「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

森林軌道跡駒木編

2006-11-30 13:22:13 | 歴史・民俗
 先日の大沢不動関連の集まりにて、問題はなんとか解決方向となりましたが、その後の雑談で、やはり森林管理署関連(旧営林署)の話題で、森林軌道跡についても若干触れられまして、これはチャンスとばかりにその内容を食い入るように聞きまして、本日のエントリーのネタといたしました。

上駒木、馬の里入口下の県道付近






 旧駒木小学校と駒木橋との間の農地を走っていた軌道は、上記画像の付近で現在の県道を越えて県道右側(附馬牛に向かって)を走っていた。

 地籍調査が駒木地区ではじまり、各所に杭が打ち込まれているが、その中に森林管理署の杭も混じっており、実は旧軌道の前後は私有地なり県道、市道が混じっている現実があり、特に私有地の場合は軌道跡が国有地、飛び石的に私有地を持つ地元の方々も多いらしい・・・そこで国では軌道跡を隣接の私有地所有者に売却しているとのこと、既に取得された方々もおられますが、今後も続けられるとかで、昨年辺りから杭打ちをして軌道跡すなわち国有地を現しているらしい。

県道隣接の状況・・・野田渡橋付近








ガードレール上の段状の箇所が軌道跡


小田沢蟹沢付近


 軌道跡は左側の山林側



 小田沢に至った軌道は最後の画像↑の左端のお宅手前から県道を越え、集落南側の農地を迂回していたらしい・・・・(小田沢集落共同墓地付近を通過して・・・)。

 ということで、続きはまたの機会に・・・・。



 おまけ・・・11月26日お昼の画像

 新蕎麦・・・飯豊蕎麦を「ぶれんど」の一部の方々と味わいました。
 なかなかのお味、皆さん名物「暮坪そば」にしていただいておりましたが、これもまた絶品・・・蕎麦の美味さを語れるほど蕎麦通ではありませんが、でも美味かったです。




山猫庵の店主・・・笑



 うめがっだじょ・・山猫オヤジどん・・・笑
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次世代につなぐ

2006-11-28 14:32:20 | その他
 どんよりとした天候、雨も時折ポツリポツリ・・・11月28日は親父の命日でもあり、夕べに炊いた赤飯を仏前に供えて手を合わせる。

 今日は地域の方々と耳切山にある大沢不動へ行く予定であったが雨模様の時は中止の申し合わせもありましたし、親父の命日ということもあって、なんだかんだしているうちに集合時間の午前9時には間に合いそうもない・・・(ブログの返信は書く暇はありましたが・・)


馬の里付近から


 雨模様といっても小雨程度、時間には間に合わなかったが、少し気になり10時近くに自宅を出発・・・・。


耳切山中腹から・・・駒木、松崎、遠野方面


 さて、先週に地元集落の顔役の方から電話があり、大沢不動の件で話し合いがあるから顔を出してくれ、というお話しを伺っていたが、先週のとある夜、上駒木集落の集会場へ指定時刻に顔をだしますと、地元集落の顔役の方々、大沢不動の別当さん、当番役員の方々、10名ほどが集まっておりました。

 話の内容は大方察しはついてましたが、細かい部分がわからない、そして自分としての意見も考えてないということで、まずは事の仔細から伺おうと考えておりました。

 そこへ森林管理署の職員3名が到着、面子も揃ったということで、区長経験もある古老が開口一番、大沢不動の歴史やら植林した頃の話しを持ち出しながら、盛んに森林管理署の職員を責め立てる・・・・職員が答えはじめると、またもや別の質問・・・これではらちがあかないどころか事の顛末さえ、うかがい知る事はできそうにない、別の顔役が軌道修正に入るも、なかなか収まりもつきそうにない、さらに興奮もしてくる、ワイドショーなんかでよくみる反対派住民が当局に食って掛かる一場面みたいだっ・・・・。

