恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

「涼しい」から「寒い」へ

2005年07月11日 | 日記とか
梅雨明け前とはいえ、本日の東京の気温は30℃だったそうな。
いわゆる真夏日と呼ばれる一日でしたがバイト先・新宿のような繁華街では、
車の排気ガスとかエアコンの排熱などの効果もあって、
体感的には30℃以上の気温になっていたことでしょう。
そんな熱い街中を歩いている時にふとコンビニなどに立ち寄ると、
空調のきいた店内がの涼しさがこの上なく気持ちよく感じられます。
飲食店なんかに入る場合でもこれは非常に重要な要素で、
一歩踏み入れた時に中が外の気温とたいして変わらなく感じたら、
何となく萎え萎えになってしまうような気がします。

普通、エアコンのある家庭では設定温度は24℃ぐらいにしているかと思いますが、
こういった飲食店などでは家庭よりも面積が広いことや、
その空間に居合わせる人数も多いので、必然的に温度も低めに設定されているはず。
私のバイト先では22℃ぐらいに設定されていますが、
店内で動き回って働く我々にとってはそれでも暑いと感じるぐらい。
そうすると自然と店員と客側での気温の感じ方も変わってくるので、
30分ぐらい店の中で飲食している客にとっては空調が涼しいを通り越し、
寒い、と感じるようになって来るわけです。
いや、確かに自分が客側で利用する時にそう感じないこともないのですが、
やっぱり勤務中に「寒いのでクーラーの温度を上げてくれ」なんて言われると、
全然寒くないのになぁ、なんて思ってしまうこともしばしば。
今日はそういった経緯もあって客が勝手に空調の機械を操作し、
暖房に設定してしまったなんていう珍事もありましたが、
クーラーをつけて寒くなるなんていうのは本末転倒ですよね。

私が今住んでいる所は空調機器がないため暑気を扇風機でしのいでいますが、
これぐらいが人間本来のあるべき姿なんじゃないかと思います。
人間はやっぱり季節にあわせて体の機能を調整するはずで、
人間のそうした本能的な部分まで空調機器で人為的に変えてしまうというのは、
体にいいわけないですよね。そりゃ体調も悪くするっての。
かくいう私も冷房のあたりすぎで、今、私は寒気を催しているんです。
クーラーのない蒸し暑いこの室内にで暑さを感じないのはいいっちゃいいんですが。
寒気がする、すなわち風邪を引いたってことですね。
夏にはまだ早いかもしれませんが、おそらく夏風邪ってやつですか。
バカは風邪をひかないらしいですが、夏風邪をひくのはバカ。
つまり、バカが風邪をひくのは夏限定である、といえるでしょう。
そうですか、やっぱり私はバカでした。

恐懼謹言。
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玉砕する採用試験

2005年07月10日 | 恐懼とか
受けてきました教員採用試験@東京都
正直な話、ほぼ無勉強といってもいい状態で臨んだので、
結果のほどは「玉砕」の一言につきますね。
玉砕というのはそもそも「価値あるものとして砕け散る」という意味合いで、
先の大戦では兵が全滅してしまう状況を美化してこのように呼んだようですが、
果たして今日の私は価値あるものとして散ったのかは定かではありません。
ってか過去問すら見ないで臨む受験生って普通に試験ナメてますね。
この採用試験の運用に関しては都民の税金で賄われているらしく、
当然ながら受験料は一切ナシ。この貴重な税金で運営された試験に対し、
不勉強で臨んでしまった私は都民の皆様方に対して誠に恐懼に堪えざる思いです。

試験の印象としては「こんなのわかんねーよ」というようなものばっかりでしたが、
それもこれも私の不勉強が祟っていることは歴然。
とはいうものの、これは勉強して回答できるのか?的な問題もあったような。
イメージとしてはもっと教職的な内容一辺倒で来るのかと思いきや、
何となく一般的な教養を問う問題が多かったような気がしなくもありません。
これは就活してた人にはそれなりに有利だったのかもしれませんな。
そこでも何となく差をあけられてしまっているような気がしなくもないです。
ってかやっぱりそれも今までの自分の怠惰な生活が原因なんですが。

