「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

救助大会前1

2005-05-30 14:23:40 | ファイヤー
我レスキュー隊・わげすたず(若者達)は只今、来る6月末開催の岩手県救助技術大会に向けて日夜練習に励んでおります。
普段の訓練とは違い、競技会という意味合いの強い大会でもあり、県大会での上位入賞者は東北大会へ、さらに東北大会を勝ち抜けば全国大会という栄誉が待っております。
当地区は職員数の関係上、10名前後の選手規模ではあるが少数精鋭、個人種目と3名一組といった種目のみの登録ではあるが、これからの頑張りを期待し、己の技術の研鑽と練習の成果を十分発揮していただきたいと思っております。

私は若い頃は第三の男的で、いわば補欠組、体力も技量も人より劣っていたのだろう、20代は日陰の身でありました。
努力しても実を結ばない、これって自分のことだと考えていた。29歳の時、同期や私の年齢に近い同僚達は、ほとんど引退、指導的立場となっていた。そんな中、選手として声掛けがあった。今さら・・・そんな思いがありながら、何故かオレンジの服を身にまとう自分が其処にはおりました。遅咲きといいますか、若い頃の鬱憤を晴らすかのように練習に励みましたが、私が選手として出場したのは2度、上位入賞という目標には届きませんでしたが、仲間たちと練習に励み、共に泣き、笑い・・これだけでもよかっとた今は思っております。
わげすたずには技術的なアドバイスはできませんが、くれぐれも怪我のないよう励んでいただきたい、そう思うところです。

画像は、拙ブログでも御馴染み「二進も三進も日記」管理人、うめぼし消防士。
はしご登はんの部出場・・・・
梯子下のスペースで命綱を作成、高さ15mの梯子を登り、速さ、ロープ結着の正確性を競う競技。高度な技術と正確性、さらに脚力が必要とされ、一発勝負的な運もありますが、日頃の練習で培われた確実性、安定した技術があれば十分、県大会を勝ち抜く力はあると思います。
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なんじょすっぺがな

2005-05-28 12:30:01 | 書籍
農協斡旋の郷土史本のチラシが届けられた。
「北上・花巻・遠野・和賀・稗貫の歴史」パッとみると大変興味をそそられることが書かれてある。これは是非にほしいところだ、しかも限定とくる、さらにほしくなる、次に値段が気になる。今なら9千いくら、まず一万円である。ここで少し悩む、頁数は250頁ほど、「なぬすたど、ほんだば、遠野関連は50頁もながんすちゃ」少し最初の意気込みからだいぶ落着いてくる。次に編纂に関った先生方の名前が列記されている。・・・遠野市○○○○、「おっ、けっこう頑張っておられる地元の先生だ」どんなこと書いてあるのか、どんな見解を示しているのか、ことに遠野阿曽沼氏関連は知りたいところでもある。・・・悩む・・悩んでいます・・・阿曽沼氏だけではなく、遠野南部氏時代も、さらに和賀氏一族も稗貫氏一族も・・・・まさに私が今後本格的に取り組もうとしている内容ばかり、とにかく悩んでいる。
ということで第一は内容もさることながら金額が一番、山ノ神に相談するしかねがべな、でも、しゃべりずらい・・・汗


画像は、東北戊辰戦争の決定版・・「仙台戊辰史」
山口県のマツノ書店から復刻された書籍、こちらも全国限定500冊にひかれて福沢諭吉さんプラスで購入、なかなかいい本であるが読み下すのに時間がかかり、疲れたりもするので、必要な都度必要な頁のみを読んだりしている。
奥羽越列藩同盟からしてみれば敵である長州の本屋さんから刊行されるといった複雑な思いもございますが、私はよくぞ復刻してくれました・・・の思いです。
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サムトの婆的・・?

2005-05-26 17:54:04 | その他
 朝から晴れ渡り、気持ちのいい午前中、画像収集へと出かけて、いつしか高清水の展望地へと至っていた。
 盛んに牛の放牧が始まっている、また所々には残雪、下界は水田がまるで太古の遠野が湖だった名残のように光輝いていた。

