遠野の農村地帯でも農業主体の生活からサラリーをいただく職業に就く農家が大多数、いわゆる兼業農家というところですが、農業主体での在郷地域に伝承される民俗的な行事も様変わりしたり、或は廃れたりというそんな昨今でもあります。
そんな中、土淵町飯豊では小正月行事のひとつ「畑蒔き」を1月15日に行っているということで、仕事帰りに道草をして様子を観て参りました。
「やらさのえ~やらさのえ~、恵方(あき)の方から畑蒔き(はたけまき)に来ました。蒔かせますか、蒔かせませんか?」
と、子供達が訪問したお宅の玄関で問いただすと・・・
家人は
「蒔かせます」と返事をして、子供たちに菓子袋等をあげるという日本版ハロウィンのような内容の伝承行事である。
お菓子を受け取ると子供たちは次のお宅へと移動し集落内のお宅のほとんどを回る。
地域内全てを回るのは大変なので何班かに分かれて回っているようです。
この日は、おっ家内さまが同地域の出身なので、実家及びその近所で待ち伏せして取材いたしました。
小正月行事としては・・・
〇お作立て
米の団子を繭の形にしてミズキに刺して飾る(豊作祈願)
〇カラスよばり
小正月の午後、小豆餅や団子をカラスにやる。
「カラス、カラス餅やっからこぉ~団子やっからこぉ~」と叫んでカラスを呼び集める。
カラスによる食害悪戯防止祈願
〇お田植え
雪の庭を田んぼに見立てて松葉で模擬田植えを行う
豊作祈願
〇やろくろ
内容は不明ながら江戸期の遠野の殿様、弥六郎にちなむことであるのは間違いないが、子供達の行う畑蒔きに近いセリフも盛り込まれている。
他にもあると思いますが・・・
最近は地区センターや観光施設で小正月前後の土日にまとめて行うことが多いようですが、簡略されても廃れないで継続させることが肝心なのかもしれません。
ところで吾輩の暮らす地域、松崎町駒木ですが・・・
吾輩が小学生の頃は、このような行事は皆無で記憶もないし触れたこともなし・・・
社会人となってから何年経った頃だろう・・・?
集落の子供たちが畑蒔きに来たということで初めてこのような小正月行事を知りました。
そして自分も長女が小学1年となった時に父兄として子供達に引率して畑蒔きに関わりました。
以前から土淵町飯豊地区は畑蒔きを絶やさず継続していたことは知ってましたが、我地域と若干内容が違います。
家人に・・・
「畑蒔きに来ました。当年も毎年も相も変わらず恵方(あき)の方からお田植えが参った」
とセリフを言うと・・・
「畑蒔くぞ、畝を踏むぞ、畑蒔くぞ、畝を踏むぞ・・・」と繰り返し歌いながら簡略な踊りを皆で踊る。
その後、家人から菓子袋や現金が入った封筒をいただいて次のお宅へ向かう・・・。
昔はみかんやお餅が多かったそうです。
処違えばなんとやら・・・ですね。
ところで・・・
大きな声では言えないのですが、私は地域での伝承で大罪をふたつ犯してしまって、少しばかり心苦しいのが本音です・・・(-_-;)
ひとつは、駒木神楽(神人系大出早池峰神楽系)が廃れるのを見過ごしてしまったこと。
亡父は駒木神楽の大夫で保存会長でもありましたが、平成元年に神楽復活も13年後に父親が他界、大夫の後継者を育てないままだったので、後継者が無く他のメンバーも高齢でそのまま休止状態、さらに13年経過で廃れたも同然状態。
息子である吾輩は神楽に関わったことはなく芸音痴で心苦しいも何ともならず・・・
それともうひとつ・・・
小正月行事での畑蒔き
当時吾輩は小学校での集落の班長でしたが、長女が小学1年になると集落には上級生が何人かいて、この子供達と畑蒔きを毎年しておりましたが、娘が3年の時に上級生が中学生となって小学生が娘一人という状態に・・・
この時に隣の集落と合同とか中学生に再出馬を願って継続を図ればよかったものの、この年は休止としてしまい、翌年は1年生ひとりに長男が保育園年長組となったので3名でやるはずが1年生が風でダウン、家の子二人では心許ないのでその年も休止・・・(-_-;)
その後も4~5人に子供たちが増えるも班長も変わり新班長含み親達もやる気をみせなくなったので、そのまま休止状態となっていつしか廃れてしまいました・・・。
今はブログなんかでこうして紹介して良い事、記してますがホントは中身が伴っていないことも多々あって心苦しいです。
だったら復活の方向に行動開始したら・・・と、思われるかもしれませんが、行動力が無く勇気もなし・・・
情けないですがこれが現状です・・・(-_-;)
ということで、遠野の小正月行事取材に訪れたフリーライター女史の迎撃の宴
なかなか手に入らないという芋焼酎のお土産をいただく・・・
御馳走様でした。