まずはお知らせ
○ 遠野ぶれんど新年会PⅠ
・日時・・・平成20年2月9日(土)午後6時30分~
・場所・・・ 「魚っこや」2階
・会費・・・ニコニコ現金払い(食べて呑んだ分)一応3千円+α・女性は割引
山猫氏来遠に併せての今年最初のノモーゼ、カタローゼぶれんどとなります。
○ プレぶれんど・・・仙人の氷筍見学会
・日時・・・平成20年2月9日(土)午後12時30分
・集合場所・上郷地区センター駐車場(姫屋でラーメン食べる人)
現地集合の場合・・午後1時30分頃、遠野側仙人トンネル入口駐車場
遠野ぶれんどの皆さん、そして飛び入り参加も含めよろしくお願いします。
五葉山(御用山)

仙台藩直轄の山であったことから御用山と呼ばれたらしい。
☆上有住城と浜田喜六
上の五葉山の画像をみれば小生が何処へ行っていたかはバレバレですが、気仙郡内の探訪をしておりました。
その帰りにちょっと足を伸ばして大船渡市、五葉山の麓の五葉温泉に浸り、まったりとした時間を少しだけ過してきました。
気仙郡住田町上有住 八日市

八幡神社から真っ直ぐに開けた町並みが続き、宿場町と栄えていた時代の名残をみることができます。
旅館の看板や開業医院も通りにある。
上有住城跡の山野・・・玉泉寺(曹洞宗)

八幡神社

城は八幡神社背後から玉泉寺の裏山までの広範囲であるらしい。
本丸手前の郭

本丸

地域住民の憩いの場という雰囲気で公園風に整備されている。
遠野の鍋倉城をこじんまりとさせた雰囲気があるも・・・・・説明板では・・・

東西500メートル、南北250メートル、かなりの規模であり、本丸、二の丸といった郭(平場)は広く、まさに城跡といった雰囲気抜群でもある。
空掘跡・・・2重堀


本丸の背後は2重堀で山野を掘切っているが、今回は本格的探訪装備で挑まなかった為にその全容把握といった探訪はしておりません。
もう少し暖かくなったら是非に再訪したい興味ある城跡でもあります。

玉泉寺裏の帯郭

○上有住館(城)
上有住八日市、玉泉寺の裏山高台にあり、八幡神社の杉林の丘も城郭の一部とある。
「仙台領古城書上」には・・・
山上有住城、東西18間、南北33間・二の丸東西8間、南北18間
また城主は千葉内膳太夫成行、有住下野守、浜田喜六・・・等の名が史料にみられ、いずれも千葉一族のみで米ヶ崎城(陸前高田)の気仙郡旗頭の浜田安房守(千葉氏)の支城であったのではないのかと考察されている。
さらに「気仙風土草」には、浜田喜六館跡、上有住駅東にあり・・・喜六は浜田安房守広綱が弟なり・・・・とある。
以上のように上有住館は千葉氏一族の館で城下町的に残る八日市は中世まで遡る市でこれを経営発展させたのは、上有住歴代城主であったのは言うまでもないと考察されている。
遠野からの侵入を防御する第一級の防御拠点といった位置付けに相応しく、さらに気仙川流域では最大級の規模を有する連郭大型城館、しかしどこか遠野の城館と似た雰囲気も感じられる城館でもありました。
八日市

おっ・・・

遠野の銘酒「雪の友」・・・荻野酒造(遠野市上郷町)
残念ながら雪の友は今は生産されていない。
平田城跡付近(外根岸館)

上有住館とは直線で約2キロ、慶長6年頃は上有住館の支城という位置づけだったと私は考察しておりますが、慶長6年3月、気仙郡世田米に亡命していた遠野旧主阿曾沼広長が伊達政宗の後援を受けて気仙軍団を借受けて遠野へ失地回復戦を挑む準備をしているという風評を受けた遠野盟主、鱒沢広勝はその機先を制すべき、果敢にも気仙郡内へ攻め寄せる。(平田の戦い)
浜田喜六はこの戦いで迎撃に出るも鱒沢広勝の郎党、上台兄弟に槍で突かれ、落馬、首を討たれてしまう。
浜田喜六とはいったい何者であったのだろう・・・。
葛西配下で気仙郡旗頭の浜田広綱の弟とする説が一般化しておりますが、気仙郡が伊達領となってから各館主達はどのような待遇、立場であったのか、疑問点もございますが、いずれ浜田氏は千葉姓であり、千葉一族をもう少し詳しく調べてみる必要があると感じております。
○ なんちゃって遠野遺産
♯5・・・ホビットの家(ポンプ小屋)(青笹町)

青笹町沢田(飛鳥田)には背の低い小屋が十以上確認できる。

○ 遠野ぶれんど新年会PⅠ
・日時・・・平成20年2月9日(土)午後6時30分~
・場所・・・ 「魚っこや」2階
・会費・・・ニコニコ現金払い(食べて呑んだ分)一応3千円+α・女性は割引
山猫氏来遠に併せての今年最初のノモーゼ、カタローゼぶれんどとなります。
○ プレぶれんど・・・仙人の氷筍見学会
・日時・・・平成20年2月9日(土)午後12時30分
・集合場所・上郷地区センター駐車場(姫屋でラーメン食べる人)
現地集合の場合・・午後1時30分頃、遠野側仙人トンネル入口駐車場
遠野ぶれんどの皆さん、そして飛び入り参加も含めよろしくお願いします。
五葉山(御用山)

仙台藩直轄の山であったことから御用山と呼ばれたらしい。
☆上有住城と浜田喜六
上の五葉山の画像をみれば小生が何処へ行っていたかはバレバレですが、気仙郡内の探訪をしておりました。
その帰りにちょっと足を伸ばして大船渡市、五葉山の麓の五葉温泉に浸り、まったりとした時間を少しだけ過してきました。
気仙郡住田町上有住 八日市

八幡神社から真っ直ぐに開けた町並みが続き、宿場町と栄えていた時代の名残をみることができます。
旅館の看板や開業医院も通りにある。
上有住城跡の山野・・・玉泉寺(曹洞宗)

八幡神社

城は八幡神社背後から玉泉寺の裏山までの広範囲であるらしい。
本丸手前の郭

本丸

地域住民の憩いの場という雰囲気で公園風に整備されている。
遠野の鍋倉城をこじんまりとさせた雰囲気があるも・・・・・説明板では・・・

東西500メートル、南北250メートル、かなりの規模であり、本丸、二の丸といった郭(平場)は広く、まさに城跡といった雰囲気抜群でもある。
空掘跡・・・2重堀


本丸の背後は2重堀で山野を掘切っているが、今回は本格的探訪装備で挑まなかった為にその全容把握といった探訪はしておりません。
もう少し暖かくなったら是非に再訪したい興味ある城跡でもあります。

玉泉寺裏の帯郭

○上有住館(城)
上有住八日市、玉泉寺の裏山高台にあり、八幡神社の杉林の丘も城郭の一部とある。
「仙台領古城書上」には・・・
山上有住城、東西18間、南北33間・二の丸東西8間、南北18間
また城主は千葉内膳太夫成行、有住下野守、浜田喜六・・・等の名が史料にみられ、いずれも千葉一族のみで米ヶ崎城(陸前高田)の気仙郡旗頭の浜田安房守(千葉氏)の支城であったのではないのかと考察されている。
さらに「気仙風土草」には、浜田喜六館跡、上有住駅東にあり・・・喜六は浜田安房守広綱が弟なり・・・・とある。
以上のように上有住館は千葉氏一族の館で城下町的に残る八日市は中世まで遡る市でこれを経営発展させたのは、上有住歴代城主であったのは言うまでもないと考察されている。
遠野からの侵入を防御する第一級の防御拠点といった位置付けに相応しく、さらに気仙川流域では最大級の規模を有する連郭大型城館、しかしどこか遠野の城館と似た雰囲気も感じられる城館でもありました。
八日市

おっ・・・

遠野の銘酒「雪の友」・・・荻野酒造(遠野市上郷町)
残念ながら雪の友は今は生産されていない。
平田城跡付近(外根岸館)

上有住館とは直線で約2キロ、慶長6年頃は上有住館の支城という位置づけだったと私は考察しておりますが、慶長6年3月、気仙郡世田米に亡命していた遠野旧主阿曾沼広長が伊達政宗の後援を受けて気仙軍団を借受けて遠野へ失地回復戦を挑む準備をしているという風評を受けた遠野盟主、鱒沢広勝はその機先を制すべき、果敢にも気仙郡内へ攻め寄せる。(平田の戦い)
浜田喜六はこの戦いで迎撃に出るも鱒沢広勝の郎党、上台兄弟に槍で突かれ、落馬、首を討たれてしまう。
浜田喜六とはいったい何者であったのだろう・・・。
葛西配下で気仙郡旗頭の浜田広綱の弟とする説が一般化しておりますが、気仙郡が伊達領となってから各館主達はどのような待遇、立場であったのか、疑問点もございますが、いずれ浜田氏は千葉姓であり、千葉一族をもう少し詳しく調べてみる必要があると感じております。
○ なんちゃって遠野遺産
♯5・・・ホビットの家(ポンプ小屋)(青笹町)

青笹町沢田(飛鳥田)には背の低い小屋が十以上確認できる。
