「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

山羊な風景

2007-07-30 19:56:15 | 
遠野ブログ画像展・・・フラッシュ予告はこちら
 開催日・・・9月8日~24日
 場 所・・・遠野ふるさと村 肝煎りの家土蔵


 暦的には土用の丑とか、先週の好天で梅雨が明けたのかと錯覚するも、今日は短パンでは肌寒いと感じてしまう一日、スタミナつけるにも溜ったメタポリをかえって増やす行為に等しい土用の丑の日、もう少し暑くなってから美味いものでも食べてみよう、そんな日でもありました。


 さて、青笹糠前界隈を流していると・・・・。



 河原に山羊がいる。
 最近は珍しい光景でもあり、私の少年時代は、地域の集落単位に一軒は山羊を飼っているお宅があって、小学校へ通う道すがらにも山羊がつながれていたものです。
 学校の帰り道、山羊は紙を食べると友達に教わり、返されたテスト用紙を食べさせたことがあったが、流石に良い点数のものは食べさせなかった・・・笑

 
 少し離れたところにも・・・・



 よくみると三匹



 乳幼児の頃の私は、山羊の乳で育ったと聞かされたが、髭が濃いのは山羊の乳のせいであろう・・・・・笑



 月末のネネ

 7月の初め頃、3日ほど家出をしていた飼猫のネネ、なかなか帰ってこなくて、これはどこかで交通事故にでも遭ったか、或いはボス猫にでも追いまわされて、帰ってくるタイミングを失い、自宅から離れた場所にいるのか、かなり心配しておりました。

 4日目の早朝、微かな猫の鳴声、ネネが玄関で力弱く鳴いている、尾の付け根に怪我をしており、血が滴り落ちるほど、以来元気がなく家で静かに寝ている毎日、ようやく怪我も治ってじゃれ合うところまで回復、寝姿も以前のなんともいえないネネに戻りました。







 あまり暑くなくて猫には過ごしやすい日でもあるようです。
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水防演習

2007-07-29 17:47:29 | ファイヤー
 消防の仕事は、水火災ともいわれ、火だけではない。
 自然災害の脅威もまたその守備範囲でもあるが、河川の氾濫などの水害に対しても大きな役割を担っているのが地元消防団でもある。

 ということで、早朝より花巻市へ出かけてまいりました。
 「北上川上流花巻地区合同水防演習」ということで、遠野市消防団も水防隊2隊(遠野町(第1分団)・綾織町(第2分団))の各25名ずつの計50名の出場となりました。


 今回の水防演習は花巻市消防団と遠野市消防団の合同演習との位置付け、昨夜は少し雨が降った影響か、早朝より湿気の多い蒸れた状態、時折の夏の陽射しもあって、黙っていても汗ばんでくる。
 背中を伝う汗がやけに気持ち悪い・・・・汗



 
 まずは、遠野町の分団、第1分団が参加した「シート張り工法」・・・・。
 シート張り工法・・・堤防の決壊を防ぐ水防工法。



 水役の係員もお手伝い・・・・笑・・・。
 一応、堤防の白い線より下は川ということです・・・・・。


 つづいて綾織町の分団、第2分団実施の「月の輪工法」

 月の輪熊を連想するものではありません・・・笑





 月の輪工法・・・堤防の裏側に穴があいて水がふきだした場合に、川の水位との水位差をちぢめ水の圧力を弱め、堤防が壊れてしまうのを防ぐ工法。


 ということで、他にも花巻市消防団、国土交通省では、積土嚢工法等も実施しております。



 今回の演習で実施の工法全て・・・。


 そして、水防といいますか、水に関連する事故、災害を想定しての救助救出訓練・・・・岩手県防災航空隊


 防災ヘリ「ひめかみ」


 よく想定される訓練ながらも、実際にも結構ある事故・・・中州に取り残された釣人の救出を想定、しかも大怪我を負っているという想定。










 いずれ目立ちはしませんが、市民の安心、安全の為に消防は多様化する災害に対処するため、訓練に励んでおります。
 水防演習に参加の消防団はボランティにほぼ近い義勇的な組織でもあり、命の危険も実は隣あわせという場面も多々ある役割、消防団活動へのご理解とご協力、是非にお願いします。



