「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

福泉寺の桜09

2009-04-29 18:40:21 | 遠野
 終日晴天となった29日、昭和の日。
 
 昨夜の宴の名残もありましたが、折角の休日、しかもほぼ快晴で桜も見頃ということ、その桜も思ったより長持ちしているみたいで、いつもの場所、自宅隣の福泉寺にて撮影いたしました。


まずは早池峰山




 いつもの風景ながらも、自宅に居ながら遠野での有名処、福泉寺の桜を期間中毎日観ることのできる幸せ、散歩コースでも最適で桜を愛でながらカメラ片手に散策、何処かへ出かけなくても十分春を満喫できます。


2009.4.29撮影


































 雨や少し強い風があったりして山腹の大観音堂付近は散りはじめとなっておりますが、山麓部分はなんとか今週いっぱいは花も持ちそうな雰囲気です。



はやちね食堂


 シンプルながらも、はやちねラーメンがお薦め・・・です。



下駒木のしだれ桜






 黄金週間、5月6日頃までは割と気温も安定し良い天気が続きそうとの予報、桜は終盤となっておりますが、遠野では各イベントが各施設等で開催されるようでもありますので、どうぞ遠野へお越しください。




〇4/28開宴の遠野ぶれんど


 今年に入ってからぶれんど(遠野プロガー)の集まりに顔を出せなかったのですが、宮城からお越しの「たま千代さん」迎撃の宴が催され参加して参りました。
 今年初めて顔を合せて杯を交わすというメンバーもいたりして、少しだけ新鮮な気持ちだったりもしましたが、いつものメンバー・・・最終的には10名の参加となり、遠野の名所、民俗、歴史と話題は尽きず・・・いつもながら楽しい集まりでありました。
 最後は親父年代炸裂二次会・・・汗・・・いつものことですがね・・・笑








 話題の遠野山ブドウワイン・・・数量限定品ということで案外貴重なんですが、惜しげもなくただ飲むだけ・・・汗・・・しかしかなり甘いワインでしたなぁ・・・女性向けかもしれない・・・。






 いつもの如く熱唱中・・・笑





 ご参加の皆様、遅くまでご苦労さまでした。

 一週間以内に第2弾ぶれんど開催予定です。
 遠野Fねっとへ登録され、情報等に留意願います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春映

2009-04-28 14:34:01 | 遠野
 雨模様で肌寒くなかなか青空がみえない日が続いてましたが、ようやく太陽も顔をだし、本調子の空模様とまではいかなくても、陽春といった雰囲気になっております。




2009.4.28 AМ 遠野市宮守町にて撮影



 勤務明け後、気になることがあって午前中に宮守町内を徘徊・・・・目星を付けていた場所が空振り、別場所も同様・・・涙・・・詳細は下段にて記述します。



宮守川・・・下宮守地内










 さて、本題の「春映」・・・・

 
 風景画(絵画)の題名にてエントリーという内容ですが、洋画家・向井潤吉氏の作品である「春映」・・・・この作品は旧上閉伊郡宮守村(現遠野市宮守町)にて描かれた作品であるという・・・。




向井潤吉 作



 実は現宮守町在住、現在勤務する人達、縁の人達に情報があったら提供願いますとの報、向井潤吉氏の作品「春映」のモデルとなった場所は何処か?

 昭和51年の作品である春映・・・

 30数年前の風景であり、茅葺屋根の家々は既に無いものであろう、また桜、リンゴの木も現在残っているのかもわからない、地形も少しは違っているかもしれない・・・ただ強いていえば後ろに控える山、この形は今も昔も変わらずといった思いもありますが、これを受けて地元民ではありませんが、ピンときた場所があって、プリントアウトした絵のコピーを持ってその場所に行ってみましたが、どうやら空振り・・・涙・・・かつては茅葺屋根であった家をトタンに葺替した家であり、その他の建物も茅葺ではありませんでしたが、その配列がよく似ており、しかも手前の田圃の形状も似かよっていたのですがね・・・・しかし、背後の山野や周りの木々は絵とはだいぶかけ離れていて、どうやら違うといった印象・・・。