 事の顛末は・・・・

 毎年夏恒例の伝承行事、宵宮、祭礼が執り行われる大沢不動(拙ブログでも毎年エントリーとしてご紹介)・・・このお不動さんのある山林は国有林となっている。
 今年の宵宮で別当さんからお聞きしましたが、国有林であるので、年間約3千円位になるが、国からの借地として契約したうえ利用するようにと担当者から言われたとの事、つまり無断で勝手に建物を建てて使用するならば、きちんと手続きをしてほしいと言われたとか・・・・。

 元々は別当家の山林であったらしいが、明治のはじめ頃に手続き上の不備やら、構わないでいたためにいつの間にか国有林となっていたとか、それは早くから地域でも知っていたらしいが、お堂も何度か建替えられ、何も気にせずに使用していた・・・ところが、今になって使うのであれば、手続きが必要・・・これを先の古老は盛んに責めたてていたわけです。

 先日、別当さんとその親戚の方々が参道から必要な部分に杭打ちをして歩いたそうですが、森林管理署の見解は、60アール程の面積になりますから、年間8千円位になりますね・・・とか・・・来年には大沢不動のある山林の木々がほとんど伐採されるとかで、いわば禿山にお堂がポツンという姿、森林管理署でもこれではいけないだろうということで、もう一度杭の衝き直しをして、参道の左右の木、一列か二列は残さないと格好もつかないだろうと心配したとのことでもあります。

 地域では、年間数千円、金額は問題ではないが、何故に今まで黙認しておいて、今になって・・・の気持ちが強いものと私は感じ取れましたが、時代も移り変わり、むしろ今まで使わせていただいた、この方が私個人的には強いと感じました。

 いずれ、今後どうするかが問題でなかなかそこへ辿りつけない、なんとかようやく当局の考えなり他地域ではどうしたか等の例を聞き及び、3年間必要最小限の土地を借り受け4年目で地元で買うという結論となり、なんとか決着がついた次第です。

 最後は、次世代のため、そして地域の伝承行事を滞りなく続けていただく為に・・・これが皆さんの総意でもあることを確認いたしましたし、将来このようなことを知らずに伝承行事を続けていて、いきなりダメだといわれてはたまったものではありませんしね。

 本日はその測量しなおしの日でした。



 遅れて現地に到着するも林道に駐車の車が十数台、人も間に合っているようだっ、ということで私は画像のみ写して帰って参りました・・・汗

 来年は画像の鳥居の左右各3メートルを残して木々が伐採されます。 






おまけ・・・

お蔵入りするには・・・・と思い、ふざけた画像の追加です。



ビートルズを熱唱


皆さんばかりですみませんということで、私も・・・汗


こちらは完全作ったもの・・・です。


すみませんです。

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遠野妖怪さん達の集い

2006-11-27 16:58:48 | その他
 良すぎた天気も昨日で一応終了、今朝は雨模様・・・このまま冷え込めば山も里も雪になるのか・・・といっても11月も末、一ヶ月もすればクリスマスにお正月だっ・・という季節柄、これもまた仕方なし・・・ですな。

 さて、またまたぶれんど話題で恐縮ですが、ぶれんど会懇親会の前に遠野物語研究所の高柳先生から「発刊百周年を迎えて「遠野物語」を読みなおす」の演題にてご講話を頂戴いたしました。

 30分という限られた、しかも短い時間ながらわかりやすく解説いただき、私は興味深く拝聴いたしました。
 


 その中で、先生も仰ってましたが、遠野の民話、昔話は遠野物語ではないということ、一部その中に含まれる内容もありますが、私も以前からそう考えている一人でもありました。

 でもこれによって実害が発生しているかといえばそうでもない、遠野物語と民話、昔話・・・今の遠野では持ちつ持たれつ・・・かなとも思います。


 さて、ぶれんど会での2次会、こちらも盛大に行なわれました。
 2次会から参加されたぶれんどさん、アルコールなしで我々の馬鹿騒ぎに付き合っていただいた宮城県からお越しの「とぽ」さん、ありがとうございました。

