旅するガーデナー

いつも五感を刺激し、喜怒哀楽、幸も不幸も、哲学も瞑想も、言葉にできない多くが存在する庭は私のパワー・スポット!

東北家族旅行一日目~世界遺産の寺へ

2019年09月24日 16時02分07秒 | 旅の記憶

 お彼岸の3連休を使って、夫が単身赴任している東北へ、娘たちと一緒に旅行してきました。

東北へは2015年1月、夫と松島&仙台を訪れて以来。
夫が東北に住むことになったのは、私の旅が広がる好機
逃してはなりません。

仙台駅で昼に待ち合わせてレンタカーを借り、一路、岩手県の平泉へGO
以前から一度訪れたいと思っていた世界遺産の地。
平泉中尊寺の駐車場に車を停め、樹齢300年ともいわれる杉の木が立ち並ぶ月見坂を登ります。
どこまで登るのだろう・・・案外勾配のある坂道です

中尊寺は850年に開山された天台宗の東北大本山で、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。
中尊寺 本坊表門

門をくぐると赤い木肌の見事な枝ぶりの松が
樹齢何年でしょうか

 本堂は明治42年再建

ご本尊は丈六の釈迦如来で、このお釈迦様は初代藤原秀衡公に倣い、平成25年に建立、安置されたそうです。

 

国宝の金色堂(1124年建立)
撮影禁止なので写真は中尊寺HPより拝借

見事な黄金の阿弥陀堂で仏像も黄金色に輝いておりました。
奥州藤原氏がいかに栄えたかを感じさせてくれる中尊寺創建当初を今に伝える建物です。
金色堂は現在は立派な建物で覆われており、そこでだけ解説のナレーションを聴くことができます。

この木造の建物は、その金色堂を守るべく鎌倉時代に建てられた旧覆堂。
かろうじて金色堂を守っていたのでしょうか。
「五月雨の 降り残してや 光堂」とは、松尾芭蕉が旧覆堂の中の金色堂を詠んだ句だそうです。の

 境内奥の能楽堂は伊達藩によって再建された茅葺屋根の立派な建物でした。


沢山あったお堂の中で、金色堂に次いで印象的だったのは弁慶堂
明治以降にこう呼ばれるようになったそうです。
建物の複雑な装飾的設えが面白かった

義経と弁慶の木造が安置されており、草花の絵が描かれた格天井が美しかったです。


お堂は再建されたものがほとんどでした。
奥州藤原氏が滅んでから随分と荒れ果てたのでしょう。


車を移動させ毛越寺へ
奥州藤原氏二代基衡と三代秀衡の時代に栄えたお寺ですが、奥州藤原氏滅亡後は荒れ果てていったそうです。

本堂は平成元年新建立

萩まつり開催中で、あちこちで萩が咲いていました。


毛越寺の浄土庭園が見たかったの。
平安時代を思わせる庭園とは如何なものか

「浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園」だそうですが、煌びやかだったであろう仏堂はほとんどなく、大泉が池だけが広がっていました。
平坦な鏡のような池で、人によっては海のようにも川のにも見えるのだとか。
当時の貴族はこの池に船を浮かべて楽しんでいたのでしょうか

出島石組と池中立石

大泉が池をぐるりと回りました

開山堂

遣水
山水を池にい入れる水路で、発掘調査で見つかったようです。

青紅葉越しに眺める立石

震災で傾いた立石を、元の角度に戻したそうです。

起伏が少ない庭園は雅な感じがします。
池が鏡のように、周りの風景を映し出す様子がとても美しかったです。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」とは平泉で松尾芭蕉が詠んだ句。
平泉は藤原氏の栄華の儚さを歴史に刻んでいる土地でした。


この日は盛岡市内に泊まりました。
家族でどうしても食べたかった物があるの。
一つはじゃじゃ麺
彼是20年余り前から、当時盛岡在住だった親戚から「本場は違う」と何度話を聞いたことか。
以来我が家では幻の麺に
夫が調べてくれた店へGO

これが本場もののじゃじゃ麺と、噂のちいたんたん、か
不思議な味だけど美味しい
家族、満足


もう一つは盛岡冷麺。
親戚曰く「ぴょんぴょん舎」が一番なのだそう。
なので、盛岡の麺をはしご


冷麺だけのお店だと思っていたら焼肉屋さんだったことに、家族全員驚き~
せっかくなので、焼肉も頼んでみました。
本場のぴょんぴょん舎の冷麺、美味しい
長年の家族の夢がかないました

盛岡の夜はお腹一杯
親戚にも報告しました。
レトルトパックでも十分美味しいと思うけどね)

ホテルは「盛岡グランドホテル アネックス」
ツインルームは案外広くて快適でした

翌日へ続く

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