 おまけ・・・・

 男の夏、黙ってカレーを食べる・・・笑



 当直日の某日、夕刻でも結構暑い日、こんな日は辛いカレーもまたいい・・・カレーだけでは味気ないと、生春巻きもいただく。



 カレー、生春巻きは後輩達が作りました。
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すくらんぶる・迎撃せよ

2007-07-27 18:54:59 | その他
 猛暑といったことではないが、それでも夏らしい暑い一日、2、3種類の蝉の声が絶え間なく響き渡る昼下がり、「ピーヒョロ~」「ア~ア~」とトンビとカラスの忙しない鳴き声が上空を覆う。

 ふと空を見上げると3羽程のトンビが福泉寺から我家にかけて大きく旋回している。
 お寺さんとの境目の松林の松木の上方には2羽のカラスが陣取り、盛んに1羽が緊急発進を繰り返している。

 何事かとカメラも持たずにみていますと、トンビより小柄な猛禽類が突如して来襲、松木の上方に盛んに急降下している姿がみられ、急いでカメラを取ってきて構えると・・・・・。


 トンビなのか?隼か?それともノスリなのか?鷹の仲間には違いないが、トンビよりは遙かに小さい・・・・。

 するとカラスが、けたたましい泣き声と共に急発進、猛然と一直線に侵入者に襲い掛かる。




 カラスの勘三郎(仮称・・笑)、ロックオン


 ヒットしたのか?


 どうやらかわされたらしい・・・。

 すると今度は逆をとられそうになる。


 
 しかし、勘三郎は急降下、なんとか難を逃れたようだ。


 侵入者は何事もなかったの如く、悠然と北の空へ消えていった。

 それにしてもカラスは強いですねぇ、猛禽類に猛烈にアタック、なんだかんだいっても鳥類では最強戦士なのかもしれない・・・・。



 おまけ・・・・

 カメラを持ったついでに福泉寺へ・・・。



 水のあるところ、お不動様あり・・・・。


 咲き始めた福泉寺の百合





 後数日で境内全体の百合の花が咲き誇るものと思います。
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遠野遺産

2007-07-25 20:25:13 | 遠野
 時折、告知しておりますが・・・・

 遠野ブログ画像展
 9月8日~24日・遠野ふるさと村 肝煎りの家土蔵
 ご案内はこちら


 遠野駅の良い所に掲示されております。
 是非に画像展、お越しください。


 「遠野遺産」

 遠野遺産認定制度及び第一回認定はこちら


 市内各地区から申請のあった遠野遺産候補、41の遺産がこのほど認定されました。
 
 認定されたものをみれば、なるほど・・・と、うなる場面もございますし、無難な選択だったものとも私は思っておりますし、今回、はじめて知った事項もあって、なかなか興味をそそられる場面もございます。

 今回は、遠野七観音全てがエントリーされ、全て認定、これまた予想通り、そんな中、地元松崎観音では、一部修繕工事がされているとかで、今回、訪ねて参りました。



 おっけそうな階段が改修され、新しい階段が敷設されておりました。
 また、お堂や境内も現在一部工事中、来月5日の観音堂祭りには完成とのことです。


 さて、遠野遺産申請と認定、第二回目が9月から申請受付とのこと、認定は12月とのことで、この際も今回と同数位の認定となるのか、これを毎年重ねると数年後には、かなりの数の遠野遺産が誕生といったところでもありますが、認定を受けますと行政から保存や継承に係る補助金が若干いただけるとのことで、看板やら環境整備、或いはイベントに活用といった場面も出てきて、地域で守り伝えるとの意味においては、弾みもつきそうでもあります。


 とぴあセントラルコートで開催の遠野遺産パネル展


 今回、私が最も興味ある館跡に関しては、綾織町から申請のあった谷地館跡と西風館跡のふたつのみ、他の地域からももう少し申請があっても良いと感じますが、次回に期待と共に、160余箇所といわれる館跡全ての遠野遺産化もこの分だとだいぶ進むと期待もできますが、一方では回を重ねるうちに増大する遺産の保存、管理がおざなりになっていくのではないのか、その価値観もただそこにあるだけにはならないか、これも少し心配でもあります。

