「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

臨時列車撮り

2010-02-27 18:10:43 | 遠野

 遠野ぶれんどのGONGEN様から情報をいただいておりましたが、釜石線を臨時のお座敷列車が27日、28日運航するとのことで、その撮影をいたしました。

 遠野では町家のひな祭りや28日夜は小友町裸参りと晩冬、早春?のイベントが続きますが、小生は28日は当直なので、裸参りの見学、釜石線上りのお座敷列車の撮影は叶わず・・・涙・・・となっている。

 

 ということで、綾織辺りで臨時列車撮影と考えていたが、自宅を少し早く出てしまったので、この際と思い宮守町のめがね橋で狙うことに・・・・。

 

 三色の3両編成列車とのこと・・・・午後1時半頃、いよいよその姿を現した。

 

 

 

 宮守町の岩根橋で撮影後、めがね橋に到着したゴンゲン様とksuzさん親子、その他カメラマン数人といったところでした。

 

某遠野プロガー氏・・・笑

 

 さて、列車を追いかけて綾織辺りで今一度撮影と思うも、どうやら遠野まではノンストップとのこと・・・列車の方が早いと諦め、遠野駅で3分程停車とのことで、その先の上郷辺りで狙うことに・・・。

 ゴンゲン様は平倉辺りに移動とのことで、小生は当初、街場の稲荷下の陸橋からと考えていたが、途中、列車の姿も見えず、これは既に遠野駅に着いているものと判断して、そのまま上郷方面に向かいました。

 列車が早いのか当方が早いのか?全くわからないまま上郷町へ入ると、携帯電話に着信が・・・・汗・・・・しばらく鳴って切れたが、また着信が・・・・。

 ちょうど赤川橋辺りにカメラマンらしい人が見えたので、まだ列車は通過していないと判断できたので、当方も信号を右折して、まずは着信が気になるので停車して電話をする・・・・。

 別に大した用向きではなかった・・・・汗

 

 ここから別場所に移動も考えたが、間に合いそうもないので駒形神社辺りから狙うことに・・・・。

 

 

橋の下というなんともいえないロケーションですが・・・汗

 

 

 

 

 まっ、こんなもんでしょう的な内容ですが、撮影場所を吟味していなかったこと、思いつきやらもあって失敗というところです。

 次回はもう少しロケーションも考えて良いアングルを狙ってみたいと思います。

 

 

 

 ネネ

 

 

重篤な状態だったのが嘘のように快復・・・。

 ただ、病み上がりですので寝たり起きたり、少し食べたりと以前よりは大人しい・・・・。

 ネネに関しては、日を追うごとに元気になっていくものと思います。

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なんとか目処が・・・

2010-02-25 18:58:40 | その他

 本日も、まずは我家の猫、ネネ話題から・・・

 

 危機を脱したネネではありますが、本日は朝9時から夕方6時半まで動物病院で点滴を受けておりました。

 

 

 

 昨日よりは元気も出てきて、食欲もあって、明日夕方を最後に点滴も終了、身体に入っている管もとれるということで、ゲージ生活も終わりとなりそうです。

 まずは一安心といったところです・・・。

 

 

 さて、ネネを動物病院に預け、借りていた代車が車検ということで、代わりの車と交換に紫波の某ディーラーへ・・・・。

 今度は有料のレンタカーということで好きな車種を選べるとあって、狙いはこの車・・・汗

 

 

 というものの・・・汗・・・先方に何でも良いと言ってしまっていたので、1500ccクラスのワゴンタイプをお借りいたしました。

 ついでに、カタログをペラペラとめくって、やはり次の車もエスティマか?

 資金難ながらも、早急に車の購入をしなければならず、しばらくは悩む日々が続くものと思います。

 ネネも明日夜には以前の生活に戻る予定、事故関係も、大方の処理は最終段階へ入って、公私共に多忙期となる3月目前に一応の目処が立ったという思いでおります。

 色々とご心配やらご迷惑をおかけし、まことにすみませんでした。

 ブログ内容でも少し沈みがちなエントリーでありましたが、なんとか次回からは通常の内容となりそうですので、よろしくお願いします。

 

 

 紫波町へ行ったということで、少し足を伸ばして盛岡市都南へ・・・・。

 ブログ仲間の「ポン吉オヤジさん」がご紹介しておりましたが、新規開拓ということで盛岡冷麺をいただく・・・。

 

 

 なんか、以前入店した記憶が・・・・かなり前・・・10年位前かな?