 ちなみに下宮守の小沢という集落でしたがね・・・汗


 午前中一杯、それと思しき風景を求めて探索しましたが発見に至らずでした。
 

 絵画についてはこちら


 既に情報提供がなされているかもしれませんが、モデルとなった場所について思い当たる方は遠野市役所宮守総合支所へご一報を・・・。






おまけ・・・・ドキッ


 今月に入るまで気がつきませんでしたが、夕方松崎橋を通ると・・・この辺では見たことのない美形の女性が・・・思わず・・・「おっ・・と」汗・・・次の瞬間「ドキッ」としましたが・・・・汗










 テニススクール?・・・バトミントン帰りのセレブといった雰囲気です・・・笑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜だよりとウソ

2009-04-26 19:21:21 | 遠野
 雨降りで肌寒い日曜日、なかなか市内の桜を撮影に行くことも叶わず状態となっておりますが、午後に僅かではありましたが、青空も見えた時間があって、間髪入れずにとりあえず近所である福泉寺の桜を少しですが撮影して参りました。


我家の庭先から・・・



参道





本堂・庫裡付近



大観音付近









 全山、ほぼ満開状態となっており、県道沿い、本堂側参道、大観音堂付近は24日から満開となっております。
 
 受付を通っての参道の前半部分は5分咲となっており、これからが見頃となりそうです。

 この寒さで少し花も長持ちしそうな雰囲気ですが、全体的に爆裂咲きといった内容ではなく、大観音堂下の桜は、やはり鷽(ウソ)の被害もあったみたいで、枝にはまばらな花が付いているといった状態も見受けられ、3分咲き程度でお終いとなりそうです。

 今週一週間はなんとか桜が楽しめるかもしれません。






 さて・・・汗


 ついに小生も妄想考察ながらも歴史家としてデビューとなりました。
 絶賛発売中でとりあえず岩手県内とネット販売を開始いたしました。




 
 ウソの被害はやはり深刻ですね・・・・笑
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盛岡冷麺狂想曲2

2009-04-25 15:30:15 | その他
 昨年12月に大好きな盛岡冷麺の食べ歩きを敢行したのですが、この度、盛岡方面での宴があり、前回食べれなかった盛岡冷麺を3食程食べて参りましたので、ご紹介いたします。


 まずは前回の記事・・・こちら

 その後の関連エントリー・・・こちら



☆もりしげ・・・盛岡市仙北町

 盛岡冷麺の美味しさを伝える各口コミで時折目にしていたお店であり、盛岡冷麺通をも唸らせる美味い冷麺との印象で、さらに麺もスープも独特とのことであり、是非に一度は味わってみたい盛岡冷麺でもありました。


「もりしげ」の冷麺


 弾力がありモチっとした麺の食感、スープはとろみがあって旨味が凝縮されているという印象で他店の盛岡冷麺とは一味違います。
 なんといっても一杯550円という良心的なお値段に加え、見た目よりも食べ応えがありました。



☆盛楼閣・・・盛岡駅前東口

 旅のガイドブックやら旅行雑誌に取り上げられた人気店で、口コミでも常にトップにランクインしている名店でもある。
 前に1度食べたことはあったが、それほど記憶に残る印象はないが本音ですが、ネットでの評判はもの凄いものがあって、ここは是非にじっくりと味わってみたいということで食べて参りました。


「盛楼閣」の冷麺




 7段階の辛さがあり、小生は辛味別をチョイス。
 透明感のあるスッキリ系のスープと思いきや、かなり旨味の詰った美味しいスープで、麺も歯応えがあってこちらも美味しい。
 盛岡冷麺では一般的なスタイルながらも横綱級と盛岡冷麺通を唸らせる味がそこにはありました。



☆焼肉ヤマト・・・盛岡市三本柳(盛岡南店)

 岩手県内はもとより県外にもチェーン店展開している名店。
 小生の盛岡冷麺好きを増幅させたのがヤマトの冷麺でもあります。


「ヤマト」の冷麺





 あくまでも個人的な思いですが、どんな美味しい冷麺を食べようが、最後はここヤマトに帰ってくる・・・盛岡冷麺としてはスタンダードな部類であると思いますが、スープ、麺、トッピングと期待を裏切らない冷麺でもある。
 何よりも辛さ調整のキムチが小生好みでスープとの相性がバッチリでもある。

