「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

心意気

2006-04-29 19:50:49 | ファイヤー
 4月29日晴天、例年なら桜も満開に近い遠野郷、しかし、今年はまだ開花していない状況・・・・しかし、本日の陽気で一気に桜の開花がグッと近づいたものと思います。

 そんな中、遠野市恒例の消防演習が開催され、昨年10月に市町村合併となり新遠野市が誕生、消防団に関しては、遠野、宮守のそれぞれの消防団がありますが、来年4月には両消防団が統合されまさしく新遠野市消防団が歩みだすことになっております。

 今年の消防演習は両団合同による消防演習、南部火消しの伝統と心意気を継承する両消防団は、来年統合に向けて、すばらしい訓練等を展開し、それぞれの名での消防演習最後を飾りました。

 
 消防団ラッパ隊ドリル演奏・・・
 宮守消防団ラッパ隊は全国に名が轟き、日本一のラッパ隊の評価を受けておりますが、今年は遠野消防団ラッパ隊との合同訓練、見事、ドリル演奏を披露いたしました。

 消防演習最後を飾る訓練、一斉放水訓練・・・ポンプ約50台による一斉放水による水のカーテン、晴天の青空に白い水幕が見事にマッチいたしました。

 

 

 遠くから観る水のカーテンは見事ながら、その水のカーテン下では、画像のような消防団員の方々の勇姿とご苦労が見て取れると思います。

 そして・・・・

 
 遠野ブログ界の重鎮、当ブログでも御馴染みの○○miさん、消防団幹部に昇格され、見事、指揮者の任を果たされました。
 
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桜前線北上中?

2006-04-27 18:55:53 | その他
 野暮用で盛岡へ・・・途中花巻市大迫では間もなく桜が開花か、場所によっては咲き始めも確認、紫波も間もなく、盛岡は一分咲きか・・・。

 今年は桜の開花宣言が盛岡では先で梅が後といった変な気候、しかもなかなか桜前線も岩手入りしてからなかなか開花したと聞こえてこなかったが、盛岡の石割桜は二分~三分咲き位か・・・それでも観光バスが連なり観光客が一杯でびっくりでした。





 遠野はどうだろう・・・こちらも間もなくといったところですが、今週末か・・いずれゴールデンウイーク後半が満開となり見頃かな・・と思われます。
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花(鼻)舘再訪

2006-04-26 19:57:38 | 歴史・民俗
 鼻水がタラ~リ・・・・少し関節痛・・・が、しかし、他はいたって元気、小雨もなんのその・・晴れ間がのぞいたので、兼ねてから予定していた花舘の再訪を決行・・・午前10時30分、花舘突入、強襲である。

 攻める軍勢は松崎駒木舘主の虎猫勢、一気に舘の八幡まで攻めあがると、鈴は数メートル斜面を転がり、酒カップは粉々に砕け散って、門も開け放した状態、既にこの場所は落ちていた・・・。
 城方は虎猫勢の強襲に恐れをなし、郷内随一の防御力を誇る花舘を捨てて敗走・・・笑

 ということで、鈴を社に取り付け、再訪のご挨拶をしてから、本格的に突入となりましたが、今回は舘内のほぼ全容を掴むこと、ある程度図面を書くこと・・・といいますのも今年も遠野郷城館めぐり春の陣を来月1日に開催、遠野の城館跡数箇所を八戸の睦月庵さんをお迎えしての城館めぐりとなりますが、ここ花舘はメインという位置付けでもあり、また「いつ、誰が、なんのために・・」この思いが湧き上がる中、北奥羽の城館を数多く訪問された睦月庵さんから、他の城館との違いやら、築舘年代等のご見解をお聞きする機会でもあり、その前に一度、複雑に山野を駆け巡る空濠の位置等を図面として表して、探訪し易いようにとの考えからでもあります。