 確か、この建物は改装はされてますが盛岡や花巻にチェーン展開している焼肉、冷麺の古参、「明○館」だったような・・・?・・・いやっ、間違いない。

 

 と・・・考えながら、ミニビビンパ丼と盛岡冷麺をチョイス・・・。

 

 いつも食べ慣れている盛岡冷麺とは少しだけ味の感覚が違いますが、スープも美味しく、なかなかの冷麺・・・・辛み用のキムチはキャベツや大根の浅漬けといった印象ですが、でもなかなか美味しかったです。

 けっこうランチメニューも安価で、盛岡冷麺食べ歩きの今後の候補となりそうです。

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ネネの生還

2010-02-24 18:34:13 | 

 悪い事、悪い運、良くないことは続くもので、小生家族の交通事故の後は、飼猫で当ブログのマスコットでもある虎猫ネネが病となり危険な状態となりました。

 

 2月24日、朝の画像(二女撮影)

 

 

 一昨日夕方から食事も水も摂らなくなり、少し動きが緩慢な状態、昨日は緑色の液体を嘔吐しながらも、外へ出たいと鳴き、家に入ったり出たりの繰り返しだったという。

 昨日は当直でしたので、本日、帰宅したら様子をみながら場合によっては動物病院へ連れて行こうと思ってました。

 帰宅するや動くこともままならず、グッタリするネネ・・・涙・・・これはいかんということで、急いで動物病院へ・・・・。

 

 診察によると尿毒症、膀胱炎・・・いずれ尿が出なくて容態が悪化し、心音も弱く、まさに危篤状態であった。

 午後まで放置であれば命はなかったかもしれないとのこと・・・涙

 

 日中一杯、点滴等処置が施され、なんとか回復・・・・低いながらも鳴き、少しなら歩くこともでき危機は脱しました。

 数日間、通院となりそうですが、家族の一員でもあるネネの生還、安堵しているところです。

 

 

 それにしても自分も含む家族の次は飼猫・・・・どちらも死にかけながらも大事に至らずという場面とはなりましたが、連続での不運といいますか、良くない出来事・・・これは家族全員でお祓いやらご祈祷を受けなければとの心境です・・・。

 

 動物病院の先生、そして一部遠野ぶれんど仲間のお見舞いやらご協力、たいへんありがとうございました。

 おかげ様でネネの危機は脱しました・・・・重ねてありがとうございます。

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和賀岩崎の陣・弐

2010-02-22 18:26:06 | 歴史・民俗

 慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いの余波は奥州(東北地方)にも波及し、特に南部領となった和賀郡、稗貫郡(北上市・花巻市)では、豊臣秀吉による奥州仕置きで没落した和賀一族やその旧臣達が武装蜂起して旧領回復の戦いが繰り広げられたのであった。

和賀岩崎城跡(北上市)

2010年2月初旬撮影

 

前哨戦

 時は豊臣政権下の時代、天下人であった豊臣秀吉が没すると、五大老のひとり、徳川家康が実質的な権力者となりつつあった。

 家康と同じく五大老のひとり、会津の上杉景勝は豊臣家に対して謀反の嫌疑をかけられ、家康の呼び出しに応じなかったために、討伐対象とされ、徳川家康率いる討伐軍が奥州会津へ向かって進軍する。

 一方、豊臣内部では、石田三成が徳川家康に反抗する諸侯等を結集して、家康打倒の軍を起こし、まさに一触即発の様相を呈していた。

 奥州諸大名にも上杉討伐の激が家康よりもたらされていたが、奥羽諸侯の大半は徳川方となって山形の最上義光への加勢に最上山形へ軍勢を派遣、南部太守、南部利直は4千名余の軍勢を率いて最上山形へ参陣する。

 遠野の阿曽沼広長も、南部利直勢の一員として、自ら150名前後の兵を率いて最上へ参陣したという。(諸説色々とありますが、先人郷土史家の考察によれば100~200名だったのではないのかとされている。)

