今回の紀行文は写真があまりありません。ほとんどないと言ってよいくらいです。本当にプライベートな旅行でした。
この旅に出た動機は、旅行から1年程前に遡ります。私は2年間住んでいた東京から可なり傷心の体で帰京してきました。その後は何する気なく実家で静養していたような訳でしたが、3、4か月ほど過ぎると、母が私の休んでいる自室に来ては
「この先どうするのかと思うと、お前の事が心配で心配で…。」
「勤め先を探してこないの?」
と言っては泣き出します。当時の私にすると鬱陶しくて苦しい限りでした。相当に迷惑な行為でした。実家に帰って来るのではなかったと、私の傷心状態は一層酷くなりそうな気分になりました。2、3回こういった母の迷惑行為(私にするとです)があり、到頭私は福祉課の相談員の方に相談に行ったくらいです。
「とても気分的に滅入ってしまい、酷く精神的に苦しくなってしまうんです。」
そう言って相談してきました。私が社会復帰するにはまだまだ無理があった時期でした。仕舞には、母の話す言葉を聞くと頭にきつきつと物が刺さってくるような気がしたものです。『日本語が聞きたくない。』とさえ思うと、家から長期に離れて旅に行きたいとさえ思うのでした。
長期の旅、時間を潰すには船旅が良いかなと思いつくと、世界1周船の旅、クルージングはとても良いアイデアに思えました。…先立つものがあればの事です。