 ポイントカード制でかなりお得に冷麺を食べることができるのも好感が持てる。




 盛岡冷麺を含む食物に関してのエントリーでは、言うまでもなく個人的な好みの問題でもあって、此処は不味いとか美味いとか、それを論じるものではありません。
 あくまでも小生個人の印象であります。

 そんな中で、まだまだ盛岡冷麺の美味しいお店全てを食べ歩いたわけでもありませんが、小生個人的に・・・小生の口に合う美味しい冷麺とは、スープが辛さ調整のキムチの味に左右されるということを強く感じております。

 スープは何処のお店も旨味があってたいへん美味しいと思いますが、小生は辛味用のキムチが辛い中にも甘味があるキムチ、カクテキが大好きで、これらがスープに交じった味がものすごく好きなのである。
 このことは、あくまでも個人的な思いですよ、人によっては酸味の効いたキムチでなければいけないという方々もおりますからね。

 いずれ今回も歳も考えずにやってしまったという思いも少しはありますが、第三弾も機会がございましたら挑戦してみたいと思います。


盛岡の夜・・・イメージ





 朝食抜きで、まずは「もりしげ」にて昼食、盛岡市内で湯っこを堪能して夕方早く宴会に出向く前に「盛楼閣」。
 飲み会の締めで3杯目の盛岡冷麺を予定していたが、少しお腹が苦しく断念、翌日の昼に3食目の盛岡冷麺となりました。


 今回は二つの宴、特に二回目の宴は、かつて交友があった御仁と久しぶりに会うことができて、たいへん楽しく過ごすことができました。
 こうしたつながり、いつにも増して大切にせねばと実感しているところです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠野を感じる

2009-04-23 19:31:27 | 遠野
 学校関連行事が組まれていたが、先月より嫁様の愛車「紅お銀号」改め「紅S天馬号」・・・笑・・・の法定点検を予約していたので、紫波町の某販売店にて点検を実施する。

 また、我愛車「濁酒特区スッケ号」も先月が点検月であったが、本日に併せてこちらも点検を実施、スッケ号は遠野市内の知人の整備工場に入工させて夕方まで預っていただいて、紫波へと向かいました。




 嫁様の愛車ながら名義や購入は小生である・・・笑
 二人分の定額給付金は車の点検代にはかなく消えました・・・涙



 大きな不良個所もなく無事に点検終了・・・その足で用向きがあったイオン盛岡南店へ・・・・。





 久しぶりに結いの市を覗く。




 売り場の一角には遠野コーナー・・・相変わらずそれなりに人気があるようだっ。


 しかも農産物生産者の顔ぶれは、小生の地元、松崎町駒木の農家の方々が多いことに気づく・・・・。







 同じ岩手県内とはいえ、盛岡で遠野を感じる、しかも近くに住む知人の皆様の顔・・・・そして自信の農産物に加工品の数々・・・・すばらしいですね。

 是非にイオン盛岡南店へ行かれましたら「結いの市」で遠野を感じ、美味しくて安全な農産物や加工品をお求めくださいね。




おまけ

国道283号線、遠野バイパス(日影橋~遠野風の丘)沿いの桜





 2009、4,23 午前11時頃

 5~8分咲といったところか。

 風が強く気温も低めでしたが、まだ満開に至らなかったのが幸いしたのか、強風で花弁が散るといったことはなかったようです。
 こちらも週末には満開となりそうです。






 24日も盛岡詣の予定、久し振りに盛岡冷麺食べ歩きでもしようかなと思案中です・・・汗
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代遅れ

2009-04-21 18:05:44 | その他
 先週のことですが、何気なくテレビを観ていたら4月16日は歌手であった河島英五さんの命日だったと報じていた。
 実は先月末に、これまた何気なく聞いていたカーラジオから「時代おくれ」の曲が流れており、何かしみじみとくるといいますか、いい曲だな~と思っていたところでした。