 朽ち果てた標柱や案内板を見るには忍びない現実だけは回避させたい、郷土史を学ぶものとしては、心が痛むことでもありますから・・・・。


 平泉を世界遺産へ・・・・これに向け盛り上がりを見せている昨今、無論、世界的な内容と比べようもなく、むしろ遠野という身近で申請しやすく、堅苦しくもない、これが一番でもありますが、私はその地域で遠野遺産認定に際し、地域で吟味し、地域をあげて勉強会を催したり、その価値の再認識等を一丸となって、運動していく、そして申請が望ましいのではないのか、これが後に認定になった際も、その苦労を思い出しながら伝え守るといった方向に繋がるのではないのか、また認定する側も書類審査や事務局による調査だけに頼らず、ある程度の時間を割いて、じっくり調査研究する、このことが必要ではないのかと・・・・・。

 ただし、所有者、地権者といった方々の理解と同意、協力も必要不可欠の内容、こういった制度ではこれらもクリアということで、個人の範疇での私などは及びもしない制度であり、やはりこういった制度は必要であると確信しております。


 松崎町光興寺界隈・・・・登戸橋付近







 暑い一日でした。


 そしてあいつはそこに居た・・・・



 相棒は、頬かむりはしておりませんでした・・・笑

 あれっ、場所違いか?
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剛球・石原繁三投手

2007-07-24 19:10:27 | 遠野
 夏の甲子園をかけた岩手県高校野球選手権大会は、花巻東高の逆転サヨナラという劇的な勝利で幕が降ろされましたが、専大北上高と双方逆転につぐ逆転の緊迫したゲーム、まさに高校野球決勝に相応しい内容だったと思います。

 そこで高校野球といいますか、遠野球界に燦然と輝く野球人を簡略ながらご紹介したいと思います。


 その前に・・・・・



 去る7月22日(日)、市消防団配備の消防ポンプの性能試験を上早瀬河川敷で行ないました。
 昨年は、猛暑の中、うだるような暑さの中、実施いたしましたが、ポンプから放水される水しぶきが一段と心地よく感じられましたが、今年は朝までは雨模様ながら、性能試験開始間際には雨もあがり、ジメジメとしたむれる天候、川の水も濁り気味で、できれば水を浴びたくない雰囲気でしたが、結局濡れてしまいました・・・涙



 まずは参加された団員の皆様、関係者の皆様、ご苦労さまでした。



 さて、本題・・・・・。

 以前ネットを通じて福岡高校OBの方で、福高野球部創立百周年を記念しての記念誌刊行ということで、とある人物について、調べてくれませんか、とお願いされた経緯がございました。

 その名を「石原繁三氏」・・・・大正期から昭和初期、旧制中学である福岡中、盛岡中が当時は県下中学野球界では両雄といっても過言ではない強さ、遠野中も徐々に力をつけてきた時代、そんな時代に登場したのが石原繁三投手、遠野中(現遠野高)の救世主といった位置付けだったかもしれません。

 この調査依頼、野球にはほとんど関わりがない自分としては、雲を掴むような内容、しかも石原投手の名も存在も聞いたことがなかった。
 ただ、幸にも職場の同僚、後輩には遠野高野球部出身者が多数いたため、彼らを頼ってOBの方と接触、簡略な内容ながらもその内容を送付した経緯がございました。

 今考えると、もうちょっと調べれば、それなりに格好が付く内容もわかったかもしれませんが、福高のOBの方は、さらに調べられて逆に教えていただくという場面もございました・・・・汗。

 さらにタイミングが良いといいますか、遠野高校野球部も創立百年を迎えるという時期であり、遠野高でも野球部創立百周年記念誌刊行の準備に入っていた時期でありましたが、半年ほどして、今度は石原投手のブロ時代の写真が送られてきました。
 数名のチームメイトと映っている写真でしたが、どの方が石原投手か?・・・詳しい方から聞いてくれませんかとの内容、このくらいなら直ぐにでもお役に立てそうということで、六日町の米雑穀店のご主人(元上司)に早速聞いてみる。

 しかし、元上司の方より年代的にだいぶ上の先輩とのことで、なかなか判明に至らず、石原選手と若干交わりがあった方を見つけていただき、ようやく判明といったこともございました。



 旧制遠野中時代の石原投手


 石原投手は、昭和5年(1930)9月に成田中(千葉県、現成田高)から遠野中に転入、遠野中野球部に入部する。
 何故に岩手の遠野へ来たのかは、割愛いたしますが、縁があったこと、これは確かなことだと私は思っております。