 画像は、遠野から見る岩手山・・・頭のみしか見えませんがね。

 
さて、4年前に車から財布を盗難されたことがあった。鍵は抜いたものの鍵かけはしなかった。駐車場所から数十メートル程度のところでの用向きであったことと、木々はあったが見通しが案外良い場所でもあったということで油断していたのが原因だと思ってもいた。
 少し用向きに時間がかかり、帰る頃はほとんど真っ暗、そして財布は運転席のハンドル下の物入れに入れておいたのだが、翌日まで気がつかなかった。
 翌朝、学校に子供を送った帰り、缶コーヒーでも買おうととあるに商店に寄ったが、財布には五千円札一枚が入っていたはず、お金を細かくしなければと思い、財布を捜すも無い、車内を10分程度探したが ないっ 家に忘れたかもしれないということで、家に帰ってからも心当たりを探す、それでも無い、またまた車内を探したが遂に見つけることはできなかった。
 思い起せば、昨夜、車をロックせずに1時間程度離れたあの時にやられたか、と頭をよぎる・・探してもなければ盗られたに違いない、無性に悔しく、さらに人通りも結構あったなと思い出す、その足で警察署へ行き、盗難届けを提出、簡単な現場検証も実施、思ったより面倒でもあった。それよりも財布に入れていた金融機関数社のカード、こちらの対応の方が面倒で時間もかかった。
 ということで、金額はともかく、カード等の手続きがけっこう大変であったと記憶している。

 そして今年5月、自家用車の調子が悪い、かねてから修理をお願いしていたが、地元の修理工場経由で直接花巻の販売支店に持って行き、そこでの修理となった。3日で修理完了、地元の修理工場に車を取りに行きびっくり、助手席の上に埃まみれの黒い財布が置かれていた。
 工場の人「なんだか、すらねどもよ、財布どこさがおずであったずじぇ(よくはわからないが、財布がどこかに落ちていたそうです)」・・・これは・・4年前に盗られたと思っていた財布、俺の財布・・中身はそのまま、カードも全部ある・・しかし、五千円以外はもう使えない・・損したような儲けたような・・・それでも五千円はみっけものでした。
 財布は聞くところによりますと、ハンドル下といいますか、ハンドルが付けられているボックス、ウインカースイッチやライトスイッチがついてあるところの下部の隙間にスツポリと入っていたそうです・・・汗

まさに遠野物語でのサムトの婆的出来事・・笑・・しかも風の強い日であった。
簡単に他人を疑ったりしてはいけないとつくづく思った出来事でした。
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北奥羽史最強ブログ

2005-05-25 18:41:28 | 歴史・民俗
本格的に郷土史関連、それも遠野阿曽沼氏、八戸氏(遠野南部氏)関連の充実の実は熟した・・・そんな思いの昨今ですが、これもタイミングが良いといいますか、まさに後押しされるような朗報が飛び込んできた。
ウエブサイトで北奥羽中世史を主に取り扱い、公開しているサイト、拙サイトも含めて5サイトによる北奥羽史の情報発信、歴史談義、城舘関連、事件等、その他歴史考察を含めて発信するブログその名も「南部・津軽諸城の研究」(仮)が遂に公開されました。
今現在では北奥羽最強・・笑・・主に南部家圏域、つまり岩手県~青森県、一部秋田県といった地域の城関連、郷土史、氏族の事柄が主に展開されていくものと思いますが、岩手、青森での歴史関連サイトは希少でして、なかなか互いの情報、意見交換もできない状況ではありましたが、ここに選りすぐりのサイトが集結、郷土史に興味持つ方々、地元をもっと知りたいと思う方々には、強い味方かもしれませんよ。
ちなみに私は、阿曽沼氏、遠野八戸氏(遠野南部)、一部遠野郷周辺の諸氏がメインとなるものと思いますが、主宰の稲用さんも阿曽沼氏関連に詳しく、また睦月庵さん共々遠野地域の舘(城)も紹介しております。また島守さんのサイトは歴史のみならず道徳やPC関連の内容も詳しいですので、まずはブログでの記述に対してのコメント、さらに詳しく知りたい場合は直接参画されてますサイトを訪ねられご教授をいただく、或いは交流を図られてもよいと思います。
いずれにしましても素人とはいえ、その道ではかなり研究されている方々ばかりですので、今後の発展も期待できるものと思います。

ブログへは拙ブログ、ブックマーク「南部・津軽諸城の研究」からお入りください。
遠野の皆さん、よろしくお願いします。

画像は、九戸の乱にての舞台・・・九戸城(二戸市)
天下に弓引いた男、九戸政実の本拠です。
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史劇(映画)

