太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
第二回は金木の「芦野公園」です。
「斜陽館」を後にし、それから近くの「雲祥寺」にも訪れ(ここでの詳細は後述します)、それから「芦野公園」を訪れた。
斜陽館からは車で5分足らずであろうか。
場所は国道339号線沿いにあるので迷う事はない。
芦野公園は県立の公園で、100haの広大な面積を誇り、桜の名所100選にも認定されており、人工湖の「芦野湖」も見渡せ、キャンプ場や小さい動物園もある観光名所である。
太宰は幼少期の頃によくここで遊んでいたと書いているが、とはいえ、「津軽」本編では「芦野公園」には訪れていない。
しかし、五所川原に立ち寄った後に小泊へ向かう途中、電車が芦野公園駅に停車しており、そこでのエピソードが少しばかり記述されている。
今年の生誕百周年を記念して、新たに太宰治の銅像が園内に構えたとの事で、それも観たいと思ったので、「津軽」本編では全く重要でないけれども訪れるにした。
駐車場の前には食事所が3軒ほど連なっており、今年は繁盛しただろうと予想される。
無人の駅舎の隣には「駅舎」という名前の喫茶店もある。
ここも今年は繁盛・・・。ま、あとは言うまい。
だが、本当はゆっくりとカフェラテでも飲みたかったところだが、先を急いでいたもので、今回はパスした。
芦野公園は桜の木が2200本もあり、本数では弘前公園に並ぶ勢いであるが、素人ながらソメイヨシノらしき木を観察したが、剪定が下手だなぁと感じた。バッサリ切り過ぎだ。
花見といえば弘前公園以外に考えられないのが地元民としては当然であり、ソメイヨシノが満開の時にわざわざ弘前以外に花見に行く事は一生涯あり得ない事だろうかと断言出来るので、桜の良し悪しが弘前公園と比べた事がないので、他の桜の名所の事を観もしないで文句を言うのもいささか抵抗があるが、世間一般的に弘前公園が日本一の桜の名所とされているので、その桜を生まれてから毎年観続けてきた自分のこの観察眼もあながち節穴でないように思われる。
弘前公園の桜の剪定技術を学びに日本全国から桜の管理者が訪れるほどであるが、弘前から程遠くないこの地に弘前の剪定技術が伝わってない筈もなかろうが、それでもこの公園内の桜は枝があまりに少ないと感じた。ま、あくまで素人意見である。
フォローするわけではないが、松の並木は良かった。
動物園というにはあまりに小さ過ぎる、動物がいる檻の固まりである。
鹿やヒグマなど数えるほど。冬はどうするんだろうか。豪雪地域とまではいえないが、ここらあたりでも随分降雪はある。
覗いたらヒグマ2頭はこちらをぼんやりと眺めていた。ところで動物園でもヒグマは冬眠するのかしら?
そんな動物達に別れを告げ、銅像がある方へ。
一度訪れた時は真冬だったので、雪藪を漕いで歩いたっけ。
芦野湖に架かる橋がある手前に太宰治の文学碑があり、ヴェルレーヌの詩「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」の一文が彫られている。
その隣には新設の太宰治の銅像が建てられていた。
この銅像を作るに当たってのドキュメント番組を見たが、詳しく憶えていない・・・。
二重マントに下駄の、斜に顔を向ける物憂げなお馴染みの太宰治像である。
辛酸なめ子もうっとりのスラリとしたいい男である。
この銅像を後にし、次なる目的地へ向かう事にした。
最後に本編においての芦野公園駅についての出来事を書いた一文を。
~金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。~
続く。
第二回は金木の「芦野公園」です。
「斜陽館」を後にし、それから近くの「雲祥寺」にも訪れ(ここでの詳細は後述します)、それから「芦野公園」を訪れた。
斜陽館からは車で5分足らずであろうか。
場所は国道339号線沿いにあるので迷う事はない。
芦野公園は県立の公園で、100haの広大な面積を誇り、桜の名所100選にも認定されており、人工湖の「芦野湖」も見渡せ、キャンプ場や小さい動物園もある観光名所である。
太宰は幼少期の頃によくここで遊んでいたと書いているが、とはいえ、「津軽」本編では「芦野公園」には訪れていない。
しかし、五所川原に立ち寄った後に小泊へ向かう途中、電車が芦野公園駅に停車しており、そこでのエピソードが少しばかり記述されている。
今年の生誕百周年を記念して、新たに太宰治の銅像が園内に構えたとの事で、それも観たいと思ったので、「津軽」本編では全く重要でないけれども訪れるにした。
駐車場の前には食事所が3軒ほど連なっており、今年は繁盛しただろうと予想される。
無人の駅舎の隣には「駅舎」という名前の喫茶店もある。
ここも今年は繁盛・・・。ま、あとは言うまい。
だが、本当はゆっくりとカフェラテでも飲みたかったところだが、先を急いでいたもので、今回はパスした。
芦野公園は桜の木が2200本もあり、本数では弘前公園に並ぶ勢いであるが、素人ながらソメイヨシノらしき木を観察したが、剪定が下手だなぁと感じた。バッサリ切り過ぎだ。
花見といえば弘前公園以外に考えられないのが地元民としては当然であり、ソメイヨシノが満開の時にわざわざ弘前以外に花見に行く事は一生涯あり得ない事だろうかと断言出来るので、桜の良し悪しが弘前公園と比べた事がないので、他の桜の名所の事を観もしないで文句を言うのもいささか抵抗があるが、世間一般的に弘前公園が日本一の桜の名所とされているので、その桜を生まれてから毎年観続けてきた自分のこの観察眼もあながち節穴でないように思われる。
弘前公園の桜の剪定技術を学びに日本全国から桜の管理者が訪れるほどであるが、弘前から程遠くないこの地に弘前の剪定技術が伝わってない筈もなかろうが、それでもこの公園内の桜は枝があまりに少ないと感じた。ま、あくまで素人意見である。
フォローするわけではないが、松の並木は良かった。
動物園というにはあまりに小さ過ぎる、動物がいる檻の固まりである。
鹿やヒグマなど数えるほど。冬はどうするんだろうか。豪雪地域とまではいえないが、ここらあたりでも随分降雪はある。
覗いたらヒグマ2頭はこちらをぼんやりと眺めていた。ところで動物園でもヒグマは冬眠するのかしら?
そんな動物達に別れを告げ、銅像がある方へ。
一度訪れた時は真冬だったので、雪藪を漕いで歩いたっけ。
芦野湖に架かる橋がある手前に太宰治の文学碑があり、ヴェルレーヌの詩「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」の一文が彫られている。
その隣には新設の太宰治の銅像が建てられていた。
この銅像を作るに当たってのドキュメント番組を見たが、詳しく憶えていない・・・。
二重マントに下駄の、斜に顔を向ける物憂げなお馴染みの太宰治像である。
辛酸なめ子もうっとりのスラリとしたいい男である。
この銅像を後にし、次なる目的地へ向かう事にした。
最後に本編においての芦野公園駅についての出来事を書いた一文を。
~金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。~
続く。