 また、南部勢4千余は、奥羽から最上に加勢した軍勢では一番の大兵であり、南部軍のほぼ総数に等しい数ではなかったのかと推察される。

 かくして、徳川勢は北関東に到着し会津を窺い、北は最上山形に奥羽の軍勢、東側では伊達政宗が一応睨みを利かせ会津の上杉を取り囲んでいる状況であった。

 ところが、同年9月、上方で石田三成が大軍を擁して本格的に動きだすと徳川家康は関東からとって返して両軍は関ヶ原で激突、歴史上有名な関ヶ原の戦いである。

 この戦いで徳川家康が勝利し、徳川幕府樹立への道を確立した戦いであるが、この間髪を縫って、慶長5年9月、和賀郡旧主であった和賀義忠の子、和賀主馬忠親(又四郎)は、南部領となっていた和賀郡内で和賀旧臣等を集めて武装蜂起、稗貫旧臣も加わり、まずは和賀氏のかつての居城であった二子城(飛勢城)を占拠、その勢いのまま、稗貫旧臣達も加えて、鳥谷崎城(花巻城)を攻撃する。(慶長5年9月17日とも20日とも語られる)

 一方、別働隊は田瀬方面(花巻市東和町)、安俵方面(花巻市東和町)へ進撃して攻撃を加え、さらに稗貫旧臣で大迫城主であった大迫右近の子、又三郎、又右衛門兄弟が南部方、田中藤四郎が守る大迫城を攻撃、攻撃側は200~300の軍勢だったいわれ、稗貫大迫旧臣の他に伊達政宗配下の猪倉伯耆の鉄砲隊の支援もあったといわれ激戦の末、大迫城を落した。

 

大迫城跡(花巻市大迫)

 

 和賀一揆勢の狙いは鳥谷崎城(花巻城)の奪取で、田瀬、安俵方面への進撃は陽動作戦だったとも語られ、鳥谷崎城の守将、南部家重臣の北信愛は、この方面へ城兵の大半を援兵として送っていたため、城兵は僅か10数名だったと伝えられている。

 和賀勢の先鋒、稗貫旧臣の根子内蔵助は和賀主馬率いる本隊の到着を待たずに城攻を敢行、鳥谷崎城は、三の丸、二の丸と落ちるも本丸では劣性な守兵ながらも、婦女子や老人も防御にあたり、攻撃をなんとか食い止め落城だけは免れていた。

 和賀主馬の本隊が攻城軍と合流するや否や、安俵方面へ出撃していた城方の軍勢がとって返して来たので、和賀勢は城攻を諦めて二子城へと退却したといわれる。

 

※参考図書、資料は最終章に記載いたします。

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一週間経過

2010-02-21 14:20:18 | その他

 ほんの数日でしたが、ブログは休養とさせていただいておりましたが、本日より通常通り再開といたします。

 

 僅か3日程度間を置いただけですが、ネタというネタもほとんどないので、ちょうど一週間前となりますが、事故に関するその後の展開等、お知らせいたします。

 

 まずは・・・

 

 なんか久しぶりに自分的にはスカッとした青空を見たような・・・?

 風は冷たく少し寒いと感じましたが、リハビリも兼ねて、いつもの菩提寺散策コースを、これまたちょっと久しぶりですが一眼デジを肩から提げて歩いてみました・・・が、全行程往復200メートルのみです・・・汗

 

 

雪はだいぶ融けておりますが、寒さの緩みはもう少し先かもしれません。

 

 

 

 あの悪夢のような出来事から一週間、自分的な事故処理対応は結構迅速にしたつもりではあったが、やはり事は上手くいかないという思い、また少し歯がゆい思いもした一週間でもありました。

 怪我の方は、先から記しているように軽傷で打撲程度、3日位して腰の圧迫感と左手のしびれがあったものの、症状はあれから悪化はしておりませんし、時間と共に快復してくるものと思っております。

 日常生活や仕事上でも、支障はありません。

 ただ、長く座っているのが辛いということ、さらに車の運転での乗り降りですかね、この時に腰の辺りがピリッとくる感じ、後は寝起きですね。

 左手のしびれは指先に移動・・・汗・・・こちらは慣れたのかあまり気にならない程度ですが、寒いところへ行ったりするとちょっと強く感じたりもします。

 いずれ身体の方は、大丈夫といったところです。

 