まずは本日の曲から
こちら


 曲のフレーズで・・・

 妻には涙をみせないで  子供に愚痴を聞かせずに
 男の嘆きはほろ酔いで  酒場の隅に置いて行く
 目立たぬように     はしゃがぬように
 似合わぬことは無理をせず・・・・


 これがなんともいえませんね、ようやくこの歳になって歌詞の意味がわかるようになったといいますか、自分に置き換えたりして・・・・涙


 といっても性格的には目立つことはできない部類なのですが、着るものは赤や黄色といった派手目の服装、しかもブログのやっている身としては、やはり歌詞のように「目立たぬように はしゃがずように」は当てはまらないかもしれない。

 また一日2杯の晩酌もしませんしね・・・笑


 でもいい曲です。



 時代おくれではありませんが、賞味期限切れながら・・・

 冷蔵庫奥から画像のものが・・・汗






 7ヶ月前に発売、賞味期限は今年の1月11日・・・汗・・・でも折角だから味わってみましたが・・・・これは美味い・・・味は落ちていないと思う・・・汗

 これからご近所での飲み会があるので、普段は晩酌しないけど一本景気付けに飲んで出かけて参ります・・・笑




おまけ

天気予報どおり雨降りとなりましたが、昨日より桜も進んでいる様子・・・。



 福泉寺受付付近も3分咲きといったところです。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春が キタ━━\(゜∀゜)/━ !!!!!

2009-04-20 15:36:12 | 遠野
 遠野市内、大よその桜は開花とのことで、いよいよ陽春といった遠野地方・・・
 本日は、まずまずの日和ながらも下り坂との予報・・・・。
 そこで崩れる前にと地元松崎町駒木の一部ですが春の模様をお伝えいたします。


耳切山牧道から松崎町、遠野市街地方面



妻の神~荒川線、耳切山頂上付近




 頂上付近から荒川高原までの区間、残雪がございますが、車の通行には支障はございません。
 が・・・まだ本格開通はしておりませんが、実質通行可能ということで、通行の際はくれぐれもお気をつけてください。


 耳切山へは、これが観たくて行ったようなものです。

前薬師と早池峰山



 頃合いを見計らってUターン、来た道を戻り、妻の神(上駒木集落)へ・・・

大沢川沿いの水仙





 何気なく近づくと・・・・
 シマびへ~・・・が・・・汗
 きゃつらもお出ましの季節到来


 気を取り直して、18日に続き菩提寺福泉寺へ・・・・
 どうやら19日に開花宣言となったらすぃ・・・・ので、一番開花の進んでいる場所へ・・・・。







 この一画のみは3分咲きといったところ、山腹の大観音付近は咲きはじめ、他はつぼみ状態ですが、明日には咲くものと思われます。








 福泉寺の場合ですと、このまま行きますと25日、今週末には満開となりそうな雰囲気、来週一杯持てばいいのですがね?


 ついでに・・・福泉寺の水芭蕉は終盤・・・。




 禅寺ではないけど、お寺さんに合いそうな「座禅草」




 遠野の春、爆裂モード炸裂の遠野へ是非にお越しください。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜09・間もなく福泉寺

2009-04-18 16:56:40 | 遠野
 遠野でも桜の開花情報がチラホラと聞かれておりますが、過去ログを見ますと昨年は4月20日には開花していたようです。
 その前の2007年は、4月末、28日頃の開花となっておりますが、昨年、今年と例年よりは早い桜の開花となっております。

 さて、遠野での桜の名所のひとつでもある福泉寺は、どんな状態かといいますと・・・・。


2009.4.18正午頃撮影


 陽当りの良い場所は、思っていた以上につぼみが色づいております。






 陽当り良好で枝の先部分は・・・・


 開花寸前、午後には開花したかもしれません。



 遠野地方の桜の中でも、遅めに開花する福泉寺の桜ですが、近年は街場の桜とあまり開花時期が変わらないようでもあり、まずは大観音のある山腹の陽当りのよい場所から咲きはじめ、徐々に里の方に下りてくるという状態でしたが、近年は開花時期に差が感じられなくなりました。


本堂



名工、小原樗山の作(大正時代)




