裏磐梯を訪ねた後は、その足で会津若松へ移動。
見学場所は若松城一点のみとしておりました。
若松城
鶴ヶ城とも呼ばれますが、日本の城館では「若松城」となっているそうですし、文献では古くは黒川城、会津城という記述となっている。
一般的には会津若松城でよろしいと思いますが、ここではあえて若松城としたいと思います。
会津若松市街地に入ると脳裏には、堀内 孝雄さんの「愛しき日々」が流れっぱなし・・・(^_^;)
北出丸の市営駐車場に車を停めれば、樹木越しに若松城の荘厳な石垣と優美なお城の姿が飛び込んでくる。
天守は復元ですが、東北を代表する優美で大きなお城だと感服・・・。
もう愛しき日々を口ずさむ寸前な状態
城内の幟や看板には戊辰戦争だったかな?幕末維新?いずれ150年の節目であることをPRしておりました。
かつて幕末維新期に興味があって、色々と調べたりネットで知り合った全国の幕末維新ファンが集うコミュに参加し、当時オフ会と称していた集まりにも参加、今から15年位前かな?会津若松市でオフ会があって参加した思い出が蘇りました。
若松城は、それ以来の訪問となります。
紅葉も始まってましたが、紅葉を絡めての撮影はイマイチ、その後、遠野に戻ってから若松城の撮影ポイントや解説が記されたサイト等を見ると春の桜の時期が最高に絵になっていること、けっこう素晴らしく綺麗・・・これは桜満開の頃に再訪しなければと思ったところでした。
実現できるかは不明ですが「ならぬものはならぬ」じゃないように良い方向性としたいですね。
若松城への初訪問は大河ドラマでの「獅子の時代」会津藩に関係した大河でしたが、その年に訪ねております。
職種の研修施設の卒業を直前に控えた研修視察旅行で2泊3日の福島県旅行の際となります。
当時は研修施設は全寮制でしたが週末に外泊ができ、自宅に1泊2日で帰ってましたが、施設に戻るのは日曜の夜、なので大河ドラマは観れず、観たいときは早めに家を出て施設内で観るのみ、土曜日の再放送も当時は週休2日制ではなく半ドン、再放送の時間はちょうど家路に着くために研修施設を出発する時間帯で、こちらも見られずでした。
でも獅子の時代は観れずとも会津の雰囲気を味わったということで、後に幕末維新の時代に興味を抱く根本が育ったという思いでもありますね。
お城の優雅さに反比例して白虎隊をはじめとして戊辰戦争等で多大な犠牲を払った会津藩の悲劇、籠城戦での悲劇、このことも忘れてはいけないと思う自分がおりました。
でも・・・堀内 孝雄さんの「愛しき日々」は絶えず頭の中でリピートされておりました。
天守閣の見学、お土産売り場を少し覗いて1時間半ほど、今夜の宿である東山温泉に向かいチェックイン。
実は最初に会津に来た際に泊った同じ温泉ホテルを予約、数年前に全国にチェーン展開されている会社に経営がシフトされているらしいけど温泉も心地良く、料理にも満足、五色沼散策で8千歩強、若松城2周で5千歩、その他諸々で1万7千歩超となりました。
ところで・・・
チェックインして15分程休んで再び若松城へ・・・
実はライトアップがこの時期されている。
携帯用というか小型の三脚も一応準備していたので、この機に撮って帰ろうと目論んでおりました。
夕食は19時として、その前に温泉にも入りたいということで滞在時間は正味45分、移動も併せて1時間以内として夜景撮りを敢行しました。
ここでも色々と設定を変えて撮れるようであれば良かったですが、見た目撮れた絵がモニター越しには良く見えたので、良しっ・・・としてましたが、後で取り込んでみますと不満も・・・。
いずれ余裕を以て撮影に挑まなければと反省しております。
温泉、食事に酒を楽しんだ後は・・・
いつものように一人カラオケ
宿にはスナックというか皆さんで楽しめるカラオケやダンスも楽しめる施設も整っているようですが、恥ずかしいのでカラオケボックスをチョイスして静かに盛り上がることに・・・(^_^;)
でっ、通されたところがカラオケボックスではなくスナック風のお部屋・・・(;^ω^)
カウンター席にボックス席が4つほど、ここで一人で楽しめということらしい・・・笑
時折、他の客がスナックと間違えて入って来られることがたまにキズ・・・
(-_-;)
その都度、腕でバッテンの合図
そんなこんなんで結局60分で6曲しか歌えなかった・・・。
でも・・・
最初の曲は・・・これっ・・・笑
愛しき日々は必須でしょう・・・笑
ようやく気兼ねなく歌えましたので一応満足
そしてラストは・・・
会津に居ても南部の国、遠野の歌
翌日は喜多方~米沢~山形経由で帰宅
途中、山形市内で名物の板蕎麦をいただく
流石、新そば・・・
山形の蕎麦も美味かったです。
夏の松本城に続き若松城、次の天守のある城は何処へ・・・
さて、どうしたものか思案中です・・・。