試験の解答は論文試験を除いてすべてマークシートで行なわれましたが、
これがまた曲者で、答えがわからないのに何となくマークできてしまうので、
試験後になんとなく「出来てしまった感」を感じてしまうんですね。
当然今回の試験の手応えなんかがあるわけでもないので、
のちに不合格通知を見て「やっぱりな」となるのは目に見えてますが。
本当に今回は記念受験的なまま終わってしまった感じで、
今さらながらに後悔していますが、闘いはまだ終わりません。
8/28には私学適性検査も控えているので、今度はそちらに焦点を合わせつつ、
今度はしっかりとした体勢で臨まなければ、と思うのでありました。

今日は試験が終わったとはいえ、開放感というのは皆無に等しいです。
やっぱり採用が決まって初めて開放感を味わえるのだろうし、
試験が終わった今日、夏休みはどこ行こうかなぁなどと考えるのは甘い!っすね。
教育実習に行ってモチベーションは上昇傾向にありましたが、
結果的にはその動機と行動が結びつかなかったわけですが、
今回ばっかりは試験を受けたことでかなりの刺激を受けた気がします。
努力せずに結果ばかり良い方を望むのは何とも虫のいい話。
心機一転、明日からは頑張ります(予定)。

恐懼謹言。
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試験前にまず散髪

2005年07月09日 | 日記とか
明日は教員採用試験があるということで、早起きしなければならんのですが、
どうにもこうにも怠惰な生活が身に染みついているので、
朝早く起きられるかどうかというのが非常に問題になります。
朝早くといっても8時に起きれば済む話なのですが、
今日のように12時過ぎに起きた私からしてみれば早朝ですよ。
試験前で今日の緊張は本来ならMAXになってるはずなのに、
どちらかといえば明日の朝起きられるかどうかが一番の心配事だったり。

今日は今までの借りを返すべく、図書館に篭って一日勉強、
といきたかったのですが、やはり緊張感のなさからやらずじまい。
こういう時はどうしても形から入ってしまうところがあるので、
給料日前にもかかわらず散髪に向かってみたりします。
常に短髪な私が散髪に行くのは大体2ヶ月に一回ぐらいで、
髪の毛に寝癖がついたら切りに行く、というのが一つの目安になっていますが、
今回も例に漏れず髪の毛がモサモサな状態でいざ美容室へ。
ヒゲが濃いのでできれば理容室で髭剃りもやって欲しい所ですが、
美容室だと髭を剃ってくれないというのが唯一の難点ながらも、
ヘタに理容店に行って角刈りorスポーツ刈りにされるのも嫌なので、
ここは髭をガッツリ剃ってもらおうという欲望は捨てました。

しかしまぁ美容室で一つ問題なのはその美容師さんのこと。
床屋のオッサンっていうのはそこまで話し掛けてくることはないんですが、
この美容師っていうのは結構しきりに話し掛けてきますよね。
どうも私はこの「間」が苦手だったりするんですよ。
一応髪の毛を切ってもらってる時は雑誌が用意されているので、
ここぞとばかりに車内広告で気になる見出しの週刊誌記事を読みたいのですが、
美容師さんに「今日はお休みなんですか?」とか、
「お仕事はなにをされてるんですか?」「夏はどこか行くんですか?」
などと延々と話し掛けられると週刊誌を読むこともあたわず、
当り障りもない身の上話に興じることになります。

別に話をするのは嫌いじゃないんですが、
一つの話題に区切りがつくと、今度はなんか気まずい沈黙が到来。
何というか、今度はこっちから話し振らなきゃいけないのかな?
なんていう余計な気の回し方をしていたりすると、それだけで気疲れ。
そんなこと気にしなくてもいいっちゃいいんですがね。
それでもなんとかして話を盛り上げなきゃという変な意識がずっと働き、
週刊誌は全く読めなかったわけですが、
ある意味でこれも教師に必要なコミュニケーション能力だと思えば、
それなりに意義深い時間を過ごせた、と思えるような。