 

 さて・・・・

 相手に対して、被害者、すなわちこちらへのお詫びという姿勢・・・誠意とよく聞きますが、小生としては、遠方に住まいしている相手でもあるし、母親と名乗る女性の方から、事故の翌日夕方に電話にて謝罪の言葉を受けております。

 また、数日後にお詫びの印ということで相手方の住まいする地域の名産物と共に謝罪の手紙も受け取っております。

 ひとつ間違えば、人の命に関わる怖い思いもいたしましたが、とりあえず誠意が足りないとか、そういったことは言わないつもりでおりました。

 本音は相手本人から直接、謝罪の言葉やらちょっと聞きたいこともありましたが、これも叶いそうもない雰囲気もありましたので、致し方なしと考えております。

 

 後は双方の保険屋さん頼みという段階でしたが、当方の保険屋さんが、相手のお宅へ挨拶方々、少し本人と話しをするため電話をしたそうですが、父親が電話に出て、終始怒鳴られ無関係な人間は今後一切電話はしてくるな・・・と気合を入れられたそうです。

 保険屋さんとはいえ、一応当方の代理人のような存在、怒鳴りまくったではまた話が違う方向へ行ってしまいます。

 誠意のことは言うつもりはありませんでしたが、少なくても相手の父親は、当方側に関しては済まないとか、そういった謝罪の気持ちは微塵もないのだな・・・と感じずにはいられません。

 

 

 100対0、相手方損保会社が補償という内容で、ひとまず安心といったことでもありますが、当方の保険会社は、いわば撤退という内容・・・・。

 事故処理等のプロと素人である小生とのやり取りに移行、これくらい不安なことはない。

 事故車は全損扱いとの連絡は間接的に聞いているが、現地から事故となった愛車を引き取り、なんとかこちらで廃車処理をしたい。

 車内には荷物も含めて小物が結構残されているし、ETCやエンジンスターターも外したい、できれば直接車内から積載品を収容したいが本音でもある。

 事故現場からレッカー会社までのレッカー代は補償されるも、現地レッカー会社からこちらの指定の場所への移動は補償外とのこと。

 自己負担となる可能性が高いので安く済ませるためには、個人的に知人なんかを頼んでトラックで取りに行くことも必要で、このことも実はある程度算段もしなければと考えている。

 無論、車両を持ってこなくても、現地から荷物等は宅急便とかで送ってもらえば、これで済むことでもありますが、しかし心情的に長年、家族と共にあった車なので最後は看取ってやりたい・・・心情的な部分はもちろん補償外であるのはその通りではありますが・・・・

 いずれにしましても、愛車はまだ現地にあり、結構早めにこの部分は動いたにも関わらず、進展が無きに等しい・・・・。

 

 こんな時の自動車保険・・・・

 このことの信頼も少し自分から離れつつあります。

 地方の田舎では、自動車保険はその会社の商品的な内容もさることながら、通称保険屋さんと呼ばれる代理店との付き合いなんかで加入契約といったことが多いのではないでしょうか?

 代理店をされている方は知人であったり友人であったり、親戚であったり、他に親の代からお世話になっているとか、車を購入したディーラーで取り扱っていたとか・・・そういった場面が意外と多いはず・・・。

 何かの場合は人間的付き合いもあり、お願いしやすい、信頼もおけるといったことが一番なのに、小生のような事故の場合は、代理店は最初だけで、後は損保会社そのものとのやり取りとなること、ましてや今回のように、100対0といった良い方向なのに、矢面に立たされること、これによる精神的負担も少なからず感じてもおります。

 別に今回の事故で儲けようとは思わない、また儲かることはないとも思っており、しかし損だけはしたくない。

 怖い思い、痛い思いをし、その他に精神的な苦痛なんかも味わい、しかも頼りと思っていたこともあまり望めず・・・・。

 保険で賄いきれない内容は相手に直接談判したいくらいです・・・ホント。

 

 相手方の保険会社は実は小生のセカンドカーも契約している会社、あまりひどく事務的な対応が続くのだったら、この保険会社はやめようとも考えている。

 もちろん、信頼が薄れはじめている当方の代理店含み会社も更新はしないという選択もあるかもしれない。

 

 今回の事故は家族共々、不動明王様に守られたと思ってますが、小生自身、その荒々しい姿となって誠意が足りないとか、そんなことを言い出す前になんとか解決への道を・・・と願ってやまない。

 画像のようなスカッとした青空と同じに果たしてなれるのか?