大観音付近




 イメージ的には先に紹介した里の木々よりも、こちらの方が早く開花するはずですが、つぼみはピンクがかってはおりますが、今日、明日に開花という雰囲気はみられませんでした。
 それでも20日の週、前半には開花となりそうです。


大観音堂



大観音堂下の桜


 斜面全体に桜や紅梅がありますが、間もなく咲きはじめ、全山にわたり白、ピンク、赤で彩られる日々も近いと思われます。

 一昨年は鷽(うそ)という鳥に芽を食べられ、3分咲き程度で満開という場面でもありましたが、見る限りでは芽も大丈夫なようで、爆咲の桜が見られそうです。

 気象条件にもよりますが、とらねこ桜監視官によりますと・・・笑・・・26日の週が見頃かと思いますし、我家至近の桜並木は、結構持ちが良くて5月3日頃まではなんとか見られるのではないのか?・・・と思います。


 福泉寺桜情報、次回は21日にお伝えいたします。





 合掌・・・・



 嫁様の実家生まれで盛岡で多方面にわたり活躍された大叔父が逝去された。
 嫁さんを含む実家の皆様及びその親戚の方々が遠野から参列、勤務の関係で小生は火葬、葬儀に参列できませんでしたが、心より御冥福をお祈りいたします。




 ネネ

 陽気も戻り、庭に出る回数も増えたようです。


 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懸下茂左衛門

2009-04-16 16:17:48 | 歴史・民俗
 遠野の桜開花情報は当エントリー最下部に記しておりますので、お見逃しなく。


 さて、紫波町の佐比内関連調べの過程において、ひょんなことから欠下茂左衛門に関する内容を発見、それでも概要のみですがご紹介いたします。


遠野・欠之上稲荷神社









 欠之上稲荷神社は文禄年間に葛西氏旧臣の欠下茂左衛門が石巻の日和山にある稲荷社を勧請したと伝えられており、欠下氏は主家葛西氏が豊臣秀吉により所領没収となり没落した際に遠野に流浪し、遠野横田城主、阿曽沼広郷、広長父子に仕え遠野阿曽沼家臣となったといわれている。

 欠之上稲荷のある山野は杉山館跡であり、館主が欠下茂左衛門とも伝えられ、稲荷社と館に深く関わっていた人物として考えてもよさそうでもある。

 なお、かつてはこの稲荷社、山の中腹にあって勧進した欠下氏の名にちなんで欠下稲荷と呼んでいたようですが、後の享保年間に山上へ遷され、欠之上稲荷と呼ぶようになったとか?・・・・。





 欠下氏(懸下)は、阿曽沼氏没落後も遠野にあって、さらに寛永4年(1627)八戸根城から遠野へ入部した八戸氏(遠野南部家)家臣として欠下氏の名が散見されますので、八戸氏家臣に採用されて遠野にあったものとばかり思ってましたが、よく資料等をみますと、寛永4年、11年と家臣達の俸禄、召し抱えとなった名簿に欠下氏の名は確認できず、その空白時期は?・・・・それとも姓名を変えて仕官したものか?少し気になってはおりました。

 こういった内容調べは結構難儀し、どの書籍、資料から手をつけようか・・・?目星をつけていた書籍等が空振りに終わるとお先真っ暗という場面もあって大概は途中で止めてしまうことも多々ありました。

 そんな中、紫波町佐比内関連にての調べで、まずは市外の歴史等を調べるその初期段階で各市町村の自治体史、すなわち市町村史を手始めに調べるのですが、これが案外便利な代物で広く浅く、時には深く・・・かなり重宝いたしますが、今回、たまたま見ていたページ前後に佐比内の金山関連が掲載されており、その中で懸下茂左衛門の名を発見、紫波町史に記載されておる内容ですが、ご紹介いたします。


〇懸下茂左衛門と女牛金山

 紫波町舟久保にあった女牛金山の開発者は伝承によると懸下茂左衛門とされる。
 葛西臣であった懸下茂左衛門は主家没落後、南部利直に出仕して300石を給され、遠野城代配下として遠野坂の下に住まいしていた。
 寛永3年(1626)事故あって南部家より家禄没収となり郎従5人手回りの者を引き連れて遠野を後にし、紫波の舟久保村に来住、同村には茂左衛門の姉婿である南部藩士小山田新右衛門の知行所があった為にそこを頼ったものと考察されており、此処で女牛金山を開発、茂左衛門は承応3年(1654)現地で死去と伝えられている。