 それでは恒例・・・とらねこさんの仮装コンサート画像のはじまりです・・・笑



 ネズミートルズと愉快な妖怪達
  (ねずみ男がふたり、猫娘と雪女、河童さん、一反もんめ、天狗殿)


 ビートルズの曲とベイシティローラーズ、さらにアニメソング、演歌、フォークと立て続けにマイクを回しあう・・・・汗


 そして今回の幹事長



 ゲゲゲのロミ太郎とジョンレノンぬり壁・・・・汗・・・目玉親父も踊ってますぜ・・・・笑


         

笛吹童子さんと名梨さんが画像に写ってませんでした、次回主役級にて登場させます・・・謝


以上・・・それではまた次回
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盛会にて候

2006-11-26 09:44:05 | 遠野
 遠野発信、関連ブログ、サイトの管理人さん達、そしてこれらにコメントをいただく皆さんとの交流、親睦を図るという目的にて「遠野ぶれんど」の集いを盛大に開催されました。








 今回は県外からの参加者は3名、総勢18名のご参加、第1回としては、まずまずといったところかと思います。

 つたない司会進行、皆様に助けられたといったところですが、楽しく開催できたということに尽きるものと思います。

 あらたなる出会いもあり、これを機に交流も図られるものと思いますが、ひとつひとつの出会いが次へのステップと成り得ること、これは私にとっては間違いないことだと信じております。 

 次回もよろしくお願いします。



 ありがとうございました。




 料理は予想以上の内容、これも良かったですが、ほとんど食べなかった、というより食べれなかった・・・(緊張のあまり・・汗)


 さて、2次会の模様及び本会での詳細は明日(27日)のエントリーでご紹介いたします。
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決戦の土曜日

2006-11-25 11:23:52 | 遠野
 澄み切った青空、穏やかな一日となりそうな予感ながら、いよいよ本日、予てより計画しておりました「遠野ぶれんど」・遠野発信関連ブログ、サイトの管理人さんをはじめとする関係者各位のご参加で「遠野ぶれんど」の集いが開催されます。

歓迎の早池峰山



 「遠野ぶれんど」の集い・・・遠野ブログ・サイトの会

 平成18年11月25日(土)18時~  あえりあ遠野 やまぼうし 於

 遠野市内で活躍するブロガー、サイト管理者が主ではありますが、遠くは静岡県、宮城県からも日々遠野の話題、画像を毎日更新するブロガーさんも参加、遠野人の知らない遠野までもご紹介いただくその目線とパワーに脱帽しております。
 
 また、アクセス10万ヒットを開設1年に満たない間に達成された人気ブログ、遠野経済会を担うであろう若き経営者さん達、日々その活動をブログでご紹介、市外から遠野へ嫁いでいらした若奥様の日々の奮闘ぶりや、遠野、いやっ県内外にその名を轟かす神社の宮司さんの日記、開設以来一日も休むこともなく毎日エントリーを欠かさず続けられ、違う表情の遠野をご紹介するブログ、さらに遠野でのネット発信の草分け的存在で遠野ネット界の代表的な管理人さん、自然を愛しまた古の姿を追い求める方々・・・多種多様の皆さんが集い、交流と親睦を図るといったすばらしい会を開催いたします。

 インターネット遠野関連では数百のブログ・サイト・記事が確認できますが、これらにコメントを寄せられる皆さんはその数倍、さらに全国、全世界に発信されていることを思えば、その可能性は無限大と思います。

 インターネット時代だからこそ、出会えるご縁、大事にして参りたいと思います。

 是非に今回ご参加いただけない皆様、次回の開催にはどうぞ御参加願います。


ネネも歓迎


 さてと・・・私は司会進行、上手く行って2次会も元気であれば、またもや仮装画像をアップの予定・・・今回も武将編か、それともミュージシャン編か・・汗

 ご参加の皆さん、今宵お会いしましょう・・・。
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遠野町の館跡・壱