 石原投手の球は、まさに剛球だったそうで当時の遠野野球界の面々は大いに驚くと共に来期からの試合では大戦力を得た思いだったとも語られます。

 しかし、俗にいうノーコン投手、なかなかコントロールが定まらない欠点もあったそうですが、畳に穴を開けてその穴めがけて投げ込みを続け、コントロールの欠点を克服したといいます。
 人々は石原のタタミ投法と名付けて長らく語ったそうです。

 また、その剛球故、その球を受ける捕手がいないという場面もあって、まるで「巨人の星」での星飛雄馬みたいな逸話でもありますが、一つ先輩の選手が特訓を重ね捕手となり、いよいよ翌年の昭和6年7月25日、盛岡中、一関中、黒沢尻中、盛岡商業、福岡中、久慈農林、遠野中の七校で県大会が始まります。

 石原投手を擁する遠野中は、一回戦不戦勝、二回戦準決勝から登場、相手は強豪福岡中、しかし、まさに今、プレーボールが主審から告げられようとする瞬間、福岡中ベンチから異議が出された。

 石原投手の転校にかかる出場資格問題だったらしいが、紛糾したそうで、結局、石原投手はメンバーから外され試合開始、0-20の大惨敗を喫し、遠野中の夏は終ります。

 福岡中は決勝で盛岡中を下し、続く東北大会も制し全国大会へ出場。


 昭和7年、前年の屈辱を晴らすべく、この年の夏の県大会が7月24日から始まる。
 盛岡商業、黒沢尻中を大差で撃破、決勝は盛岡中と対戦するも石原が打たれ1-4で敗戦する。
 しかし、東北大会出場枠が二校ということで、東北大会へ駒を進める。

 8月1日、福島市において東北大会が始まると、磐城中(福島)を下し、準決勝では仙台一中を破り、決勝へ進出。
 2試合とも石原投手の快投が光る試合だったといわれる。

 決勝は、宮城県工と対戦、7-0で勝利、創部29年目の快挙、全国大会初出場を果たした。

 8月13日全国大会、初戦は朝鮮代表の平城中、4-2で撃破。
 続く8月16日、長野商業と対戦するも相手にノーヒットノーランを喫し、0-6で完敗。


 その後、石原繁三は卒業すると鉄道省に入省。
 昭和11年、日本にプロ野球球団が誕生すると東京セネターズ(現日本ハムファイターズ)に入団。
 
 通算成績は31勝42敗、防御率2.4
 124試合に登板、48完投、9完封。

 東京セネターズ→翼球団(太平洋戦争により横文字使用不可につき改名)⇒大洋・・・1936~41

 黒鷲・大和・・・1941~42

 この間、満州に2度応召、実働4年間、終戦後、戦地から引き上げるも帰国3日後に病死と伝えられるも詳細は不明。

戦争がなければプロ野球人として大成したかもしれませんし、遠野球界への多大な良い影響がもたらされたかもしれません。


 夏の高校野球県大会、ここ数年は遠野高もベスト8、16と上位に食い込む活躍を見せておりますし、遠野緑峰高も昨年の初戦突破に続き、今年も初戦を制し、二回戦では春の東北チャンピオン一関一高と中盤までは肉薄する試合を演じております。
 遠野の高校球界も上向き傾向かと思っておりますし、今後の奮起、ご健闘とご活躍をご期待いたします。
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TYOサウナ狂想曲

2007-07-22 21:51:26 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
 慌しく江戸表より帰還、雨模様でしたが今年も別当を務める愛宕大権現の宵宮を執り行いました。

 今年は8月6日が旧暦の6月24日で例祭の日、しかし例年の事ですが、別当家である我家と、お堂を管理される福泉寺との調整で、7月22日(土)の宵宮となりました。

 愛宕社の由縁、以前笛吹童子様が記録等をもとに若干紹介されておりましたが、6代前の先祖、清十郎が江戸後期に別当であった旨が記載されているようです。
 なんとか、家に関わる諸問題も再燃という場面ながらも、なんとか守り伝えて参りたいと思っております。







 雨模様ながらもこの時期いつもの雰囲気、蝉時雨の中での宵宮、年々参加人数が減っておりますが、今年は3家11名、高校生の長男はクラブ活動で遅れて参加、でもこういった行事があるといったことは気に停めていてくれて、遅れても顔を出すということ、うれしいことでもあります。



 さて、こちらがメインのエントリー・・・・
 
 「TYOサウナ狂想曲」

 風呂好き、サウナ好きを公言しておりますが、サウナ好きになったのは、ここ10年位か?