そんな感じで髪を切った後はコンタクトレンズを買いにいったりして、
結局電車の中で参考書読む以外の勉強らしい勉強はせず。
ここまできたら果報は寝て待つ、といきますかね。
寝過ごしては果報もクソもない、という誰かの言葉を胸に秘めつつ。

恐懼謹言。
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正直が一番

2005年07月08日 | 所感とか
まぁなんですか、人には失敗するってことはよくあるわけです。
で、失敗した後に思うこと。
もう同じミスはするまいっていう反省の念も生まれますが、
人間の中にある負の部分ではいかにこれを大事にせず、
何とか言い訳で取り繕って責めを負うことを軽減しようとか、
隠蔽してなかったことにしてしまおうっていう風に向くこともあります。
そりゃマズイことがバレることなく何事もなかったかのようにできれば、
自分自身も何ら責められることもないので、それは自然の流れ。
しかしまぁ、それが後になってバレると更にマズイ状況になるわけね。
失敗をすんなり認めて謝罪したほうがマイナスポイントはセーブできますからね。
ワシントンと桜の木がいい例ですな。あれはフィクションらしいけど。

現在の自分が背負っているマイナスポイントをうまい具合に0にするか、
下手をしてバレてしまって倍にしてしまうか。
これはある意味で賭けな部分ではありますが、
内面が弱い私にしてみればどうしても目先の利益に捕らわれてしまいます。
一言詫びを述べて頭を下げればたいしたことない問題であっても、
それが後で、しかも隠蔽を図ったことも含めて明るみになると、
本当にどうしようもない状況に追い込まれてしまったり。
企業の中で小さな不正があったことが発覚したものの、
これぐらいは、とばかりに隠蔽することを覚えてしまい、
後になってマスコミがその積み重なったそれを報道して追及し、
最初の不正だけではそんなに非難されなかっただろうに、
ってぐらいの非難を甘んじて受けなければならなくなってしまう、
といったような構図そのまんまな状況ですね。

一度嘘をついてそれが通ると、今度はその嘘をつき通さなければならず、
嘘の上に更に嘘を塗り固めていくといった風になるわけですね。
嘘という虚構の上に自分を立たせ生きていくのも苦痛ではありますが、
こうなるともはや自分自身でその膿を出すことができなくなり、
第三者の荒治療でもって何とかしなきゃならなくなる、と。

こんなことになるなら最初から正直に言っておけばよかった、
という思いは今まで何度か経験のあることではありますが、
それでもついつい目先の保身を考えてしまう自分の姿に、
なんとも情けない思いがしてしまう今日この頃。
意志は強く持ちたいものの、それが実行できない自分への葛藤。
何となく凹んでしまいますね。

関係各所の皆様方にご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。
恐懼謹言。
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目の錯覚です

2005年07月07日 | 日記とか
まぁなんだ、半年も続けているとネタがない日ってのもあるわけです。
バイト先で事件が起こるわけでもなく、電車の中に変な人がいるわけでもない。
そんな時は大体思ったことをツラツラと書くのがここですが、
それすらも思いつかない日も往々にしてあるわけでございます。
さすがに更新が苦痛になってしまうと続けることすらできなくなるので、
たまには気と手を抜いて更新。
バイトから帰ってきておもむろにパソコンの電源を投入し、
ダラダラとネット巡回を開始、某巨大BBSのネタスレを見ていたんですが、
そんな中にあったのがこんなコピペ。

今日、婆ちゃんが「ふぁんな飲まんね?」と言ってきた。
「ふぁんな?」と思ったが、「まぁ、ファンタの事だろうと」思いつつ、
台所に行ってみるとやはり案の定「ファンタ」だった。
しかし、飲みながら何となくロゴを見ていて衝撃を受けた。

   なんと 「 F a n な!」と書いてあった!!