2006-11-23 16:04:51 | 歴史・民俗
 昨日の天気とはうって変わって朝から青空が広がる。
 早池峰山も白い衣をまとって本格的な冬の訪れ間近を告げております。



 今日は勤労感謝の日、全国的に祝日であるが、自分はたまたま休み、それでも中には仕事に勤しんでいる方々も結構いると思います。ご苦労様です。

 さて、風は少し冷たいものの、天気も良い、そこで比較的入りやすい城館跡を二つほど探訪いたしました。

 一つ目は・・・・

 杉山舘(欠ノ上)


 画像は欠ノ上稲荷・・・この一帯が杉山舘跡といわれているが、稲荷社の背部の山野の峯沿いを南は大日山、東は鶯崎辺りまで探訪するも、目立った遺構は発見できず・・・・。
 唯一、稲荷社後ろの山野に空掘跡を確認・・・


 目視で確認できるのは画像の一箇所と大日山側から鶯崎方面へ延びる帯郭跡か空掘が埋まったものか・・判断はできかねますが、それらしい形状は確認いたしました。

 杉山舘は、推測するに峰沿いの高台に見張場みたいな役割が各所に設けられ、その峰沿いの山道は青笹の丑舘に続いているのではと想像されます。
 私も今回、鶯崎の上方の山野を歩いておりますが、丑舘まで行けそうな感覚も掴んでおります。

 いずれ、主郭とみられる場所は大日山側の小さな郭で、それも何段も連ねた段状の形状は確認できず、遠野街方面ではなく、浜峠方面の監視といった役割を帯びていたのではないか?と雰囲気的に感じました。

鍋倉(横田城)城


 築館された年代は不明ながら、阿曽沼時代の戦国期、青笹の丑舘や光興寺の阿曽沼氏居舘、横田城が隆盛を極めていた頃ではないのか、遠野南部氏時代の江戸期の城下町、現在の遠野の街並みが出来る以前の舘、一部に田畑はあったかもしれませんが、荒涼とした風景が広がっていた頃と思われます。


袖高屋舘(栃洞)

 来内へ行く途中、道路沿いの小高い丘にある稲荷社の辺りという情報を持っていたが、ここだという確信は得られず・・・。
 
 館跡を記した資料には遠野町第32地割、稲荷社が鎮座しており、比高も高くなくて50メートルとされている。
 しかし、稲荷社が鎮座している側の山野は東、南側の農地に若干の段差はみられるが、こちらも確証はない、逆に道路を挟んだ西側の山野は険しく高い、こちら側が主郭であり、道が付けられる前は山は繋がっていた可能性もあり、再調査が必要でもある。

 水力発電所跡


 稲荷社の下部、北東側に石積みの升型の構築物がある。



 遠野発の水力発電所、電気を買うことのできる家は遠野町内の中流以上のお宅だったそうですが、それでもこんな便利なものはないと皆取り付け料を工面して顧客が増えたため、供給電力が足らなくなったとか、経営者達は町の経営、すなわち公営を目論んだそうですが、各自の利害等で対立し、立ち消えとなって盛岡電気工業と合併となったそうです。

 館跡調べが別分野の調べとなりましたが、旧遠野町にも館跡が存在しておりますので、なんとか早い時期に探訪調査をしたいと考えております。



おまけ

 またまた「ぶれんど」ですみませんが、名札が完成いたしました。



 名札をかけられ緊張する「とらねこ」さん。
 (とらねこネネ)
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おおすずの湯

2006-11-22 17:21:13 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
 朝は濃霧ながら空に青空が広がりはじめたと思いきや、辺りが暗くなりだして雨模様、雲の隙間から光がこぼれますが、午後には風雨といった天候、気温も下り始めている・・・・雪かな・・・?




