは「出っ発~進行ぉ~」という声。
やはりなかなかの逸材だなこの運転士は、と一人ほくそ笑む私。

電車が新宿を出て10分ぐらいして九段下駅に到着するときのことですが、
とにかくやたら速いスピードで駅に進入していきます。
急行電車が駅を通過するかのようなスピードで一抹の不安を覚えたのですが、
その悪い予感が的中し、電車は見事10m近くオーバーラン。
そんな状況なので電車は停車してもドアが開きません。
これに気付かず、降りようとしてドアの前に集中していた客は一様にポカーン。
一呼吸おいて停止位置を戻すため、電車は進行方向と逆に動き出すので、
「おわっ」とふらついてしまう人が続出。
ここまで真面目に乗務についてきた運転士もここでちょっと凡ミスですか。
まぁオーバーランして停止位置を戻すなんてことは珍しいことでもないので、
私としてはそこまで気にかけることもなかったのですが、
このミスに心を乱されたのか運転士がここから豹変してしまいました。

何がおかしくなったって、とにかくやたら警笛鳴らしまくりなんです。
駅を発車するときと、駅に進入する際にありえないぐらいの大音量で、
とにかくわき目も振らずにガンガン鳴らしまくるんですよ、これが。
白線の外側に人がいるとかいないとかそんなの全くお構いなしでとにかく鳴らす。
その上、オーバーラン以前まではスムーズな加減速であったにもかかわらず、
急加速急減速のとにかく荒い運転に打って変わったしまったのです。
警笛鳴らしまくるわ急ブレーキかけるわの運転連続で私は一人でヒヤヒヤ。
そんなに停止位置ぴったりに停められなかったのが悔しかったのかこの運転士は。
電車でGO!の世界ならまだしもさすがにリアルでこれだと戦々恐々です。

都営新宿線は都営であるにもかかわらず、終点は千葉県である本八幡。
千葉といっても本八幡ではさすがに房総と呼ぶことは難しいですが、
とにかくこの日の新宿線は「房総電車」と呼ぶに相応しい走りでした。
走り屋は大いに結構ですが、ぜひともTPOを弁えていただきたいものです。

恐懼謹言。
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恐懼の窓口対応

2005年04月13日 | 所感とか
大学の奨学金申請ミスで、八割方もらえたであろう金を不意に。
諸注意を見落としていた私に100%非があるのは当然ながら、
それに勝って印象に残るのは事務員の悪しき態度ですな。
例えば今回のように自分に非があるわけでもなく、
履修のことに関して質問に行ったときもやたらと高圧的な態度で、
なぜかこちらが恐縮してしまうということが多々あります。
仮に事務員よりもひと回り以上年齢が下であったとしても、
事務員という仕事は所詮はサービス業に属するわけです。
そんな数ある職の中で事務員と言う仕事を自分で選んだにもかかわらず、
学生への対応をめんどくさそうに行なうのは如何なものか、と常々思うわけです。
確かに大挙して掲示板を見ればわかるような質問を延々とされていては、
事務員としても辟易とするものがあるのは何となくわかります。
でもやっぱりそれも仕事と言えば仕事の一貫なわけで、
学生に対してあからさまに面倒そうな態度をしていい理由にはなりません。
他大にいった友人の話を聞いてみれば大学の事務員なんてものは、
どこも大同小異であると聞きますが果たしてこれで本当にいいのか。

あるべき事務員の姿とは、学生に対して親身になって対応し、
その学生のより良い生活をサポートするための存在ではないかと。
さすがに大学生という社会人予備軍にあっては、何でもかんでも事務員がやる、
というようではいつまでたっても学生が自立できないという面もあり、
事務員と学生の掛け合いと言うのは一種の社会に出る前の鍛錬だ、
という感じで、社会の諸手続の過程がどのようなものか知る格好の機会にもなる、と
こんな風にポジティブな考え方を述べる方もおり、確かにそういう面もあるのですが、
第一義に考えるべきは事務というのはサービス業と言う観念。

私も恥ずかしながら数年間アルバイトではあるもののサービス業に従事する人間。
自分の仕事の効率のことは考えるものの、やはり第一は御客様。
で、比してみるに事務員の仕事というのはまさに自分の仕事効率優先がメイン。
これは学生が一番事務室に足を運ぶ時間帯でもある昼休みに事務室を閉鎖している、
ということからも明らかではないかと思うわけです。
事務員は各部署に一人というわけでなく、数人で受け持っているわけなのだから、
事務員の昼休みもずらして最低でも一人は学生対応に置くべきでは、
ということは痛切に思います。
事務員と言えど、所詮は学生の学費で給料を貰ってるんだから、
学生はあくまで顧客という扱いになるといっても過言ではありません。
あからさまに「俺は客なんだ」という態度でくる客ほどウザいものはありませんが、
それでも少なからず事務員にはそういう意識を持ってほしいと思います。
事務に相談したいことがあるのにそこで対応する人のことを考えると足が遠のく、
そしてよくわからないままになって不備がでて、事務に行くと詰られる。
こんな悪循環を是正するためにぜひとも改革を行なってほしいものです。