南側の空堀跡


頂部平場(主郭)背面の三重目の空堀跡


西側部分の交差する空堀と土塁

 そして、まだまだ未完成であり、後2回くらいは探訪が必要かと思いますし、一部書き忘れやあやふやな部分はありますが、簡略図を作成いたしました。



 いかに多くの空堀が構築されているかがお分かりかと思います。

 山野をたっぷり2時間半、斜面を下りかけたところ、後ろで「バキッ・・ガサ・・」・・・一瞬ヒヤッ・・とした瞬間、茶色か灰色の動物、それも結構大きい、私の背中から約12~13メートルか、飛び跳ねるように斜面を横切った・・。
 私は驚きのあまり、足がもつれて斜面で転倒、柔道の受身みたいになったが、勢い余ってさらに背中とお尻で滑走、ただカメラは絶対守るぞ・・・と思ったのか、片手を大きく上げた姿勢で斜面を滑走、7メートル程滑り降りてなんとか止まった、カメラは無傷、無事であったし、怪我もなかった・・・汗

 横切った動物は天然記念物カモシカであった。
 何事もなかったかのように悠々と峰を越えて消えていきました。

 と・・・思ったら・・・下山して平地に出たところ、奴がいました。
 水辺で水を飲んでいたのか「えらすぐねやづだっ」とつぶやいたら逃げ出した・・・。

 

 見えますか・・・笑

 ほんと「えらすぐね」・・・でもまた再訪予定でもあり、この舘だけはなんとしても調べてみたい、そんな思いでもあります。

 「買ったばかりの一眼デジカメ」壊れなくて「えがったすっ」。
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鼻水・・・

2006-04-24 21:50:24 | ファイヤー
 今朝から雨・・・午後からは雨も上がり時折青空も見えたりする天候ながら、イマイチ、パッとしない空模様・・・、そんな中、来る消防演習での消防団が実施する中隊訓練の夜間練習がありました。



 総勢90名、今夜は80名程の団員が集合、皆さん正業を持ち、仕事帰りや途中で練習に参加、たいへんご苦労様でした。



 演習本番までは後2回の夜間練習が予定されておりますが、初めての日にしては、まあまあ出来た方で、本番は万全な訓練をお見せできるものと信じております。

 私の訓練担当日は今夜だけ・・・しかし、寒かった・・・鼻水タラタラ、昨日あたりから涙目でしかも鼻水、花粉症かと思っていたが、今日になって喉も痛い、帰宅してからは寒気もする・・こりゃ、風邪でもひいたかな・・・。

 ブログも早々に寝ることにします。
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お土産は・・・

2006-04-23 19:25:56 | その他
 4月になって青空が広がる日はあるにはあったけど、なんか今日の青空が一番青空らしい、そんな春の陽気となりました。


駒木前野からみた早池峰山、前薬師


菩提寺法門山福泉寺五重塔・・・三重しかみえませんが五重塔です。


山門

 この晴天も午後からは風が出てきて、しかも下り坂とか・・・今週は気温も低めで寒い一週間との予報・・・桜の開花は今週末か来週か・・といったところです。

 ということで、本日は福泉寺の前身である江刺人首の福泉寺跡探訪をお手配いただき、昨年、共に探訪いたしました盛岡のM氏、紫波のN氏の御二方と北上、江刺の古刹、史跡探訪のお誘いを受けておりましたが、所用があって今回はお断りした経緯がございました。

 実は中3の長男が昨日まで三泊4日で東京への修学旅行に行っておりまして、しかも22日は誕生日でしたが、私が当直日ということで、誕生会もどきは翌日の23日にしよう・・ということになりまして、今回の探訪へはご同行できない理由でもありました。 

 またマイカーが故障中で遠方に出かけられないということでもありまして、次回に期待ということになります。

 さて、ささやかながら、嫁さんが作った手作りケーキと「やぎにぐ、ぐいで」ということでジンギスカンにて誕生会を祝った。
 東京のお土産は菓子箱ひとつ、妻の実家にひとつ・・・あとは何を買ってきたのかは分からないが、「おもしぇがった」の一言を「ぼそっ」という・・・楽しかったと、無事の帰還が一番のお土産かもしれない。


ホットプレートでのジンギスカン、本日は○マンの美味しいお肉ながら、やはりホットプレートでは「カリッと」ならず、煮て食べるような感覚・・・次回は直火で本格的にやるぞっ・・・
 