2005-05-23 18:36:29 | その他
先週土曜日開催の運動会の振り替え休日で中学生の長男は休み、雨が降ったら映画でも観に行こうと約束していたが、天気予報通り、雨・・・ということで北上のマイカルシネマに行ってきた。
何を観ようか・・と悩んだが、十字軍ものの「キングダム・オブヘブン」に決定・・、個人的には満足といった感じでもありました。また長男も3年続けて観た「ロードオブザリング」に出演の俳優さんが主演ということで、少しだけ違和感なく観れたものと思ってます。

長男とは幼い頃から毎年映画に連れて行っておりました。「クレヨンしんちゃん」を欠かさず観ておりましたが、成長と共に3年ほど空白がありましたが、小学生高学年から「ロードオブザリング」、物語が完結したので何を見せようかと考えていたところでしたが、私の子供頃は、史劇といいますか、歴史大スペクタルの映画が結構テレビでも放映されておりました。
月曜ロードショー、金曜ロードショー、さらに土日の午後も、映画なんか結構やっていたりして、ベンハー・スパルタクス・ローマ帝国の滅亡・十戒・クレオパトラ・ワーテルロー・・・こういった歴史物が再放送を含めて、映画館でも観た記憶もあって、子供でしたが、大好きでした。
最近はグラディエーター・トロイ・アレキサンダー・・等、歴史物の映画も多くなってきて私的には子供の頃のワクワクした思いが蘇るようで楽しみでもありますし、昔のようにエキストラ何千人とか何万人と動員しなくてもCG処理した戦闘シーンは大迫力であり、今後も史劇ものの充実を期待したいと思います。
無論、残虐な戦闘シーン、人の死といった描写もございますが、これも歴史のひとつであり、こういった歴史の上に現在が成り立っている、これらも考え合わせてこれは映画である・・と言い聞かせて観たいと思います。

ところで、遠野には昔、私の知っている範囲では街中に映画館が3軒あった。駅前の東映は同年代、後輩の方々も知っているものと思います。それと市役所の向いにもあった。こちらはゴジラなんかを観た記憶があるので東宝系、さらに仲町、北京飯店の辺りにも映画館があった記憶がある、ここでは怪奇物を家族でみた記憶がある・・(幽霊もの)、それとなな・・なんと附馬牛の上柳にも映画館があって、ここでクレオパトラを小学校の高学年の頃、誰と観たか思い出せないが、観たんですよね・・・。
ということで、幼い頃観た史劇ものの一部は、ビデオとしていくつか大事に持っております。DVDにでも焼いて保存するといたします。
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ブログ隆盛時代

2005-05-20 20:19:23 | その他
ようやく寒気も去って、風は強いものの五月晴れといった新緑の季節を感じさせる一日でありました。田んぼは、ほとんど田植えも終盤、田んぼ仕事に畑仕事、地域の方々、頑張っておられる姿が見られますが、農家とはいえ、我家は名ばかりで、主だった農作業は、畑周辺と宅地の草刈、庭木の手入れ、草取り、夏、秋野菜の僅かな収穫を目的とする農作物の手入れ・・・今や百姓とはいえない内容でもあります。
地域の方々が額に汗しているとき私は、全身から汗を絞り出す行為で「ヒー、ヒー」言っておりました・・・笑
市民のオアシス、「たかむろ水光園」のトロンサウナでサッパリ・・いい身分といわれれば返す言葉もございませんが、本日は金曜日、入浴料半額の260円の日、行かねばならないという思いに駆られたわけです。・・・といいながらも週一回は行っておりますがね・・・汗

さて、4年前に見よう見まねでホームページを開設、試行錯誤といった大袈裟なことではありませんでしたが、それでも月一度の何かしらの更新、追加事項を目標になんとか続けている。
しかしながら、この追加事項や更新、けっこうたいへんでもあるのに、なんとなく日記的なこと、普段考えていることなど、なげかけたい、そんな安易な気持ちでブログというものを始めてみた。毎日更新は流石にきつく、仕事柄無論できない相談でもあるが、最近、遠野を題材としたプログが目立ちはじめている。彼ら、彼女達の遠野の画像を拝見すると、地元に住んで居ながら、新しい発見や新鮮な気持ちになるのは遠野人で私だけだろうか?普段何気ない景色や通いなれた道、画像でみると「こったなどころさ、こったなものあったけが」と日々感じております。また自分で知っているつもりの場所にでかけ、いざっ、カメラに収める、これらでも新たな発見や思いも体感できる。特に遠野以外にお住まいの方、遠野へ引っ越されて日の浅い方々のブログは、まさにこれらが十分満ち溢れている内容でもあり、遠野外から訪れる方々の目線でも感じられる内容でもあると最近思うようになってきた。
とにかくプログ全盛時代、手軽にネットを通じ、その日の話題を提供できる簡単さ、ほんと便利なよい時代になったものだとあらためて感心している。