元ネタがなんなのかさっぱりわからず、笑うに笑えなかったのですが、
コカコーラ社のファンタの製品情報のページを見てみると、なるほど納得。
ってかくだらないって言えばそれまでなんですが、
逆にいえばよくこんなこと考えたなーって感心すら覚えました。

ってか今日は七夕でしたね。すっかり忘れてました。
恐懼謹言。
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ヒゲ濃い人々

2005年07月06日 | 恐懼とか
唐突ですが、私は比較的ヒゲが濃い人間だったりします。
さすがにこの年でアゴの周りが青々としているとまでは行きませんが、
それでも2日間ぐらい放っておくと見るに堪えない無精ヒゲになってしまいます。
いつ頃から自分のヒゲが濃くなっていったかということは覚えていませんが、
高校一年生の移動教室の際に電動シェーバーを持参したことを考えると、
おそらくその頃から毎日剃らないとマズかったんだろうと推測されます。

バイト先が飲食店である以上、もちろん清潔感が大事なわけで、
ヒゲはこまめに剃らなければならないのですが、これがまた結構面倒くさい。
一日ぐらい剃らなくてもばれないだろう、と甘く見て出勤したところ、
店の副オーナー的な人物に「君ィ、アゴにカビが生えてるぞぉ~」と揶揄され、
非常に不愉快にさせられたこともありましたが、表現的には○。
その事件がきっかけになったのかは知りませんが、バイト先には男性スタッフ用に、
もしヒゲを剃り忘れて来てしまったらここで剃れ、と言わんばかりに
事務所に電動シェーバーが常備されることになったのですが、
私以外にそこまでヒゲが気になる人物がいない(?)ため、
私がしばしばヒゲを剃り忘れて来て使用するぐらいで、ほぼ私専用になってたりもします。
バイト先に専用ヒゲ剃りっていうのも名誉なんだか恥なんだか。

幼少の頃はヒゲを剃る父の姿を見て何となく羨ましくもありましたが、
実際に自分がその身になるとやはり面倒なものですな。
子どもの頃は早く大人になりたいなんて考えたこともありますが、
徐々に年を重ねくうちにもうこれ以上年とりたくないってのと同じですかね。
そしてさらに気になるのはヒゲが濃いってことは男性ホルモン旺盛ってことで、
その流れで行くと大体は髪の毛が減少していく傾向にあるようです。
遺伝的なものでいっても自分の親父はそういった部類の人間であるので、
かなり心配していたりするので、そろそろ真剣にヘアチェック行こうかと思うぐらい。
それにバイクに乗ってるってことはヘルメットも被らなきゃならないわけで、
夏場にロングツーリングに行ったりするとこれだけで髪にいいわけない。
もうここまで来ると私が将来的に禿げる要因はもうたっぷり。

どうも日本には禿げ=馬鹿にされるイメージもあるものの、
髪の毛が少なくなってきてるのに悪あがきしてバーコードにしてたり、
元阪神の掛布のようにするのはみっともない気がしますね。
逆に禿げなら禿げでそれに自信をもって堂々として欲しいものです。
私ももしその兆候が見え始めてきたら髪には執着せず、五分刈りにしますよ。
まさに今、私の父親がそうしているように。こういうのは早々に宣言しておきます。はい。

恐懼謹言。
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大型二輪免許

2005年07月05日 | 二輪/四輪車とか
現在私が所有している運転免許は普通自動車と普通自動二輪です。
車の方の免許は大学2年生の時の春休みを利用して取得しましたが、
如何せん自宅に車がないので、今に至るまで車の運転に関しては、
1ヶ月か2ヶ月に一度ぐらいレンタカーを利用して運転するぐらいのもんです。
まぁそんな感じなので公道を走る上ではまぁ問題ないのですが、
車庫入れに関しては典型的な素人といった感じであります。
で、当時、せっかく免許を取ってもそれじゃあ面白くないっていうことで、
オークションで50ccの原付を購入。YAMAHAのVINOってやつです。
これによって私のエンジンのある生活が始まったわけで、
原付ながらも水を得た魚のようにあっちへこっちへ走り回っていました。