 親父も「とうきょうさ、いぎて~」
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山口舘

2006-04-21 18:52:25 | 歴史・民俗
 山口舘主・山口修理・・・はじめ柏崎舘にあり、後に山口舘を築いて山口に住す・・。

 今季4度目の遠野郷城舘跡探訪は土淵町山口の山口舘、前回の花舘(鼻舘)があまりにもすばらしく、感動と驚きの余韻がしばらく続いておりましたが、ようやく自分の中では沈静化、それでも今回の山口舘、本来ならば判然と残る遺構群、その造りもすばらしいと感動するものの、鼻舘があまりにも見事であったため、その思いが半減しているのに気づく自分・・・これではいけない、こちらはこちらで古の歴史を伝え、貴重な史跡であるのは確か・・・と言い聞かせて探訪いたしました。


空堀跡・・・三本の空堀を確認

 この山口舘も少しさらなる調べが必要かと考えております。
 現在、薬師堂が中腹に祀られておりますが、この平場はかなり広く、はじめ主郭ではと思うほど、また背面には見事が土塁と空堀が残されているが、さらなる空堀を求めて上部へ・・・行き着いた場所も若干の傾斜はあるものの広めの平場、下部には段状の三段なる平場、背面にも空堀一本、ただ残念なのはさらに上部と隣接の山野の木々の伐採作業が進められているが、この三本目の空堀跡が小型重機等により拡張され木出し道として使用されている点、辛うじて空堀上部がその痕跡をとどめるのみであったこと。

 いた仕方なしか・・・個人の持山でもあろう、他人がどうこういうことではないが、せめてこれ以上の破壊につながる工事、作業が及ばないことを祈るのみ・・です。

 遠野規格とよばれる造りに近いながらも、空堀の数やら段状の平場の数、範囲がこじんまりとまとまっている印象を受けましたが、上部、隣接山野にもあらたなる遺構がある可能性もあり、今後も探訪したいと考えております。


土塁跡・・。
 
 山口舘の山口修理とは、いつの時代の人物なのだろう・・・。
 山口は大槌等の海岸方面と結ぶ街道が通る要衝との位置付けとも語られ、その要衝を抑える山口舘の存在は重要だったと思われ、また柏崎から山口に至る地域を治める山口氏、遠野という括りの中ながら土淵の要衝占める存在、郷内でもかなりの力ある豪族だったと推測されます。
 
 しかし、山口舘主、山口修理の名を伝えるのみ、その歴代は、出目は・・ほとんど伝えられていない。
 遠野の中世、阿曽沼時代は謎であり闇の中・・・である。

 土淵町山口といえば、遠野物語での中心的な地域、柳田國男に物語を紹介した佐々木喜善の生まれ育った地、また山口の水車小屋やデンデラ野、ダンノハナがあり、山口舘はダンノハナと呼ばれた場所に隣接する山野でもあります。
 ダンノハナは舘があった頃は刑場であったとも伝えられ、あまり気持ちのいい場所ではございませんが、熊らしき足跡二つを発見、おそらく親子熊か?山口舘のほぼ全容を掴んだということで早めに切り上げまして帰途につきました。
 熊の方が怖いです・・・・汗


薬師堂への入口


遠野市土淵町ではあまりにも有名なスポット・・山口の水車小屋
桜の季節が終ると田んぼに水がひかれ、青々とした草々と共に空の青と水面に映る青空、いい季節を迎えます。

 
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「なすてよぉ~」

2006-04-19 17:36:34 | その他
 長女の普通自動車免許取得のため、釜石の沿岸運転免許センターに出かけてきました。
 なんとか合格、晴れて運転免許証を手にしたということで、親馬鹿ながら喜んで帰途につきましたが、仙人峠の釜石側、一つ目のトンネルを抜けて登坂、車線が二車線になった途端、マイカーに異変が・・・・ノッキングを起こしたと思ったらストーンとエンジン停止・・・が・・・エンジンがかからない、やっぱり焦る・・後ろからくる車にはクラクションを鳴らされるは、移動もできない・・・さらに焦る・・セルは回るし電気系統ではなさそうだ・・・ようやくエンジン始動、今度は左車線へゆっくりと車線変更、しかし100メートルも走らないうちにまたもやノッキング、車体をガクン、ガクンさせながらもなんとか車一台分のスペースのあるところまで・・・・遂にまたもやエンジン停止・・・。