 さて、本題の湯っこ

 今回は宮守町にある大清水温泉・・・以前は「湯・大清水」と言っていたが、いつの間にか大清水温泉となっている。



 月、3~4回は利用している近場の湯っこ・・・といった位置づけ、宮守勤務の際は帰宅途中でもあるのでよく利用したりもしましたが、今でも常連みたいな感じかな・・・・泉質は光明石使用の人工温泉ですかね、お湯がとてもやわらかくて、湯ざわりがよろしいです。
※身体の芯から温まりますので、湯冷めしにくくなります
※お肌がつるつるになることから、別名「活性の湯」といわれます
※入浴を重ねるごとに効能が自覚できます・・・とのこと。

 私的には少し温い気がいたしますがね。



 この温泉のある地域は「大清水・おおしみず」と昨今呼ばれてますが、確か「おおすず」と言っていたような・・・ですから以前は「湯、おおすず」と呼んでました。
 まっ、おおしみず温泉の方がイメージは良いですからね。

サウナ、休憩室、ゴルフ練習場有・・・宴会もできますぜ・・・。



おまけ・・・

 今週末予定の「遠野ぶれんど」の集い、幹事役の方々と最終打ち合わせ、なんとか関係者の皆さんのご尽力、呼びかけで18名の参加表明をいただいております。
 これはなかなか重厚で柔な仲良しクラブとは違う、すばらしい会となりそうな予感です。


会場となる「あえりあ遠野」の玄関ホール


 会場の下見もいたしました。

実際の会場・やまぼうし


 考えていたよりはかなり広く雰囲気も良い・・・場は整いましたが後は当日の司会進行のスムーズさと、上手さだけですかね・・・・大汗・・・いずれ口下手で内向性、赤面症にドモリが加わると思いますが、言葉に詰まったら笑ってごまかしますので御容赦願います。
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遠野ぶれんどの集い 弐

2006-11-20 15:58:48 | その他
 いよいよ遠野関連ブロガーの集まり・・「遠野ぶれんどの集い」が今週末に開催されます。
 
 参加者は私が把握しているところでは15名、これにプラス若干名といったところかもしれませんが、20名まではなんとかなりそうでもあります。

 講話をお願いしておりました遠野物語研究所の高柳先生からも資料ができあがり、仮題としていた内容も・・・「遠野物語発刊百年を迎えて、遠野物語を読みなおす」・・といった題名に決まりましたとご連絡をいただきました。
 決して難しくなく、わかりやすい内容にしたそうですから、当日、楽しみでもあります。

 さて、色々と遊びながら当日ご参加の皆様の名札作りをしております。
 まだPC上での出来ながら、お見せいたします。







 これで決まったわけではありませんし、手直しも必要だと考えてますが、もっと派手にしてけろ・・とかシンプルにしてけろじゃとか、漢字はやんたっ、ローマ字にしてけっちゃ・・・ご意見もあろうかと思いますのでアドバイスをお願いします。

 会場入口とかには「遠野ぶれんどの集い」と共に遠野ブログの会みたいな看板を目立つように出していただき、観光客や遠野の方に遠野のブログ関係者の集まりだと認識していただく、さらに名札をしているので、たま千代さんや山猫さんのような人気ブロガーが「おっ・・あのふしぎの里遠野を行くの管理人さんか」・・・なんて注目され、今後益々遠野関連、遠野発信に弾みをつける絶好の機会だとも思います・・・と私は考えますが・・・・。





おまけ

猫の餌に缶詰がございますが・・・


 この缶詰や猫の餌袋にプリントされている猫さん、うちのネネに似ているのです・・・汗

 
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20年は8時就寝

2006-11-19 21:31:03 | その他
 結婚して20年となろうとしている・・・汗
 結婚当時は、10年したら香港へ行こうとか、15年でハワイだっ、20年はスイスか・・・なんて夢のような話もしていたが、理想と現実はそうは簡単には行かないものだっ・・・。

 しかし、20年という節目、昨年辺りから九州にでも行けたら「行くべ」なんて思ってはいたが、来春は長男の高校受験、何よりも経済的理由が一番で行けそうにない、そこでごまかすわけではないが、近場で家族で行けるところ、丁度20年前の11月、婚約といいますか結納をしたのが11月、20年の節目の早取りとなりますが、最近、年に2度は訪ねる八戸、八戸在住の歴史仲間と懇親を深めるとある食事処が美味い、すばらしいと語って聞かせてましたので、ならば其処へ連れて行ってくれ・・・ということで食べるをメインに小旅行をして来ました。

根城

 歴史好きの親父には、気の利いた芸もない、遠野と八戸の歴史的関わりを家族に教えるため、まずは誰も居ない根城公園へ・・・

 「ここの殿様が遠野へ来たんだぞ・・」 家族「ふ~ん・あっそう・・」つれない返事、見学の足も速まる・・・天気は良いものの少し風が冷たい、じっくり観るでもない・・・お父さんは少し寂しい・・・汗


櫛引八幡宮

 「遠野八幡宮の流鏑馬、毎年ここの神社にも来て流鏑馬するんだぞ」 家族「あっそう・・」 家族「遠野の八幡様の方が立派だな」 父「馬鹿なこと言うもんでね、歴史は相当あるんだぞ、静かな声でしゃべろ・・」・・・汗。


沢里の湯

 ホテルのチェックインの時間まで時間がだいぶあったので、まずは温泉を楽しむ、湯加減が丁度良いらしく、しかも施設がきれいなので家族の評判は上々・・・。

 
 午後4時に街中に入ってホテルにチェックイン後、街中を散策して、八戸在住の湊丸さんからご教授いただいていたバスを使って湊方面へ・・・・。

 今回のメインとの位置づけ・・・
 お食事のデパート「喜代志」



 記念日的意味合いもありますが、ここは料理の品目を多くして少しずつ色んなものを食べようということにして、飲んで食べて・・・家族の評判も上々ながら全員食べすぎ、早めにホテルへ帰ってきました。

 ホテルに帰ってくると満腹感も手伝ってか、ベッドで横になってテレビを見ているとそのまま寝てしまったようで、気が付いたら朝・・・大汗・・・しかも家族全員・・・何しに八戸まで行ったのか・・・大汗もんでした。

 とにかく食べて寝て・・・考えようによっては人間として贅沢この上ないことでもありますが、でももったいないような・・・・。


 おまけ

南部せんべいだらけ・・

 南部せんべいの本家は八戸、盛岡ではないんですよ・・・でも八戸の某場所では盛岡の南部せんべいも品揃え、太っ腹な八戸せんべい業界・・。


ジョーズ

 触ってみて・・・の文字、末娘が上手に触ってました・・・笑

 かくして20年の記念は終ったのでありました。



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角城館・本宿舘(土淵町)攻略の巻

2006-11-17 17:55:31 | 歴史・民俗
 いよいよ半年振りの遠野郷城館跡探訪がスタートいたしました。
 本格的な積雪となるまでの間、いくつ回れるかはわかりませんが、なんとか二桁は探訪調査したいと考えてはおりますが、果たしてどうなるのか?

 今季一発目は、土淵町内の中世山城舘・・・・その中でも最も難儀しそうな城館跡「角城館」。

角城館跡

本郭は右半分の山(中央が緑で区切られている)

 いやいや、久しぶりということもあるし、身体が鈍っていることもありますが、たいへん難儀いたしました。
 傾斜40度はあろうかという斜面をジグザグに登っていく、途中で心臓が口から飛び出てくるのではないのか、と思うくらいの辛さ、太ももは張ってくるし、これはもうダメかと思うことしばしば・・・・しかし・・・実は舘山近くに住むご老人が枯草集めをしてましたので、声をかけてみましたところ、親切にも登り口までご案内いただき「まんずまんずな舘だじょ」と仰せで励ましてくれましたので、途中で引き返すわけにもいかない、しかもかなり前から攻略を目指していた舘跡でもありますから、ここは踏ん張ってなんとか頂上に到達・・・・大汗