しかしながら原付ってのはやたら制限の多い乗り物だってことに、
原付生活を始めて数ヶ月たつと段々と感づいてきました。
これの原因となったのは、とある交差点で本来は二段階右折しなきゃいけないのですが、
ついつい面倒でそのままスーッといったらそこには取り締まりの警察官。
待ってましたとばかりに止められ、切符を切られてしまいました。
もちろんそれ以外にも速度が30キロ制限という公道を走る上では、
精神衛生上よろしくない規則もあって、段々と自動二輪への魅力を感じ始めたわけです。
で、思い立ったら早いもので、その一月後には教習所へ入校し、
車の免許を取って半年で普通自動二輪免許(通称・中免)を取得し、
またもやオークションでCB400SFを格安で購入し、今に至っております。

さぁそんな免許遍歴を経て現在もこの中型バイクを楽しんでいるのですが、
どうも人というのは一つ手に入れるとまた次の物が欲しくなる生き物のようで、
最近はやたらと大型二輪免許を取得したいという欲求に駆られております。
なんだろな、バイク雑誌とかめくっててもグッと来るデザインのバイクが大型だったり、
街を走っている時に見かける大型の存在感の魅力にやられてしまってるわけで。
市街地走行なら特に今のままでも満足っちゃ満足なんですが、
遠出するときにはやはりパワー不足を感じたりすることもありますし。
本来なら今年の春休みぐらいに大型免許取ろうと思っていたのですが、
如何せんあの事故にあってしまって以来、周囲からはバイクを降りろ、
というような声が高くなってしまい、お蔵入りになってしまったのですが、
事故の記憶も薄れた昨今、再びその欲求が再燃してまいりました。

で、今考えているのがこれまでのように教習所に通うのではなく、
試験場で一発試験を受けて免許を取ってやろうっていう思い切ったもの。
普通に教習所に通うと費用が10万近くかかるのですが、
試験場で一回試験を受ける費用は大体5000円ぐらいのもの。
最も審査がかなり厳しいらしいので、当然1回で受かるはずはありませんが、
仮に10回受験してやっと受かった、っていうのでも費用は単純計算で5万円ぐらい。
必ず免許が取れるという確証はないものの、なんとも魅力的な話です。
まぁ練習なんかも含めてある程度まとまった時間が必要なので、
夏休み辺りにでも試験場にいって頑張ってみようと思っています。

教員採用試験の勉強は何となく諦め気味だったりする今日この頃。

恐懼謹言。
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することに意義がある

2005年07月04日 | 日記とか
昼ごろ起きると外は雨で気分も何となくジメジメしがちです。
今週末に控える採用試験も去ることながら、やはり気にしておきたいのは、
明日提出予定のレポートなんですが、如何せん興味のない分野なので、
パソコンにレポートを打ち込むもなかなか進展しないのが現状で、
起きてからずーっと画面と向き合っていると集中も切れてしまいます。
家にいると誘惑も多いもので、ついついテレビをつけてしまい、
ザ・ワイドを初めから終わりまで通して見てしまうという失態を犯す始末。
若貴の確執についてどれだけ詳しくなってもレポートの役には立たないわけで、
さすがにこのまま家にいてはダメだってことで、授業もないのに大学へ。
大学の情報教室にはパソコンがあるので、ここなら否が応でもやるだろ、
ってことで大学へ行ってレポートの続きを無心に打ち込む打ち込む。
なんかもう学年を重ねる度にレポートが手抜きになっているような気がしつつも、
レポートは出すことに意味がある、とかわけわからない理屈で自分を納得させ、
レポートの苦悩から早々に離脱。これで落としたら洒落になりませんが。

で、考えてみたら今日は母親の誕生日だってことに気付きました。
親父の誕生日だったら安直に酒を贈れば済む話なのですが、
如何せん母はアルコールを受け付けない性質の持ち主なので、
たいがい誕生日に贈るものといえば甘味物とかそんなもんになってしまいます。
たしか去年はバイト先で売ってるケーキかなんかを贈ったような。
今年も先例に違うことなく、コージーコーナーかどっかでなんか買うか、
なんていう風に考えていたのですが、考えてみると私には兄弟が3人おり、
去年もそれぞれが思い思いにそういった甘味物を買ってくるので、
実家の冷蔵庫はそんなものでごった返してしまうことになったのでした。

