「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

交流親睦会

2004-10-28 09:53:30 | その他
本日、週休。
我職場では、他地域の消防本部と交流親睦会を実施している。まあ~飲会である。
隣接の釜石消防とは25年以上続けられておりますし、北上消防とは15年以上となっております。年一度、丁度10月頃の開催が多く、釜石で開催すれば翌年は遠野、というように会場を年毎に交互に行っております。
今年は遠野での開催、先週は釜石との交流会、そして昨日は北上消防をお招きしての交流会、遠野名物ジンギスカンにておもてなしとなりました。
まずは午前中は軽く対抗戦みたいなスポーツ交流、今年はグランドゴルフ、以前は野球主流で徐々にソフトボールとかソフトバレーに変わり、誰でも気軽にできる内容となり、趣旨の親睦にふさわしい中身であると思います。
午後は飲会となり仕事上の情報交換、地域の話題等で毎年盛り上がりをみせております。

遠野では花巻、宮古とも交流親睦会がありましたが、いつしか自然消滅、釜石、北上に絞ったというわけではございませんが、長く続けている関係からこのふたつは絶えることなく続けられているものと思います。
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綾織越前広信

2004-10-25 22:58:41 | 歴史・民俗
本日は週休、盛岡赤十字病院へ検査結果を聞きに盛岡へ・・
ついでにイオンにも行ったが、ひとつ郷土史関連で気になる地域が近郊にある。
滝沢村ということであるが、綾織越前なる人物がその昔(天正年間1580前後)この地域に堰を苦労して作ったといわれている。今でもこの地域の水田等に欠かせないものとなっているそうです。
綾織の名から・・・そう遠野市綾織町が思い浮かぶものであるが、そのとおり遠野の綾織の出と伝えられております。
一応の伝承では阿曽沼時代、綾織の一部を知行していたそうですが、斯波氏(紫波領主)に軍師として迎えられ斯波氏の配下となったそうです。当時の滝沢、盛岡、雫石方面は南下する三戸南部氏の脅威にさらされていましたが、斯波氏はよく防ぎ領地を守っていたとされております。
そんな中、綾織越前は滝沢の地に灌漑用堰の工事に着手、1586頃、完成させたということです。
綾織ということで綾織方面の豪族、宇夫方氏の血縁か、広信という名前からすれば阿曽沼一族が広を多用しているので、その血縁か・・とにかく謎の人物ではございますが、彼の地で名を残している史実からして遠野出身の人物だったというのは間違いないものと思われます。後で調べたいと考えております。
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大災害

2004-10-24 16:14:07 | ファイヤー
新潟県中越地方を襲った大地震、人的被害等も深刻で、まずは被災された方々に対し、お見舞い申し上げます。
私の住む地域も昨年春に大地震に見舞われ、我家も屋根瓦の落下、内壁の損傷等があって、少なからず出費も嵩み、あらためて自然災害の怖さを身をもって知りました。ただ人的被害が皆無であったということ、これは不幸中の幸いというべきと安堵した記憶がございます。
大災害の前には文明社会も人間も太刀打ちできるものではない、絶対倒れない、壊れない建物が日本中を埋め尽くすという時代もほとんど現段階では考えられない、ということは、一人ひとりが何かしらの備えや地域で防災に取り組む、有事の際はどうしたらよいか、立ち向かうのではなく、発生したらどうするのか、こちらをまず考えてみるべきと思います。これらは一人ではどうにもならない、家族単位、親戚単位、そして地域単位で本気で考え、行動すべでもあり、決して我地方では起こらない、他地域での災害は無関係と思わないで、真剣に取り組むことが必要だと思います。
地域には自主防災組織等も結成され、自分達の地域は自らが守るの考えも広がっております。まずは地域単位や市の防災訓練に参加してみる、決してダサいとか思わないで取り組んで欲しいものです。最後に泣くのは私ではなく、あなた方なのですから・・・。
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消防の仕事

2004-10-20 22:22:57 | 遠野
消防署、採用される前の印象は、いつも車を洗っている。同じ服装で毎朝並んで朝礼をしている・・これくらいしか思いつかない。
職員として採用され、現に中に入ってみても、若い頃は毎夕の洗車、土日の車磨き、庁舎内外の清掃、その他雑用であった。机に座っての仕事は皆無に等しく、中堅以上の先輩の専売的なことでもありました。
しかし、十年もたてばベテランといわれる反面、いつまでたっても先輩達からは若い者とみられ、後輩を指導しようものなら、先輩からお前、何をいう・・と認められない一面もありました。
その逆もあって何か後輩、新人に不手際があれば何を指導している、これまた矛盾でもあります。
今は現場と机上での仕事が逆転、若い年齢層においてもかなり執務が増えている。パソコン関連はどうしても若い連中が主でもあり、仕上げる速度は完璧に差がある。
本来は現場での仕事が主であり、これが本職でもある。日々の訓練、器材の取り扱い熟知、現場での判断力、どれも自らの命も含め助けを待つ住民の生命、財産の保全が目的でこれ以上の何ものもない。市の防災、多様化する事務もいいが、このままでは言い訳できない場面にいつか直面した時、厳しい批判に晒されるのは必至であろう・・。
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多忙・・