 今度は左車線ギリギリに停車させたので、クラクションは鳴らされずに済みましたが、携帯電話は圏外、大橋まで歩いて電話するしかないと覚悟を決めたが、なな・・んとこの先の大きなカーブに公衆電話ボックスらしきものが見える・・天の助けか・・・しかし、歩いては行きたくない、できれば車ごと行き着いてボックス裏の広場らしきところに車を止めたい、願いが通じたのかエンジンが始動、ゆっくりと走り出してなんとか到着、早速知り合いの自動車整備工場へ電話・・・。

 携帯電話時代といっても、やはり要所には公衆電話も必要と痛感いたしました。

 それにしても、今回のトラブル、2月に笛吹峠で2度見舞われた症状と同じ、車検にあわせて調整いただいたはずであったが、どうしたことか・・。

 「なすて、こんたなどごで・・・涙」


仙人峠釜石側トンネル入口付近を望む・・・涙
画像でみると近いようですが・・・


橋を渡ってさらに九十九折のカーブをいくつかクリアしながらさらに登っていく行程が待ち受けている・・・。

 途中何かあってもいけない、結局車屋さんが来るまで一時間も公衆電話ボックス裏の空地で待っておりました・・・。

 マイカーは長期入院となりました・・・涙

 朝のテレビ番組での占いはほとんどが大吉だったり吉・・・しかし、凶ではないか・・・・「なぬすてよ・・・涙」
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えせ農家

2006-04-18 17:32:59 | その他
 晴れの一日か、と思うも小雨がぱらついたり、黄砂ということですが景色全体が靄がかかったようであまりパッとしない一日でもありました。

 そんな中、昨年は4月10日頃に畑の耕作を実施したと記憶しているが、今年は一週間程遅れましたが、本日午後に実施、日曜日に耕運機のエンジントラブルで仕事にならなかったが、農機具屋さんをお願いして、点検整備をいただき、なんとか畑を耕すことができた。
 
 しかし、本調子ではなく、部品交換が必要とのことで、二万円の出費・・・年に一度くらいしか使用しない機械に・・・・まっ、仕方なしか・・・。


へたくそながら一応耕した敷地内の畑 


 さて、我家は以前は小規模ながら農家であった、また私自身も農家の倅を少し前面に出したり、百姓のひとりかのような雰囲気を出していたこと、実はこれは誤りである。
 65アールほどの水田がありましたが、今は地域の方に40アールをお貸ししておりますし、残りは減反対象で、転作補助事業で大豆栽培に参加しておりますが、こちらも地域で専門に行う方々にお願いしている始末、唯一自宅敷地内の畑、7アール程度で自家製の野菜等を作っている程度、これも家庭菜園に毛が生えた程度です。

 本日はこの自宅の畑を耕したのですが、この作業も一年に一度だけ、後は大豆畑と自宅周辺の草刈作業を年間5回くらいか、ですから農機具はテーラーと呼ばれる小型耕運機一台、草刈機械二台、運搬機(公道は走れない)一台、これしかないっ、よって農家風の佇まいながらも農家ではないのです・・・元農家ということになります。


戦い終わって・・・・。

 午後の2時間半程の作業、それでも汗を掻きましたし、結構疲れるものです。

 飼主が額に汗している昼下がり・・・飼猫のネネは・・・いつもの姿です。


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ねて曜日

2006-04-16 19:15:54 | 
 三週間に一度の土日の連続休み、昨日は驚愕の城館跡を探訪し、未だに興奮覚めやらない・・・・。
 しかし、小規模といっても一応百姓もしなければならず、今にも降り出しそうな空模様を眺めながら、畑を耕すため耕運機を小屋から出そうとするも、遂にエンジンをかけそびれて・・・というかかけれなかった・・・涙・・・機械屋さんに点検整備をお願いしての後日の作業となりそうで、結局は何処へも行かず日曜・・いやっ、ねて曜日となってしまいました。
 
 飼猫は飼主に似る・・・こんな感じで私も昼寝をしておりました・・笑





 居眠りをしながらも、ウエブサイトの更新をしております。
 先日探訪の附馬牛町の火渡舘をアップいたしました。
 こちらから

 いずれ、昼寝ができるいい身分かもしれません・・・猫共々・・。
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花館(鼻館)