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少し休みます

2010-02-17 18:49:32 | その他

 

 

 日常生活等には、ほとんど影響ない範囲なのですが、皆さまの仰せのようにやはりここにきて、左手のしびれ、腰の圧迫感の症状が出てきたので、嫁さん共々、病院へ行って来ました。

 一週間分の薬等をいただき、まずは様子見とのことで、一応写真や外見での異常個所は無いとの診断でした。

 

 PCに向い椅子に座っている状態が15分も続くと、腰の圧迫感が強く感じられますし、左手のしびれも少し気になるので、今週一杯はブログでのエントリー及びコメント返し等を控えたいと思います。

 ちなみに長男はピンピンしてます・・・汗

 

 ということで、少しの間ですが、お休みとなります。

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吹っ飛んだ佐野浪漫&その後

2010-02-16 18:55:41 | その他

 いつまでも事故の画像及びその経緯をページトップに飾っているのもなんだし、気乗りがしない内容ながらも、今回の北関東行きで宿泊した佐野でのことを簡略ながら、綴りたいと思います。

 

佐野名物・・・佐野ラーメン

 

 現地で食べるのは今回で2度目、あっさり醤油ラーメンといったところ。

 本格的な専門店とか有名店ではなく、高速のサービスエリアで食べましたので、本来の味とはどうなんだろう・・・?こんなものかな程度に感じました・・・と言いつつもその記憶も某出来事で薄れており、何故か画像も少しむなしい・・・汗

 

 自宅を夜出発、途中4時間程度の仮眠をとったとはいえ、前橋での用事の後は何処かで宿泊と考えておりました。

 その宿は、栃木県佐野市と何故か決めておりました。

 佐野市といえば、遠野郷土史を志す者、興味ある人達には、遠野と古に縁ある土地であることは承知のことと思います。

 所伝では鎌倉時代から慶長5年(1600)まで我遠野は佐野出身の阿曽沼氏が約400年にわたり治め、佐野にはかつての阿曽沼氏居城の阿曽沼城跡も残され、少しだけですが佐野地域での阿曽沼氏の足跡等も残されている。

 今回、別に縁の史跡見学やら何かを調べようという目論みはありませんでした。

 ただ、佐野という土地が知らない土地ではありますが、それでもなんとなく一日でもその土地に居てみたい、そんな思いもありましたし、何よりも高速道路のインターもあるという簡単な考えと共に、少しでも帰途への道が楽であろうという単純な考え方でもありました。(佐野市訪問は今回で2度目)

 

 

 

 宿は北上市にもあるホテルチェーン、最上階に展望大浴場や露天風呂、サウナもあり、何よりも手足を伸ばしてゆっくりお風呂に入れるのがうれしい、旅の疲れを癒すにはもってこいの宿でした。

 

 夕食は、ホテルの方にお聞きして、タクシーで5分程の群馬や栃木でチェーン展開されている大きな食事処へ・・・・。

 八戸に食事のデパート「喜代志」というお店がありますが、喜代志同様、洋食に和食、寿司、居酒屋も兼ねている何でもござれの食事のデパート関東版といったところ・・・笑

 とにかくメニューの豊富さに圧倒され、しかも宴会場以外は人数に合せての完全個室となっているのがうれしい・・・・。

 

 まずは・・・

 

 

定番ホッピーともつ煮からスタート・・・大汗

 

チャイナブルーとエイひれ

 

 

 家族同伴ということ、夕食という意味合いでしたので今回のアルコールは画像の2杯だけ・・・・。

 1時間ちょいで宿に戻り、バンクーバー冬季五輪開会式の中継録画放送を観ながら、いつの間にか寝てしまいました。

 

 そのお店の個室には佐野地方?の地名がついていた。

 興味深いのは・・・・

浅沼

 遠野にも浅沼姓が結構ありますし、阿曽沼氏発祥の地は佐野市浅沼町ともいわれる。

 阿曽沼城跡は、まさにその浅沼町にあって現在は浅沼八幡社が鎮座しております。

 この地域の浅沼姓は現地に残った阿曽沼氏の末裔とか、縁の方々の末裔ともいわれているとか?