2004-10-19 22:07:25 | ファイヤー
本日は非番、家庭の用事で盛岡行き、帰りは睡魔に襲われて大変だった。

関西旅行後は、間近に迫る行事等、とにかく仕事は何故か忙しい。旅行で思いきり羽根を伸ばしてからじっくり取り組もうなんて考えていたが、それどころではない。
県に送った地域防災計画の修正案の答申が思った以上に早く届いた。前担当者に言わせれば一ヶ月はかかるとのことであったが、僅か10日である。こうなると市の防災会議も早まる公算が強く、早めに準備にかからないと大変な目にあいそうでもある。ところが担当する防火団体の事務もこの時期に集中、その上、行事も組まれていて、毎夕、休みの日でも二時間程度仕事場に行って少しずつ進めている。これをしないと間に合わないのである。無論時間外勤務手当はいただかない。

非番でも帰らず半日は仕事をしている職員がいる、間に合わなければ仕方がないが、私は家に帰らねばならない、まだまだ家庭の事情が解決したわけでもなく、諸々の諸事情もある。
とにかく参ったものだっ。
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福泉寺秋の大祭

2004-10-17 18:46:23 | 遠野
17日、我家の菩提寺である福泉寺秋の大祭が行われました。
お祭りが日曜日に重なったので例年より人出が多く、しかも秋晴れの晴天で最高のお祭り日和でもありました。
私は前日に飲みすぎた為、若干調子は悪かったものの、一応担当の役目も滞りなくこなし、午後は暇といっては変な話ですが、役目がなかったので家に戻ってくつろいでおりました。
遠野郷早池峰しし踊りも参加し、お祭りに花を添え、たまたま訪ねられた観光客も少し得をしたものと思います。
大観音のある山頂付近は紅葉も進み、秋本番という感じでもございますが、これから紅葉も下へ降りて今月末は全山、赤黄と染まるものと思います。
是非、遠野へお越しの際は福泉寺にもお越しください。
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オフ会

2004-10-17 00:38:07 | 遠野
今日はどのオフ会よりも飲み過ぎである。
何度も遠野での迎撃オフを催しているが効きました。でも本質に迫る内容もあり来られた方はそれなりに満足されたのではないでしょうか。
これ以上のオフ会は考えられません。
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飼猫

2004-10-14 19:32:06 | 
虎猫のゾロが行方不明となって早一ヶ月以上。また家に住み着いていた野良猫親子も居なくなったりもしたが、最近親猫が帰ってきた。子猫たちはわからない。
家で飼っていた歴代の猫達は、1~2年で交通事故死か行方不明という悲しい結末がつづき、もう猫を飼うのは止めようと考えてもいたが、妻の知人宅に虎猫系の子猫が居るという情報があって、猫好きの末娘の懇願もあり、貰い受けることにし、昨日、いただいてきました。
今度は雌の虎猫系・・けっこう可愛い・・。やはり家に動物がいると賑やかになるし和みともなります。
最近は荒み気味の家庭内でもあったので、これで少しは和やかな毎日になりそうでもある。まさに猫様々である。

名前は「寧々・ねね」遠野南部家女殿様からいただくといったなんとも恐れ多いことでもございますが、なんとなく ねね という響きがいいと感じております。

それではよろしくお願いします。
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大人のマナー

2004-10-12 21:01:16 | その他
本日は休みでありましたが、朝から課の会議、午後は散髪に行ってスカパーで懐かしの大河「炎立つ」第六話を観る・・・すばらしい内容ですね。

ところで、東京に時折出かける際に利用する新幹線、ビジネスマンといいますか、それもオヤジビジネスマン・・いつも腹が立つ。
今の若者のマナーや態度も多く語られますが、その手本たるオヤジ達も負けてはいない。携帯電話である。
着信音くらいマナーモードにしとけよ、座席で大声で話すなよ、いかに大切な仕事をしているかは知らないが、デッキにでも行って話せということ。決まり事は破るものではなく、守るもの、若い奴らより手に負えないオヤジがけっこういる。何年か前の携帯電話がない時代はどんな仕事していたんだか、無くてもなんとかやっていけたはずだっ、・・と私は思います。
立派なスーツにピカピカの靴、いい仕事もしているのだろう、いい時代になりましたな。
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かの地の史跡

2004-10-11 20:09:48 | 歴史・民俗
この度の関西においての研修視察で東北関連の歴史探訪を行いました。
私の住む遠野に深き関りのある遠野南部氏縁の史跡が大阪にある。阿倍野神社と堺の石津である。
阿倍野神社勲之宮には南朝の忠臣、南部師行公を祀ってあるのですが、奥州から北畠顕家卿と共に足利軍を京都から駆逐するため遥々東北から攻めあがった歴史がございます。師行公は当時は糠部郡(青森県三戸地方)、或いは津軽に居たとされています。(現青森県)武運つたなく討死という史実が伝えられていますが、勲之宮では青森県八戸市との関りを伝える案内板があり、何処にも遠野の文字は見当たらない・・。
また堺市石津、こちらは師行公が戦死された地とされています。こちらは綺麗に整備され、清掃も行き届いておりました。唯一、遠野南部家の当主が顕彰碑を建立されておりました。しかし、遠野の文字はこちらにもございません。
実際に訪ねられた遠野の方も居ると思いますが、何かしら維持管理等に関るべきではないのか、出すぎた考えではございますが、こうした縁、大切にする心、必要ではないでしょうか。
それにしても地元ではゴミひとつ無きまでに綺麗に維持されておりました。
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