画像は「たかむろ水光園」の南部曲屋・・・移築され観光的に活用された当初の曲屋であり、なかなか趣きがございます。
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危険物

2005-05-17 21:34:29 | ファイヤー
危険物関連団体の総会で花巻温泉に出張していた。
消防の業務として危険物施設の許認可、維持管理に関する規制・・等、重要な監督業務がある。一方では、危険物施設を抱える事業所による団体への関りもあり、指導的立場ながら事務局に近い仕事などもしている現実がある。
危険物(主に石油関連)は管理の仕方を間違えると大変な事故に発展する可能性があるが、最近は企業も業界間の競争も激しくなり、生き残りをかけるといった厳しい現実もある。
しかし、一番は安全に危険物を取り扱い、事故のないよう配慮する姿勢、これがまずもって必要なことでもある。これらのことは事業者も従業者もわかっていることですが、それでも事故は発生する、福知山線の脱線事故ではないが、しっかりと認識していただき、安全に石油等を供給していただく、これに尽きます。
ところで危険物取扱者試験、主流は乙種第4類であるが、その合格率は20~30パーセント、かなり難しい、丙種なら受かるだろうということで丙種を受験される方も多いが、こちらも簡単なようで実は50パーセント程の合格率でもある。
単なる資格としての取得試験ではない、受かった後もそれなりの責任を負わなければという意識付けでもあると思う。
昔に比べれば合格率低下しているようです。
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念願

2005-05-15 20:04:59 | 歴史・民俗
画像は五輪峠・・・
遠野小友と江刺人首(玉里)を結ぶ峠道・・・昔は主要街道でもあり、中世の頃は、葛西氏の軍勢が遠野へ侵攻するルート、また逆に遠野勢が江刺に侵入するルートでもあり、軍事上重要な峠でもありました。
また江戸時代は南部と伊達の境でもありました。
五輪峠の由来
天正の末頃、大崎・葛西一揆で戦死をした武将の子が、父の菩提を弔うために、峠頂上に五輪塔を建てたことによると伝えられている。宮沢賢治の『春と修羅』の舞台でもあり、賢治の一節の碑もあります。

さて、日頃サイト関連でお世話になっている紫波の、ぱぱれもんさん、知人のボンネットバスさんと江刺人首の探訪計画があって、待ち合わせ等に不手際が発生しましたが、なんとか五輪峠手前で合流、五輪峠見学の後、私個人としては念願の寺跡探訪が待っております。
今回はボンネットバスさんのお取り計らいで地元の郷土史家の先生、地区センターの所長さんまで、ご多忙のところ御案内くださりました。
その寺跡とは我菩提寺である福泉寺の前身、江刺人首の法門山福泉寺跡・・・由緒等は後日に本サイトにアップ予定ですが、資料等もいただき、予想以上の収穫と共に、古の歴史を考え、さらにその場に立っているとなんだか胸に込上げる感覚がございました。
また敷地跡に立つ小さなお堂の中には、遺物もみることができ(編笠、太鼓、鐘、弘法大師の絵・・等)これも感慨ひとしおでもありましたし、福泉寺の移り変わりを見て来ただろう樹齢数百年のかやの木、桜、歴代住職の墓所・・・・
来年は開山400年の節目であるのも知りました、遠野福泉寺として何かしらしなければいけない、せめて皆で手を合わせに再訪しなければと・・思ったしだいです。

お世話になりました、利府先生、平塚さま、そしてボンネットバスさん、ぱぱれもんさん、ありがとうございました。
今までの史跡めぐりを数段上回る感慨深い思いをいただきこちらも感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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運動会

2005-05-14 19:16:38 | その他
下の子供が通う小学校の運動会に行ってきた。
とにかく寒いの一言、鼻水タラタラ、身体はガクガク、例年もけっこう寒いという経験から一枚多く厚着して、ズボン下まで履いて出かけたが、それでも寒かった。スキーウエアでも着なければと思う日でもあった。
子供達も寒かったと思いますが、元気に運動会に集中、寒がっていたのは父兄のみか、・・いやっ、とにかく寒かったので皆寒かったに違いない。