 阿曽沼と浅沼は同意義とも考察される内容もあって、遠野での阿曽沼氏もその支族鱒沢氏は浅沼氏を後に名乗り、南部関連資料にも阿曽沼を浅沼と記する内容も存在している。

 

芳賀

 芳賀氏・・・遠野ではあまり馴染みのない姓かもしれない。

 芳賀氏といえば宇都宮氏重臣の芳賀氏、中でも芳賀高定という戦国時代の武将の名を何故か思い浮かべてしまいますが、実は大槌町に縁ある姓でもあるようです。

 大槌氏家臣の芳賀氏・・・・大槌氏が遠野阿曽沼氏支族で下野国(現栃木県)に縁ある武家であるとのひとつの証が大槌氏家老であった芳賀氏の存在でもあるようです。

 いずれ宇夫方(生方)や芳賀、浅沼・・・少ないですが関東との関わりを示す何かが根底にあることは確かなことかもしれません。

 

 

 ということで、事故関連については、今回で一応終わりとしたいと思います。

 当方は被害者という立場であり、相手方は一切の過失を認めて、相手方保険会社から100対0との認定を受けました。

 当方の保険会社から相手方保険会社との関わりへと移行といった内容でもあって少しばかり不安ではありますが、やられ損という思いは少しですが払拭された思いでもあります。

 しかし、二夜続けて葬儀や火葬の場面を夢でみたり、何度もふとしたことからあの事故のシーンを思い起こすことがあって、精神的なダメージも少しはあるようです。

 とにかく無事で良かったをかみ締めつつ、今後もさらに交通安全に努めたいと思っております。

 何か進展等がありましたら、またブログネタでお知らせしたいと思いますので、その際はアドバイスやらお知恵をご拝借願えればと思います。

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ご心配おかけしました

2010-02-14 19:24:12 | その他

 この度、長男の大学入学を受けて、その部屋探しに前橋に出掛けておりました。

 滞りなく、部屋も決まり本契約を済ますばかりとなり用向きは、ほぼ完了といったところでした。

 群馬より帰りが少しでも楽という考えから栃木県内に宿を求め、一泊して午前8時半頃、宿を出発、東北道下りを快調に走行していたのですが、前方の走行車線の乗用車を追い越すため、余裕をもって追い越し車線に車線変更、間もなく走行車線の車を追い越す手前だったと思いますが、突然に走行車線から一台の乗用車に追い抜きをされたと思ったら、当方の前方で無理な車線変更、その車はバランスを崩して横向きになって中央分離帯に激突、当方、ハンドルを左に切って接触を避けようと思うも、リア部分に接触したと記憶しておりますが、そのまま、左端の法面に車が乗りあがり、その斜面を数十メートル、斜めになりながら走行、最後は横転といった具合です。

 

 100キロ前後のスピードでのこと、前方に飛び出た車をみた時は、これはキマッタと正直思いましたし、短い木々をなぎ倒しながら斜面を走行していた時は、あの世行きじゃなくても、タダでは済まないと思いましたし、何よりも嫁さん、後部座席に居た長男もタダでは済まないと思いました。

 横転して停車、車内ではシートベルトのおかげで嫁さん、長男共にぷら下がっている状態ながらも、互いに声掛けしたら、元気な声、間もなく何人かのドライバーの方々が「大丈夫ですか」と声をかけていただき、リアのガラスを破って車内に入ってこられ、皆救出いただきました。

 迅速な行動、想いやりの気持ちを肌で感じた次第です。

 幸い、大きな負傷に至らず、軽傷の部類で肩や腰の痛みはありますが、打撲程度で済みました。

 

 

 

 大破という情報もあったようですが、ほぼ全損といったところ・・・こんなことよりも、家族共々、相手も軽傷で済んだこと、これに尽きます・・・。

 ご心配、またご迷惑をおかけいたしました。

 ありがとうございました・・・・

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往復1千2百キロ

2010-02-12 17:58:17 | その他

 間もなく・・・・

 