大学の事務という役職が競合する相手がいないために、
旧態依然の体質がいまだに罷り通っているという現実があることは確かでしょう。
あの国鉄ですら民営化されてJRになったあとは格段にサービスが向上したわけで。
いっそのこと大学の事務職は民営企業に委託してしまっては、と思います。

いやぁ、本当に最近は愚痴だらけで自分が嫌になりますわ。
恐懼謹言。
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移動性病原体

2005年04月12日 | 恐懼とか
昼に飯を食うために友人と待ち合わせしていたものの、
もはや恒例行事ともいえる二度寝にうつつを抜かしてしまい、
約束を不意にしてしまうという失態を演じてしまいました。
雨で気温が下がり、布団からなかなか出れなかったのが敗因ですが、
こういうことばっかりやってると信用を失いそうですね。
とにかく恐懼に堪えない限りであります。

で、先日から長引いている風邪も何とか快方に向かい、
多少鼻水が出てくるものの、いたって健康な体になってきました。
自分が元気になってくるのはいいのですがその過程で、
どうも自分が風邪を色々な人に移しているような気がしてならないのです。
先日の新入生歓迎会の時に幹事として一緒に仕事をした友人も、
翌日は就職活動の面接という大事な場面であったのに、
風邪を引いてしまってどうにもならない有様だったとか。
また、私が風邪を引いている時に一緒にいた友人も見事に感染し、
大学の授業で昨日同席していた友人も今日会ったら風邪気味とのこと。
さらに極めつけはバイト先のスタッフがインフルエンザにかかってしまい、
出勤が不可能になってしまうという事態にまで発展する始末。
一昨日に私が一緒に仕事をしていたことが原因であろうことは明らか。

単純計算で私が回復するまでに4人が風邪を患ったことになります。
ここまで来ると自分の責任を感じずにはいられなくなってしまいますね。
私はしっかりとウイルスの思惑通りに働いてしまったわけです。
今回の風邪ではひどく咳き込んでいたりしたわけではないのですが、
抵抗力が弱った人間には傍にいただけで容赦なく襲いかかる風邪ウイルス。
いやはや、なんとも恐ろしい限りでございます。
明日は責任もってバイト先で風邪に倒れた方の穴埋めをすべく、
ロングラン勤務に就かせて頂きますので平にご容赦を。
かくいう私も病み上がりですので油断をすることなく、
帰宅時のうがい手洗い励行で参りたいと思います。

恐懼謹言。
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義理より自己保身

2005年04月11日 | 日記とか
桜が満開かと思えばその後に降りしきる冷たい雨。
駅までの道に咲き誇っていた桜も雨風によって花を散らし、
その花びらが傘に舞い落ちてくる様はなんとも儚いものです。
この雨が3日も続けば完全に東京の桜は散ってしまうんでしょうな。
今年は思えば満開になってあっという間に散っていってしまった桜でした。
何となくまだ桜を十分に堪能できなかった未練があるような気もするので、
時間があれば桜前線を追いかけて東北にでも繰り出してみようかと。

今年は時間割の関係上、月曜と火曜しか学校に行く日がなくなってしまい、
うまい具合に時間を作れば五連休ってことも可能なわけで、
本当なら卒業論文のための準備や教員採用試験に向けた勉強をすべきですが、
どうにもまだ実感が湧いてこないというのが本音のところで、
できることならパーっと東北へツーリングに行くとか、
海外へ高飛びしてしまいたいと言う衝動に駆られている気持ちが強いんです。
何ごとも切羽詰らなければ行動開始しない悪い癖であります。

んで、昨日はあんな偉そうなことを延々と書いていたわけですが、
友人の制止を振り切って自分の意志を貫徹すべくあるゼミに参加したのですが、
それが友人も私もある程度予想していた低レベルな内容で、
私は辟易としてしまい履修するのをやめようと思ったのですが、
下手にそのゼミの先生と顔見知りであったことから色々な面倒ごとを任され、
抜けるに抜けられなくなってしまうという始末で、
その上、テキストの要約報告を来週までにやってくるように押し付けられ、
もうなんだかやってらんねー思いでいっぱいです。
友人もこうなるであろうことを予測して欠席していたので、難を逃れました。
私も予想の範疇でしたが、何ごとも自分の目で見なければ気がすまない性分で、
結果として予想と同じことになったとはいえ、自分の意志を貫いたんだから、
悔しさ半分、それはそれである意味満足と言えます。
正式な授業登録は来週なので、任された報告だけは責任持ってやるとして、
履修届は出さないほうがいいかな、と言うのが今の判断だったり。
先生への義という面もあるけれども、自分自身の保身が先立つ自分に、
少なからず罪悪感を感じてしまう私は中途半端野郎ですが。

今日もグダグダと書き連ねたチラシの裏でした。
恐懼謹言。
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