ただでさえそういう甘い物の摂取しすぎで体重を気にしている母に対し、
兄弟さらには親父が皆で甘味物を買っていくのは一種の嫌がらせじゃないか、
と考え、今回は食べ物じゃないなんかを贈ろうと企図しました。
しかしまぁ自分の母親という人間とはいえ、何を贈るべきかというのは、
なんとも難しい問題でございまして、頭を悩ませました。
専業主婦な母親に文房具的なものは不用だし小物の類にしても趣味もよくわからん。
そんなこんなで無難にCDかなんかでいいか、と思ったのですが、
これまた自分の母親がどんな音楽が趣味なのかもよくわからんので、
色々と思案していたのですが、結局はCD屋でクラシックのCDを購入。
別段ラッピングなどをしてもらうこともなく、値札もついたままでしたが、
これまたプレゼントは贈ることに意義がある、と勝手に妥協する始末。
なんかもう今日はこういうの多いなぁ、と思いつつも、
それなりに喜んでいただけたのでまぁよしとします。

ちなみに弟は今日のことをすっかり忘れていたようで、
母親から「今日は何の日だっけ?」と暗に問われても、
「アメリカの独立記念日だろ?」と答える辺りは兄として恐懼に堪えず。
別に私が贈るのはケーキでもよかったわけですな。

恐懼謹言。
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その筋の方々の活躍②

2005年07月03日 | 所感とか
あそこまで睡眠妨害されながらも行ってきました、都議会議員選挙。
私にとっては前回の参議院選挙に続いて二度目の選挙参加ですが、
やはりこういう時に自分も成人してるんだなぁ、と実感します。
前回の参院選ではネタで、とある唯一神の手伝いのため、
私の住む近隣に選挙ポスターを貼って回った経験もありましたが、
それにしても選挙っていうのはなんとも一大イベントであります。
もっとも自分が当事者でないので当落を告げるニュースを半ば楽しみつつ、
酒を片手に見ていたりするわけなんですが、当事者は本当に必死ですね。
昨日の最後の街頭演説なんか聞いてても候補者の声枯れてましたからね。
いやぁ、本当に見てるだけでも痛々しいというか大変そうっていうか。

しかしまぁ選挙前になると色々な動きに出くわすことになりました。
それは選挙期間中の某政党に関連してのことなんですが、
この政党、候補者だけじゃなくてその支持母体となる人々の熱意が物凄いんです。
私の家の親戚にもその筋の方々がいるわけなのですが、
選挙前になると必ず電話があって、今度の選挙では一つよろしくお願いします、
といった感じで督促を受けることになるんです。
その熱意はどこから沸いて来るんだ、と腑に落ちない点もありますが、
私のところにもそんな電話掛ってたわけなんです。
もっとも私が直接電話を取ったわけじゃないんで、正体は不明ですが、
その人物曰く、私とかつて同級生だった、ということらしいんですね。
ところがどっこい、私の名前を読み違えていたらしいので、
当時それほど親しい仲じゃなかったってことが推測できるんですが、
ってことは昔の連絡網かなんか使って当時の同級生に対して、
選挙での支持をお願いするために手当たり次第かけてるってことですよね。

