バスに乗り込んで、私はまだ朝の公園の余韻に浸っていました。声をかけてきた異国の男性が気になったのでしょうか、いえ、彼の発音がきちんとした日本語であったからです。抑揚のないさらりとした清音の「みつこ」だったからでした。私の発した声にはっきりと別人と確信した時の彼の落胆の様子。気落ちした中、それでも無言で会釈だけ忘れずに返していった礼儀正しい彼の様子が、私の琴線に触れたのでした。
彼にとってのみつこさんは余程思い入れのある女性なのだろうと感じ、そんな風に彼に思われている日本人女性がある事に感動していました。正直、私はそれほどイギリスに興味があった訳ではなく、唯、研修先がイギリスだからやって来ただけと言う旅行者でした。それで、この朝の一件があって、彼がイギリス人とは限らなかったのですが、何だかイギリスが好きになってしまいました。不思議ですね、人と人との繋がり、人の感情と言うのは。
さて、本題に戻ります。旅行記です。キュー王立植物園に向かう途中のバスの中で、現地ガイドさんは植物園には4つ入り口があるという話をされました。何処のゲートから入りましょうかという事で、ここはやはり女王様です、女王様にすがって、女王様の門から入りましょうという事になったようでした。バスから下りると、書いてある通りのヴィクトリア・ゲートでした (奇麗な黄色い花のポスターに元気が出ました。黄色い色は元気が出る色です。オレンジは家庭的な色、やはり女性的なイメージを感じた入り口でした。)
バスを降りて、旅行の一行が入り口に立ったからと言って、直ぐに入場できた訳ではありません。時間の都合か、許可を得てからでないと入れなかったのか、一行は暫く外で待たなければなりませんでした。
その間15分程だったかもしれません。私はテムズ川沿いのベンチ迄フラフラと歩いて行って、Eさんとそこに腰を掛けて向こう岸に不思議な物を見つけました。
それはお釈迦様の鎮座している像でした。しかもかなり大きな像です。それが目の前の向こう岸にありました。朝靄のかすかな残り香が、穏やかなお釈迦様の顔や頭の部分にまだ揺蕩っているような感じでした。何だか厳かで、慈愛に満ちた雰囲気に見えました。
ヨーロッパの、イギリスのロンドンで、お釈迦様の、しかもこんなに大きな座像に出会うなんて、誰が予想できたでしょうか。テムズ河畔に設置されている大きな仏像、キリスト教国での意外な仏教との遭遇に私達は感無量でした。只々お釈迦様を眺めていました。そこへ現地ガイドさんもやって来られ、この仏像の説明を受けました。現地ガイドさんの話では、仏像は以前もっと市の中心部にあったそうでした。今はここ迄郊外に移されたという事でした。ロンドンの街に仏像の座像、ガイドさんが行ってしまうと、何だか妙な取り合わせだと、Eさんと私は可笑しいねという感じで声高に談笑していました。変ですよね、変よね、2人でそんなことを言い合いましたが、結局、Eさんの結論としては変じゃないという事でした。イギリスも宗教の自由が法律で認められている国なのかなと、当時私は思いました。
現在調べてみると、イギリスは宗教について寛容な国ということでした。仏教についても寛容であったのでしょう。また、当時は世界に伸びる仏教の時代であったのかもしれません。手元のフィルムに余裕があれば撮影したのですが、私は植物園の為にフィルムを取っておきたかったのです。テムズ河畔の仏像の座像写真はありません。今から思うと残念です。
(キュー王立植物園の日本語版パンフレット。とても広いので、一部分しか見学してこれませんでした。入場できてよかったです。)