2006-04-15 19:57:18 | 歴史・民俗
 いつ、誰が、なんのために・・・・謎を秘めている遠野郷内の城館跡、その館跡探訪も今年に入っての第3弾、まさに上記に書かれてある記述通り、しかも前評判通り・・・いやっ、それ以上か・・・、いずれにしても予想を遥かに超える感動と驚きを味わうことができた館跡探訪をいたしました。

 青笹町某地区・・・八重の空堀跡があるといわれる花館、今回は当ブログでもお馴染みのromiさん、地元の歴史に詳しいR吉氏のご案内をいただき、探訪できましたこと、この場をお借りいたしまして、お礼申し上げます。
 「ありがとうございました」
 後でお礼といった意味及び郷土史話の続きやらをお伺いしながら一席設けたいと思います。

 さて、まさに花館の感想は一言であらわせば 驚愕 にほかならない。
 伝承によれば安倍時代(平安)の築舘ともいわれますが、今回の探訪では南北朝時代以降、或いは戦国時代であっても不思議ではない作りでもあると考える。
 

頂部平場(南東側の帯郭)・・・単郭ながら頂部平場は南北70メートル、東西20メートル程で遠野の城館では広い部類に入る。

 さらに仲間内で遠野規格と呼ぶ形状に近いながら、主郭と思われる頂部平場の東側は断崖、南・西・は二段の帯郭が配置され南部分の下部に複雑に入り組む二重の空堀、当初、この二重の空堀前の小さな平場が主郭と思わせるほどでもありましたが、さらに上部には平場らしい形状が・・・しかし、その平場も実は帯郭的であり、さらに北側に一段高い帯郭、その上が頂部でありました。

 また西側も複雑に交差しながらの二重の空堀、峰を挟んでさらに下部には二重の空堀、またさらに三重の空堀が走り、頂部平場の背面に至る・・・が、驚愕するのはここからで、北側すなわち背部は確認したたけで6重の空堀、8重は確認できなかったが、いずれも複雑に入り組み、駆け下る様は圧巻というほか表現の仕方がみつからない・・・まだ空堀跡はあるかもしれません。

 とにかく判然と残される空堀跡、複雑に入り組んだり、その数の多さから簡略図も一度くらいの探訪では書けたものではない、とりあえず画像収集を中心に探訪を進めるも実はまだまだ画像は撮り残しております。(本日は60枚)

 
西側の空堀跡・・・峰の向こう側、北側方面にはさらなる空堀群が存在する。


西側の空堀跡


背面内側の空堀跡・・・5メートル前後の間隔で6重の空堀が山野を断ち切っている。8重といわれるようにさらに二重掘がある可能性が大である。

 驚愕の一言・・・規模は阿曽沼氏の主城、光興寺の横田城をもしのぐ規模と思われ、何に対しての防備なのか、館山全体に張りめぐらされる空堀の数々・・まさに「いつ、誰が、なんのために・・」謎の館でもあり、これだけの規模と防備を兼ね備えながら遠野の歴史ではその存在、館主等、ほとんど伝承されていない事実がある。

 ご案内いただいたR吉氏によれば、丑館との関係やらも若干話されていたが、これは大いに興味のあるところで、またこの花館に縁あるご子孫は、な・・ななんと私に何かしら関係ある御宅でもあったこと・・・そうなると菊池氏か・・・以前からの私の推測にも符合しそうな展開・・・これは考察にも力が入りそうでもある。
 また2度、3度の調査が必要でもあり、とにかくこの花館、いろんな意味で少し時間をかけて調べてみたい、そんな思いでもあります。

 とにかく凄い館跡・・・誰にも知られたくない・・・これが本音ながらもこれだけの史跡を地元に埋もらせているのももったいない、いずれとりあえずは睦月庵さんや稲用さんにも機会がございましたらご出馬願って共に調べていただきたい、遠野はおろか岩手、青森地域における村単位を治める館にしては規模が大きく、その遺構も群を抜いているものと思います。

 とにかく「すげじょ」・・・・。

 
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