 
 女牛金山は茂左衛門が来た頃は既に廃れていたといわれる。
 女牛金山のある近在を農地として開墾した功績があり、このことで金山開発者と混同されたものとの見解も示されている。

 
 茂左衛門は現地で死去したが、寛文3年(1663)茂左衛門の子息、宅右衛門が八戸弥六郎に召し出され、再び遠野へ戻り、以来八戸氏(遠野南部家)家臣となったと記されている。


 おそらく文禄年間に遠野に至り阿曽沼家臣となり、阿曽沼氏没落後の慶長6年以降に南部利直に仕え、寛永3年、八戸直義の遠野入部前に何かしらの理由にて改易の憂き目となり遠野を離れたものと思われる。
 そして紫波郡内で帰農していた時に、近隣の佐比内村を知行した八戸弥六郎にその噂が広がり、或いは自らアピールしたものか?いずれ子の時代に遠野へ帰還といった流れだったと想像できる。


欠之上稲荷神社から遠野市街地







 さて、桜開花情報・・・・
 
 既に早咲の桜で有名な大工町の善明寺では開花とのことですが、以前から小生の勘違いか思い込みか?いずれ遠野での桜開花標準木である新町の法務局の桜がほころんでましたので、自分的には遠野の桜の開花宣言だと思います。












 ここ週末には市内の桜が続々と開花、来週には有名処を含めて揃い踏みといったことかもしれません。
 見頃は今月末の週か?上手く持てば5月第一週までかな?・・・・。

 
 次回は福泉寺桜情報をお伝えします・・・18日の予定
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐比内館(熊野神社) ・紫波

2009-04-15 16:06:52 | 歴史・民俗
 紫波町の大巻城跡探訪に伴い、資料によると大巻城に居た河村氏は同町の佐比内館に後に移ったと記され、大巻城と佐比内館はセットとして見るべきと判断し、大巻城跡探訪の道すがらでもある佐比内館跡をまずは訪ねてからということで、大巻城跡探訪の同日、まずは紫波町佐比内の佐比内館跡、現熊野神社の山野を探訪いたしました。


〇佐比内館  紫波郡紫波町佐比内字神田
 平山城  標高175メートル 比高45メートル
 遺構  空堀二重、土塁、郭
 館主  河村一族  天正年間 河村喜助


 舘南方の佐比内川に中沢川が合流する右岸の山上にあり、現在、熊野神社の境内となっている。
 熊野神社再建の際に、頂部部分がかなり削平された形跡があるも境内奥の一段高い平場の背面(北側)には大きめの二重空堀が残され、北側以外の方向は急な斜面となっているが、二段から四段の帯郭が配されている。

 佐比内川に沿う遠野街道を見下ろす絶好のロケーションであり、交通の要衝であったことが伺われます。


山上の平場・・・熊野神社



主郭部分



北側の空堀





帯郭 西側



東側


南東側



 遠野から紫波町日詰に至る県道沿い、右手にある熊野神社が館跡であるが、盛岡方面への用向きには、こちらの道を利用するといったことは少なくなっておりますが、以前は案外利用していたこともあって、佐比内の熊野神社と資料に記されておりましたので、直にピンときました。
 また至近のバス停も「舘前」?「舘の下」?とあり、それらしい雰囲気が漂っておりました。


 河村氏が南北朝が合一前後の時代に大巻城から佐比内館に居館を移したと伝えられ、当初は川向いに館があったとしている。
 
 佐比内館は、ある程度遺構が残され、結構見応えのある場面でもありましたが、道路脇の鳥居の下から徒歩で山上を目指しましたが、東側の農道からは直接車で乗り入れることができるようです。
 そんなことは知らないので、下からゆっくり登って参りましたが、5分もかからずに到着、熊野神社の社は思っていた以上に大きく立派でしたので、少しビックリしました。