しかしまぁ、信心とはここまで人を突き動かすのかと恐ろしいものがあります。
だって、彼らはその候補者の政党の政策を支持してるんじゃなくて、
候補者がその政党から立候補した、っていう理由で支持してるんですもんね。
なんかもう政治の話というよりも、まんま宗教的な話ですよ。
日本人っていうのは西洋人なんかと比べると信仰心が薄い、
なんてことはよく言われたりもするので、そのせいで日本人ながらも、
信仰心の篤い人間に対してはちょっと引いてしまったりするものですが、
私も大多数の人間と同じように、そういった人々への理解があまりないのが実情。
普通に寺に行けば宗派が何であろうと手を合わせるし、
葬式に参列すれば坊さんを呼んで読経をあげてもらって焼香し、
神社に行けば自然と賽銭を投げて拍手をうつっていう、それぐらいのもんです。
もちろん西洋発祥のクリスマスだってそれなりに意識したりしますからね。
ある意味でそういった信仰心にあまり拘りがないというのは、いいことだと思います。
イスラムの過激派が宗教のために命を投げ打つっていう考え方は、
典型的日本人の私にはなかなか理解できないし、それが良いとも思えないので。

そういうこともあって宗教ってなんか「怪しい」っていう感じ方が、
日本の中で蔓延しているような気もしますが、
実際に今回の都議選でもその某政党の候補者全員が当選、
とかいうニュースを聞くと「やっぱり…」という風に思わざるを得ませんな。
その実態がどうなっているのかよくわかりませんが、
思ったことを率直に書いたので、関係者の方はお気を悪くされませぬよう。

それにしてもいつまでも地域振興券を恩着せがましく言うのもどうかと。
恐懼謹言。
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課題図書ヲ奪取セヨ

2005年07月02日 | 日記とか
教員採用試験の勉強もしなければならないわけですが、
考えてみると大学はまもなく試験シーズンに突入ということを忘れていました。
さすがに四年生になって授業も週に1日しかなくなってしまったもんで、
試験の前になると焦って対策を講じていたあの頃が懐かしいぐらいです。
とはいうものの、今年も一つだけ教養科目で取り逃していたものがあり、
唯一の大人数授業というだけあってしっかりとレポートも試験もあるんです。
本音を言えば採用試験の勉強をしたいところなんですが、
この授業の単位が取れなければ教員免許状が取れないわけで、
ここは堅実に単位をゲットしておかなければ元も子もないわけです。

そんなわけでレポートに使用する課題図書を地元の図書館にとりに行きます。
本来ならこういう本は買えばいいんでしょうが、
如何せんその課題だけ使ったら後は読まないだろうっていう本は、
なんとなく買う気が起こらないんですよね。2800円もするし。
もちろん、こういうことを考えるのはなにも私だけじゃなく、
その授業を受講する学生は同じようにどこかで借りて済まそうと考えるわけです。
大学の図書館にも確かに課題図書の蔵書はあるわけですが、
課題が発表された途端にその本は既に貸し出し中ってわけです。
そうなると頼みの綱は地元の図書館、というようになるわけですが、
これまたこういうことを考える人は他にもいるもんで、
私の家に最寄の図書館にあったこの図書は既に貸し出し中に。

しかしまぁ今の世の中ってのは便利なもんで、
自宅にいながらにして各図書館の蔵書情報をWWW-OPACってのでわかるんです。
どこかに必ず「貸出可」の文字列があると信じて、
江戸川区、江東区の各OPACをガツガツ検索すると、やっと一件ヒット。
蔵書があったのは江東区立東雲(しののめ)図書館でした。
江東区とはいえ自宅からは決して近い距離でもないので、
最寄の図書館まで取り寄せてもらおうかと思ったものの、
考えてもみれば来週の火曜が締め切りなのに、そんなんじゃ間に合わない、と。
こうなったらバイクで取りに行くしかないってわけで、
わざわざ行ってきましたよ、東雲図書館。実は行きつけのバイク屋の近く。
しかし、なんかこう馴染みのない図書館に行くのってちょっと緊張しますが、
まぁ無事に課題図書をゲット。

本来ならばここで残ってついでに課題に取り組めばいいのに、
バイクが来てしまったのが運の尽きで、そのままフラッと放浪の旅へ。
課題図書を手元に入手しただけで安心してしまうっていう、
受験生が参考書を大量に買って勉強した気になる、ってのと、
何となく似ていなくもないわけなのですが、どうにもいけませんな。

ってかフェミニスト御推薦の課題図書なんか読みたくないっての。
恐懼謹言。
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