 地元でも時間があったり、遠出の際は温泉施設やら健康ランドに立ち寄る、そんな癖が出来てしまったというか、むしろ趣味に近いかもしれません。

 上京の際も、時間に余裕があったりすればサウナを探して汗を流してサッパリ・・・・。
 サウナの中には、居酒屋顔負けの豊富なメニューを誇る食堂を兼ね備えた施設もあって、時間つぶしも事欠かない。
 しかも一日居ても1千円~2千円と安く、夜飲んで泊るところがなかったらサウナに泊る、そんなことも可能で都会では大助かりでもあります。


 (画像と私のエントリーとは無関係です)

 たまたま一人での大都会、一人で居酒屋のカウンターに陣取る、しかし回りは皆、グループやら複数での飲食、一通りの飲み物とつまみをチョイスするも、話し相手もいなく、ただひたすら飲んで食べて、煙草の本数も増えてしまう、仕舞には滅多に来ない携帯電話を取り出して、以前のメールを確認したり、眺めたり、結局30分も居れば居辛くなる。

 その点、サウナはゆっくりでき、しかも皆、一人が多い、似たような境遇の方々の集まり、私的には違和感はない。

 昨今は背中に綺麗な絵を描いている方々の出入りは禁止となっているが、それでも全然いないわけでもない、以前はサウナ室に入った途端、中の人全てがその道の方々という、なんとも余計に汗が出るといった経験もありますが、でもこの方々、割と思ったより話も面白く、気遣いをしていただく場面も結構あった。

 それともうひとつ・・・サウナとくれば、HOMOさんの話題にも事欠かない・・・汗

 私は声を掛けられたとかはないですが、今回の上京で・・・・汗

 シャンプーをしていると何やら視線を感じる、風呂は混んでなくて皆洗い場の椅子は飛び飛びに利用している中、隣からの視線のようだ・・・一瞬視線が合うというか、目が合ってしまった・・・大汗・・・直ぐに泡を流して脱衣所へ・・・・。

 そしていつもように食堂のテーブルに座ると生ビールを注文、暫くすると先ほどの人物が・・・・「にいさん、目が合いましたね・・・ニヤッ」思わず、私も苦笑いしたのがいけなかった・・・・汗・・・・向うは私が笑ったことが何かの合図といいますか、OKのサインと映ったようだ・・・・大汗・・・向かいの席に陣取りやがった・・・頼みもしない生ジョッキが私の席に届けらける・・・・丁重にお返しすると見知らぬ中年の方が・・・「私がいただきましょう」と助け舟を出してくれた。

 その方もその道の人か?・・・・汗がようやく引いたにも関わらず、またもや大汗・・・・そそくさと着替えをしてサウナから退散・・・・。



 結局、携帯からネット当日予約で某シティホテルへチェックイン・・・少し高くついた都会の一夜でした・・・・笑
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再会・27年

2007-07-21 15:52:08 | 思いで
 19日夕方、新花巻、水沢江刺、一関、仙台、大宮、上野の各駅に停車、東京行きの「はやて」にて上京。

 上京の際にいつも利用のやまびこ号ですと、仙台までの各駅、福島、郡山、宇都宮、大宮、上野と停車して東京へ3時間以上かかってしまいますが、はやて号ですと2時間45分で東京へ・・・・帰りも逆のパターンのはやてで帰って参りました。


 はやて・・・新花巻駅


 2ヶ月に3度の上京、私的な理由での内容ですが、今回は、疲れ気味ながらも重い何かが立ち込めるということではなく、気分もまあまあ、新花巻駅で一本、車内販売で2本、仙台駅で停車の際に、急いで購入して一本、計4本をやりながらの新幹線の旅、東京駅についた際は、ほろ酔い気分でした・・・・汗



 
 さて、翌日の用向きも予定通りなんとか終了、本来はネットでの歴史仲間との懇親の宴も考えていたが、時間配分やら少し見当もつかなかったことから、今回は無し、それでも考えていた時間内に用向きが済んだということで、ここ最近、上京の度に気になっていたある場所に思い切って行って見ることにしました。