子供の頃の運動会
私は小さな小学校が学舎だったので、児童だけではとても運動会にならない、休む間もなく連続で種目に出なくてはならない羽目になるようなもの・・・そこで昔から小学校の運動会は学区民運動会と銘打って地域の運動会でもありました。集落対抗の運動会兼務であつたので、父兄だけではない、地区民こぞって参加の今思えば楽しい運動会でもありました。
昼は父兄だけではなく、親戚と一緒にご馳走をいただく、賑やかで、さらに夕方からは集落公民館で懇親会、これも子供心に楽しいものでした。
では、私の子供達は・・・
遠野でも一番児童数が多い小学校だけあって、父兄の数も多い、もう十数年小学校の運動会に顔を出しているが、来ている顔ぶれもだいぶ変わってきている、それだけ古参といいますか、歳を取ったという事かもしれません。
でも当初の頃とそれほど内容も変わらず、子供の頃親達と一緒に食べた昼食、今でも地区の方々とひとつのテントでいただく光景が見られ、この点は微笑ましく、続けていただきたい。
私が中学校に進むと運動会は親も来ないし、おまけに昼食は弁当だったりと、味気ないものでもありました。でも親に来られても恥ずかしいとか、親も農作業を休んでまでも行く価値はないと考えていたのか、また自家用車もそれほど普及してない頃で、足がなかったというのも理由のひとつかもしれない。今は中学も父兄が沢山みえられ、昼食時間は親子で食べるといったことでもあって、こちらも安心している。

ところで画像の万国旗
何故運動会に各国の国旗を飾るのだろう・・?私の小学生の頃もやはり同じであった。
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地籍調査で・・・

2005-05-12 20:25:58 | その他
とにかく寒い、田植時期の前後一週間くらいは冷たい雨が降ったり、曇りがちの日があったりと、寒いのは例年のことではありますが、3月下旬の頃の気候か?ジャンパー、ストーブは手放せません。

タイトルの地籍調査・・・
国土調査法に基づく・・・・なんとかで、説明会を開催します・・・との役所からの御案内。
軽い気持ちで出かけたが、中身を聞いて少し唖然というか、家主としての責任みたいなものがあらためて湧き出る思いでもありました。
地籍とは、人で言う戸籍の土地版、これは説明を聞くと実に自らが無知でさらに地域生活では大切な事であり、また近隣の方々との普段からの付き合い、調和を崩さないためにも、さらに子、孫の代までも・・そういった重要な行為であると認識せざるを得ない。
今回の国土調査に係る地籍一筆調査、私の住む地区内で隣の集落が対象、隣の集落の山林に持山があるので私も対象ということであるが、調査、図面作成、登記まで4年係りということである。
さて、恥ずかしい話しながら、自分名義の山林が何処にあるのか、漠然とわかっているつもりでも実際に足を踏み入れたことがない。隣接の山林は地元の顔見知りの方の所有であるので、兼ねてから近いうちに境の確認と山の状態を見ようということになってはいるが、今回、調査前に地権者同士で境界の設定の確認と杭打ち、さらに刈り払い等の作業を事前にするようにとのこと、いわれれば当然でもある、自分の財産ですから自己管理は基本で、ましてや隣との境界は最も重要で、下手すると争い事の種にもなりますから、慎重かつ調和も必要と痛感しております。
ただ今は親父にきちんと山へ連れて行ってもらっていたら、自分からお願いしていれば・・と後悔もしております。
面白いことに集まった地元の方々、以前の図面を見るなり、前より面積が少なくなった、広がった、中には「この菊池○○ってだれだべ」「おらは、すらねじぇ」「あいや、ほんでね」つまり、自分ところの山林の隣接の地権者が一人ではなく、複数存在することを今はじめて知ったということで、その方が誰だかわからず役所の方に調べていただくという場面もございました。実は私ももう一人の方と山が接してした事実を図面をみて知った次第です。
生前親父が、隣接の地権者と境に杭を打ったり大石を置いたりして境界は決めていたということを聞かされてはおりますが、皆さん大概は沢で隔てていたり、目印の大木や置石で取り決めていたといわれ、随分と境が動いたという話もされておりました。
いずれにしてもよい機会でもありますから、本気で取り組みたい・・そう思いました。

それと歴史、民俗的なことながら、この地域の字名等、こういった詳細な地図でないと確認できない、今は皆無に等しい地名が散見され、これにも興味津々の自分がそこに居りました。

画像は、我山林に隣接の三峰様
昔は狼が出没、人や家畜を襲い、さらに農地まで荒らすので、三峰様を地元で祭っていたものです。三峰様は狼を使いとする山岳信仰のひとつといわれます。
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