背面の空堀跡と土塁(空堀は4重堀、かなり高感度)




 遠野規格と呼ぶ典型的な遠野での戦国時代期における山城といった造り・・・前面は上郷の板沢舘のような地形で段差の造りも似ている、背面は松崎町の興光寺舘の雰囲気そのまま・・・土淵町内の舘跡では大きな部類に入ると思われます。

 標高409メートル・比高104メートル
山頂から山口集落、六角牛山を望む


 舘主は沢村氏と前川氏の名が語られている。
 沢村氏に関しては大槌孫三郎の兄と伝えられるも、詳細は不明・・・(室町初期の人物となりますが舘の造りは極めて戦国的である)
 
 また前川氏の事績は不明・・・舘山の下には前川姓のお宅が数軒、何か舘主と関わり有る人達なのだろうか・・・こちらは聴取せず・・・。

 いずれ、宮守舘の次にきつかった舘山でした。


本宿舘跡(西舘)

 小烏瀬川沿いに北は栃内舘、角城館、大楢舘、本宿舘、八幡座舘が順に配置されている。
 しかもその距離5キロ足らずか、その中に5つの舘が残されております。
 今回は、角城舘の支城といわれる大楢舘も探訪したかったのですが、こちらも本城に負けず劣らずの山構え、断念しまして、隣の下栃内(本宿の川向)の本宿舘を探訪いたしました。

本宿舘(中央上の杉林が主郭)


 目星をつけていた山の下の集落まで行くも、どれがそうなのか迷ってしまった。
 そこでいったん、離れて遠くから見ることにして、農協支所辺りから眺めてみると、怪しい山が二つ、果たしてどちらか・・・そこで知り合いのバイク屋さんに声をかけてみると、この先に詳しい人がいるので、そこで聞いてみるといい・・・ということで、教えられたお宅にてお聞きしますと、左側の山ということが判明、しかも西舘というそうで本宿舘とは呼ばれていないとか?しかし、この界隈では北東側は大楢舘、南西側は八幡座舘のみであるといいますから、やはり本宿舘が西舘なのだろうと判断しまして、早速攻城に踏み切りました。

背部の空堀跡・・・二重堀


 背面にいたっては二重の堀を確認、少し風化が著しい・・・。

 しかし、前面は段状の形状がよく残されており、西側から南側を取り巻くように駆け下る空堀も確認・・・山の雰囲気は松崎舘、背面は興光寺舘や奥友舘の雰囲気に近い・・・こちらも戦国時代、それも末期の頃か・・・。
 
 登城ルートは道が付けられ、ゆっくりと登って行くといった感じ、最終地点で20メートルほど急斜面を登らなければならないが、ここだけが苦しいのみで後は楽勝といったところでした。

主郭から土淵中学校をみる


 標高378メートル・比高88メートル

 舘主は天正の頃、気仙郡から来た鈴木大炊助、子の老之丞は遠野孫次郎から本宿村を賜り、在名での本宿を名乗り、本宿老之丞家久と伝えられる。
 さらに慶長5年、南部利直より土淵に8百石、家久の子、因幡家重の代に150石、そのまた子の家治の時、寛永4年八戸直義遠野入部の時に岩手郡内に150石を賜り遠野を離れる。(知行地は現滝沢の大釜)・・・以来南部(盛岡)藩士として代々命脈を保つ・・・・。

 
 詳細は本編サイトの遠野・松崎じぇんご弐で掲載予定。


 久しぶり城館跡探訪、かなり疲れましたが、なかなか見応えのある舘もあり、古の舘主を偲ぶ場面もあって浪漫を感じたりもいたしました。
 いずれ、本格的な積雪時期まで天候と体力と相談しまして、適宜探訪調査を実施したいと思います。


おまけ

知らんぶりのネネ


18日~19日夕方まで不在となります。


遠野ぶれんどの集い(遠野関連ブログ、サイト)
詳しくはこちら

締め切りまで後わずか・・・20日の朝までに・・・・。
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