 小平市「喜楽寿司」

 5月に亡くなられた親戚の葬儀の場、高校時代の同級生のお母さんと久しぶりに会う、その際に、同級生である息子さんの近況について話され、私も懐かしく拝聴いたしましたが、上京の用向きがあるときは、是非に立ち寄ってくださいといわれましたので、丁度良い機会が3度も・・・・2度は時間的なことで訪ねることは叶いませんでしたが、今回、その機会を得た思いで訪ねました。


 思いきりっよく店の戸を開けて暖簾をくぐると・・・・「らっしゃい」と威勢の良い掛声。
 
 店のカウンターの中に当時の面影が若干残るベテラン板前さんに声をかけていただく・・。

 「おっ・・・」「おっぉぉぉ・・・かつ○し・・・か?」
 「よっ、久しぶり・・・・」

 直ぐ私とわかったようだ、うれしい・・・・・。

 

 土淵町出身の菊池K氏

 実に27年ぶりの再会、彼とは高校時代の同級生、3年間同じクラスで、特に1年生の最初の期末考査中に鶴田という友達と3人でテスト期間中に小烏瀬川で釣りをして、担任の先生や他の先生も釣りをしていて、偶然川で鉢合わせ、「お前ら成績が良いように見えないが、余裕があるな、帰って勉強しろ」と注意されたことがあった。


 ほとんどの魚介類がダメな自分、寿司店に居るという矛盾、しかし、その旨を告げると私が食べれそうなものを出してくれた・・・・美味い・・ホント美味かった。


 27年ぶりの再会、同級生の中では一番最初に結婚、20歳になった辺りか、その前か、とにかく男、女関係なく岩手に残った同級生達と披露宴の実行委員会を結成して、市民センター中ホールで結婚披露宴を催し、それから一度も顔を見ていなかった。

 結婚と同時に寿司店で修行していたことは知っていたが、あれから27年、寿司職人としてのオーラが板に付いているというか・・・板前さんですから・・・笑

 懐かしく昔の話や近況報告、お孫さんもいて、小学生だという・・・驚・・・まさに板前さんとしては大ベテラン、その腕も熟練に達し、円満で幸せな家庭を築きあげている雰囲気も十分伝わる・・・・。思わず懐かしさも手伝って涙腺が潤み始める自分、その反面、自分は今まで何をしてきたのだろう・・・仕事面もまだまだ、適当に歳ばかり重ねてきて・・・・そんな思いも交差する・・・・。

 しかし、元気な同級生の活躍を目にすると、自分ももう一丁やってみるかという気分になり、さらに元気をいただいて、正味1時間程度でしたが、同級生との再会を楽しむことができました。

 またの再会を・・・・・。




 東京都小平市「喜楽鮨」

 HPも開設・・・・こちら
 




遠野ブログ画像展・・・開催についてはこちら
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慌しく・・・・

2007-07-19 13:24:18 | その他
 国土調査該当日、当直明けでしたが、開始時間に間に合わないので、早退いたしまして立会いたしました。



 今回は宅地と農地がほとんど、該当地権者約10名程の参加、無論地権者全員が顔を揃えました。

 どうしても都合がつかない方は委任状提出で代理人でも良いのですが、家族は皆仕事、しかもここ最近、土地をめぐって強くお叱りとご指導を賜っておりますので、なおさら、無理をしても参加しなければなりません。




 色々と難儀なことでもありましたが、地域の諸先輩方とこうして地元を歩いてみる、知らなかった昔の話を聞けたり、道の移り変わりも聞けたりと、私的には収穫もありました。



 かつての下村(下駒木)への道・・・画像奥に舗装道路が少し見えてますが、道路は画像右のビニールハウス横を通っております。
 市道となっておりますが、新道が付けられた当時は、畑の真ん中にドーンと道路が出来たもので、かつての道はご覧のとおりの道幅、人と馬専用といったことが伺われます。

 

 休憩時間に撮影した猫っこ・・・人も猫も一服タイム


 午前11時過ぎ、我家の畑の境界杭設置がラスト、直ぐに着替えをして、遠野ブログ画像展告知をする会場「とぴあ」へ向かった。

 20日からの河童大明神に併せてのぶれんど会の告知、その会場作りにメンバーもいるはずということで、遅まきながら顔を出して参りました。

 ほぼ準備は完成しており、少し手直し等を手伝ってお昼過ぎに終了。

 ブログ画像展もいよいよ本格始動といったところです。

 romiさん座敷親父さん、ご苦労様でした。


 さて、午前中は慌しく過ごしましたが、夕方早くには上京の予定でもあります。 とある事情の第二幕、先月から3度目の東京、いくら都会好き、東京好きといっても流石に経済的なことや、用向きの内容で疲れ気味でもあります。

