第38回 全国菊池の会 総会が遠野市を会場(あえりあ遠野)に開催されました。
遠野市で開催されるのは今回で2度目で、前回は平成11年10月第18回総会といことで20年ぶりの開催となります。
平成10年には菊池姓つながりで熊本県菊池市と友好都市を締結、翌年に全国菊池の会が遠野で開催されたということで、俄かに遠野菊池の会が発足したという経緯がございます。
遠野菊池の会の会員の多くは、全国菊池の会に入会はしておりませんが、ホスト役として、事前準備やら遠野市の観光部門の担当部署にも多大な協力をいただきながら、なんとか受け入れ準備完了という運びとなりました。
遠野菊池の会から12名の参加、全国菊池の会は33名ということで、他に関係者を含めて懇親会には約50名の参加となったようです。
総会開会前の様子
総会終了後は講演会、もちろん菊池一族にちなむ歴史的な内容となりました。
講師先生は・・・
上の資料にお名前が記されてますが・・・
「遠野菊池党」の著者であります
入内島先生です。
遠野菊池党は、15年程前に刊行された遠野を中心とした東北の菊池氏に関しての秀書、名著であると私は思っております。
ですから著者であります入内島先生とは機会がありましたら、何かしら接触を図りたい、叶うならば菊池氏に関してご教授いただきたいと念願しておりました。
今回、遠野で開催の総会でお会いできることは、何よりもうれしく、講演を拝聴できることを楽しみにしておりました。
今回の講演内容は、遠野菊池党にも書かれている内容ではありましたが、遠野での菊池姓のルーツに迫る内容で、たいへん参考となりましたし、総会後の懇親会の席で、短い時間ではありましたが、手持ちの資料等を提示いただきながら、色々とご教授いただきました。
ありがとうございました。
講演会の後に遠野の昔話等の語り部、そして懇親会へと続きました。
全国から参加の会員の皆さんと交流、懇親を深めることができたと思います。
ところで、皆さんと色々とお話したなかで、2名の方から「菊池家の何代目となりますか、私は20数代目、約700年前まで遡ることができます」とか「26代?続いており系図も残されております」等・・・素晴らしい由緒、凄いですね・・・という言葉しか返せませんでした。
熊本時代の菊池氏の当主やその兄弟の名も語られ、傍にいた遠野菊池の会の先輩会員も「凄い」としか言えません・・・という表情のみ・・・(;^ω^)
遠野の菊池姓の場合、特に市内の在郷では「系統 けいとう」・・・遠野での方言で「まき(系統)」という表現で、ある程度説明がつくものかもしれません。
小生の住まいする地区を例にあげると・・・
小生の家で遡ることが出来る系譜は7代前辺りまで、寺の過去帳とかさらに調べれば、もう数代は遡れるかもしれませんが、江戸末期頃に分家となった雰囲気も大いに感じられる。
何故か・・・というと地域内には菊池家の大家と呼ばれる家が存在している。すなわち本家である。
この大家である菊池家からは各年代でけっこうな数の分家が存在し、我家も含めて、年代は違えど分家された家々は系統、つまり「まき」と言われ、近年は廃れてはおりますが、昔は冠婚葬祭、特に葬に関しては100年以上も前の縁でお知らせが来たりもします。
ということで市内の各地には、その地区を代表する本家たる菊池家が存在し、その取り巻き、すなわち分家が存在し、系統を形成していることである。
無論、他の姓にも言えることですがね。
その本家にもさらに遡れば本家があり、ある程度古い家、本家であれば総本家も存在している。
これらの家々なら10数代は遡れるかもしれませんが、それ以上となると遠野で確認することは難しいものと思います。
今回ご参加の皆さん
今回の全国菊池の会総会をきっかけに、さらなる遠野菊池姓の探究心がくすぐられた感覚でもありますが、リタイヤしてからの課題としたいと思います。
全国各地の菊池氏関連史跡、名勝地も訪ねてみたい、そんなことも思い始めておりますので、なんとか実現したいと思います。
全国からお越しになられた会員の皆様、ご参加された皆様、お疲れ様でした。
是非にまた3度目の遠野での総会開催、お待ちしております。
この度は、ありがとうございました。
※遠野市菊池姓 約1万世帯のうち2000世帯が菊池姓
福泉寺の紅葉 10/27
前回のエントリーで全山4割の色づきと記しましたが、6割の間違いです
謝
1日経ったら7割はいったかもしれません。
ピーク間近どころかピークそのものです
謝