 

 往復約1,200キロ、2泊の予定(車中1泊)、ETC割引を活用して、ちょっくら家事用務にて、出掛けて参ります。

 コメント返し及び新エントリーは、日曜日夕方以降の予定です。

 

 それでは、かかあ天下の下、からっ風に吹かれて参ります。

 

 ネネはお留守番

 

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赤羽根スキー場&スキーナウ

2010-02-11 15:08:48 | 遠野

 ちょっくら赤羽根スキー場まで行って来た。  

 遠野市のローカルな小じんまりとしたスキー場ですが釜石、大槌、そして気仙の住田、大船渡、陸前高田・・・といった沿岸部からも近いこともあって、この方面からのスキー客も意外と多い。  

 今時期は積雪も多くベストコンデションといった雰囲気で、祭日ということもあって、家族連れ等に賑わっておりました。

赤羽根スキー場 

 

 家族連れ等に賑わっていた・・・と書きましたが、小生がお邪魔した正午前、スキー客等を数えたわけではないですが、駐車場の車の数から約100名位ですかね?

 一頃に比べれば、かなり少ないかもしれない・・・しばらくスキーから離れているので、なんともいえませんが、10年以上前は土日、祭日は、もっと人出があったような・・・・?

 

スキースポーツ少年団ですかね?

ポールでの練習中なようです。

 

赤羽根名物、通称「壁」コース

最大斜度30度?・・・以上はあったような・・・?

 麓からみれば大したことないように見えますが、実際に斜面の上に立てば、結構急な斜面で、しかも不整地で、なかなか手強い・・・。

まあまあな滑りですね・・・笑

 

 

こちらはレストハウス兼スキーセンター

 

メニュー

 

 スキー場のフードとくればカレーライスにラーメンは定番といったところ・・・。

 小生、スキーもしないのに何しに赤羽根スキー場に行ったかといえば・・・汗

 

 

 赤羽根ラーメンを食べに行ったのでした・・・大汗

 しかも、ちょっと奮発してチャーシュー麺をば・・・汗

 

 680円でチャーシュー4枚と、この量では少し高いかな?・・・・と思いましたが、濃い目の味もまずまず、チャーシューは数は少ないですが、案外肉厚で少し納得・・・・。

 スキーをして少し疲れた身体には濃い目の味はパッチリかもしれない。

 もちろん、普通に食べてもまずまずな味で結構美味しかった。

 昔、良く通った雫石町の網張スキー場の「あみはりラーメン」が何故か無性に食べたくなったが、赤羽根ラーメンで満足といったところです。

 

 

 

 さて・・・・

 

小生、若い頃はスキーに夢中になっていた時期がありました。

 

 もう、25年も前の事ですが、秋口から3月頃まで、深夜にスキー番組があって、毎回欠かさず観ていたのを思い出す・・・。

 

 その番組は・・・・「SKI NOW86」・・・・スキーナウ86

 

スキーナウ85も87もありましたが、86が特に思い出深い・・・。

 

 競技スキー出身で、基礎スキーに転向した斉木 隆 さんがレギュラースキーヤーで登場、腰高でキレイなフォームで滑る姿に憧れ、小生もあの滑りやフォームを随分と意識しておりました。

 そして何よりもオープニング曲の「杏里」の曲・・・・

 「イノセントタイム」という曲でスキー好きの心を見事捉えた曲でもありまして、何を隠そう・・・この番組の影響で長女の名を「あんり」と付けた程です・・・汗(名は漢字で・・・)

 

 スキーナウは、その後、87も観ましたが、86程の思いができなかったし、結婚もしたので、自然と番組もそうですが、スキー熱も徐々に下がっていったことを思い出す。

 

 考えてみれば、スキーも結構お金がかかるもので、スキー用品は毎年、モデルチェンジがあって、年にスキー板、ブーツ、ウェア・・・と、どれか必ず新調していたような・・・板だって軽く10万は超えたものを使ってましたから・・・汗・・・最近のカメラでのレンズ沼なんて、これに比べれば案外さほどでもないと思えるのですが、さにあらず・・・・ですかね・・・大汗

 

それでは懐かしのスキーナウ86.オープニング

こちら

 

杏里さんの歌のみ

こちら

 

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