 帰りは21日の午後早く、帰って来たら夕方から別当を務める愛宕神社の宵宮、此処へ来て何かと慌しくなっている・・・・涙 
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大出早池峰神社宵宮07

2007-07-17 22:19:55 | 遠野
 私にとっての休日、少し朝はゆっくり寝ていてもいいかなと思っていたが、早朝よりとある事情で叩き起こされる。

 しかも罵声と怒号が入り混じりの小言をくだくだ言われ、それでも当方の落ち度がその原因でもあり、言い訳もできず、ただただ頭を垂れるのみ・・・・。

 しかし、一日といいますか今の今まで胸くそが悪いというか、心のどこかに何か刺さっている思いを引きずっての一日でもありました・・・涙


 こんな時は、神楽の軽快なテンポか重厚な踊りを観て忘れる、まさにそんな思いで早池峰神社宵宮に出かけてまいりました。

 今日は運転手附き、少しはビールも飲めそうです。



 私が大出早池峰神社に着いたのが午後7時半過ぎ・・・・。

 小雨がそぼ降る生憎の天気・・・。



 演目ふたつとほどを観て、その場を離れると、嫁さんの同級生で、えんで出身、附馬牛在住の、現えんで区長さんの娘さんと出会う・・・・既に彼女はビールで良い気分らしく立て続けに生ビールをご馳走になる。

 しかもえんで神楽の重鎮で、こういった場面では何故か良く顔が合う御仁と接触、またまたビールをいただき、交通指導員の女性もえんで関係者、えんでの集いがはじまり、否応無しにビールが次から次へとおかわりされる・・・大汗





 これではいかんということで、再度神楽見物・・・笛吹童子さんに声を掛けられる。
 他のぶれんどは見当たらず・・・でしたが、再度、呼び戻されて再びビール攻撃・・・・。






 神楽はまだまだ続くも、お腹も一杯、ほろ酔い加減、しかも飲んで忘れようと思った今朝の出来事を思い出し、自棄酒気味、これではいけないと思い、昨年同様、僅か2時間の滞在で撤退、宵宮は私的には中途半端となってしまいました。

 今回は遠野通いブロガーの面々は遠野入りを見送り、少しでもその雰囲気をと思いましたが、この程度となってしまいました。

 小雨模様、気温も低く、昨年よりは人の入りが少なめと感じましたが、幽玄で重厚な宵宮、少しですがその雰囲気を感じていただければ幸です。



 
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耳切山からの夕景

2007-07-16 22:08:01 | 遠野
 夕焼けハンター6号出動・・・・。
 松崎町駒木在住者の特権、耳切山を確保せよ・・・・「ラジャー」



 遠野馬の里より

 
 ということですが、台風の後は地震発生、特に大きな被害に遭われた地域の皆様へ心よりお見舞い申し上げます。
 

 午後6時45分、自宅から見える天ヶ森の上空が薄っすらとオレンジ色に輝きだした。
 さらに白い雲が龍のように東へと静かに長く伸びはじめる。

 自宅から数枚連写、どうも上手くオレンジが出ない、場所を変えようと車を妻ノ神方面へと走らせる。

 途中、東側を見渡せば・・・雲海のように東の山々を取り囲んでいる。


 六角牛山




 耳切山の頂部付近に至ると・・・・




 早池峰山、薬師岳

 そして、とらねこ・・・いやいや、夕焼けハンター6号渾身の2枚






もういっちょ・・・。


 午後7時20分、下山・・・。


 街の灯りが、とても綺麗ね、まつざき・・・・。

 遠野、松崎方面の灯りもボチボチといったところ・・・。



おまけ



 ばんがりのチャーシュー麺・・・魚系出汁が効いたスッキリ味。

 昼少し前、先週お願いしていた、懐かしのフォークソングのCDをいただきに、ばんがりへ行って参りました。
 さらに、遠野ブログ画像展のポスター掲示も依頼、快く掲示をお受けくださり、併せてお礼申し上げます。
  ありがとうございます。

 我家は、庭の工事中・・・・しばらく騒がしい日々が続きそうです。



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