〇熊野神社  佐比内村鎮守






 神社由来は説明板のとおりかと思いますが、補足しますと・・・

紫波佐比内 熊野社

 喜明院によって応永3年(1396)熊野権現社創建、代々の別当は喜明院。
 一説によると河村一族ともいわれ、明治2年、喜明院は川村氏を名乗っている。
 
 熊野権現→熊野大神→熊野神社(明治2年)


 また、江戸期の南部藩政時代、紫波の佐比内は八戸弥六郎(遠野南部家)の所領であったので、何かしら熊野神社との関わりがあるのではと少し調べますと・・・

 寛永12年(1635) 八戸弥六郎直義より社領3石の寄進を受けている。








 ついでに、むしろこちらの方がメインエントリーと成り得ますが、遠野南部領、志和佐比内(紫波佐比内)について・・・


 さて、遠野郷土史に興味ある方々においては、紫波町の佐比内がその昔、江戸時代に八戸家領、すなわち遠野領であったことはご存じのことと思います。


 寛永4年(1627)南部利直より八戸弥六郎直義に宛てた墨印状には・・・
 志和佐比内 677石825合・・・とあります。

 寛永4年以前、遠野南部家の知行所となる前は南部藩大迫代官区に属し、寛永4年に八戸弥六郎(遠野南部家)の所領となりますが、延宝3年(1675)11月、佐比内村の内、221石余(下佐比内)が盛岡直轄地に編入され大迫通となる。
 佐比内村は上佐比内が遠野領、下佐比内が盛岡領と二分された。

 このことは、遠野南部第4代(25代)八戸利戡時代の出来事で遠野領の鱒沢、小友と盛岡領の下宮守と紫波佐比内の所領交換が行われたことによるものと思われるが、少しつじつまが合わない気もする。
 佐比内は寛永4年から遠野領となっているので、後に所領変換の際に佐比内の一部がそのまま盛岡に組み入れられたものか?
 
 後に小友、鱒沢は返還されますが、下佐比内村に関しては文政10年(1827)遠野南部家分家の附馬牛八戸家、八戸上総の知行地となる。
 上、下と佐比内は分断された時代は継続しますが、いずれも遠野南部家縁の地ということで明治維新まで続きます。


 寛永4年、紫波佐比内村一円677石余、同郡彦部村46石余が遠野南部家領ともいわれますが、彦部村 彦部与五右衛門38石余、新屋敷新助8石余とある。
 
 寛永18年、佐比内村723石余(八戸弥六郎)、彦部村は資料にみえないとしている。
 彦部村は中野家(南部吉兵衛)の所領となっている。



・遠野南部家志和佐比内村代官
 遠野南部家による私設代官が遠野領内各地に設けられ家臣達が派遣されていた。

 岡 安助
 石橋新兵衛、水越左五右衛門(~宝永2年)・人首平右衛門、米内金兵衛(~宝永7年)・長嶺茂兵衛、岩間佐市右衛門(~享保元年)・十日市左源太、松田安兵衛(~宝暦6年)・金田一弥右衛門、中舘金左衛門(~明和9年)・金田一忠蔵、石橋治郎左衛門(~安永10年)・人首判右衛門、小沼仁右衛門、三上惣吉(~寛政7年)・小笠原金兵衛、野沢高水(~文化13年)・田沢倉寿、江田勘助(~文政3年)・金浜八十右衛門、小笠原秀八、菊地幸蔵、菊地覚左衛門(~文政8年)・両川覚兵衛、鈴木隼人、高橋武左衛門、駒木嘉左衛門(~天保7年)・小原定見、松田七九郎(~明治2年)


熊野神社から佐比内方面


 遠野から盛岡に出向く際は2日の行程といわれ、佐比内で一泊することになっていたようでもありますが、佐比内との関連含み、熊野神社に関わる内容に八戸弥六郎や八戸上総との関わりを示す古き棟札等、檀那として名がみえるか機会がありましたら確かめてみたいですね。




 ネネ



 14日から末娘が修学旅行で東京へ出かけておりますが、遊び相手がいなくなったのでネネも少し寂しそうでもあります。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする