Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

はじめのマシュマロ(3)

2018-11-16 13:45:31 | 日記

 型にマシュマロを注ぐ時にも、手が震える様な緊張感を感じていました。これはお菓子を上手に作りたかったからですが、カタクリの白い粉の中でコロッとフルっと揺れるマシュマロエキスに、半透明になった液が揺れる度に、失敗するのではないか、これは失敗なのではないかと私の額には皺が寄りました。側では祖母が面白そうに私と私が作るマシュマロを観察していました。

 私が、白い粉の中で揺れるカタクリ団子に思わず「失敗した」と言うと、空かさず「大丈夫、成功してるから。」と祖母は私を安心させるように言ってくれました。しかし、このお菓子を全く初めて作る私には、どこまでが成功で、どこまでが失敗なのか等、全然見当が付かず、五里霧中という状態でした。祖母のこの励ましの声掛けにも、緊張から返って苛々とすると、「お祖母ちゃんは作った事が無いのに、何故成功していると分かるの。」ときつい言葉を祖母に浴びせてしまったものでした。その後祖母はしおしおと台所の母の方へと去ってしまい、後任には母ではなく父がやって来ました。

 予想に反してやって来た父に、相変わらず私の方は不機嫌な顔をしていました。マシュマロの方はもう出来たも何じ、固まるのを待つだけでしたが、片栗粉の事です。出来上がりはゆるいわらび餅の様な物でした。わらび餅も食べた事のなかった私は、この不思議なお菓子の出来上がりにマシュマロと言うのは不味い菓子だと評価しました。それ以前に、そのぶんよりとした食感と、不思議な臭いの付いた味の不満足さから、これは失敗作なのではないかと判断しました。

 しかし、如何いう訳かこのお菓子は「美味しいじゃないか」と、家の大人に大層受けが良く、後日、もう1度作って欲しいと迄言われました。何度か促されて、私自身は渋々手掛けてみたものの、やはり気乗りがせず母が興味を持って私に習いたがるので、途中から母に全てを任せ私自身はさっぱりとこのお菓子作りからは手を引いて仕舞いました。そして、現在まで、マシュマロを作ったことがありません。

 今回ここに書き込んだので、マシュマロの作り方を検索したところ、でんぷんというよりゼラチンを使うお菓子の様なので、根本的に何か作り方にミスが有ったとしか思えないですね。確かにあれは、卵白入りわらび餅としか言いようの無い代物でした。後年、両親共にわらび餅が好物でした。私も今では好物です。 


はじめのマシュマロ(2)

2018-11-16 11:22:46 | 日記

 (さて、ここまで読んでいただき、これが相当に面白くない料理のエッセイだという事に驚かれた事でしょう。多分今後の話はやはりそうかなと思います。)

 私に取って卵白の泡立てなども全く生まれて初めての取り組みでした。角が立つくらいという表現がこの頃は無かったように思います。多分卵白を固く泡立てるという表現だったように思います。これが当時の私にはさっぱり分かりません。多分祖母だったと思いますが、卵白の泡立ては大変だから子供には無理だというような事を言っていました。祖母から母伝に言われ、私は子供の本に書いてあったんだから、出来るんじゃないかなと自分の意見を母に言うと、2人はさせてみたらという事になったようです。

 母に材料を揃えてもらった私は、本に首っ引きで作り始めました。家の子供が洋物のお菓子を作るというので、へーっという感じが家庭内に湧き上がったようです。家の中が少々どたばたとバタついていたので、私自身は何だろうと怪訝に思いました。この事が家族の大事件だとは予想もしなかったのです。

 お父さんお父さん、とか、子供が洋菓子を作るとか、そんな物を、まさか、できないよなどなど、へーっとかホーとか、それは見ものだ、何だかね、というような言葉や様々な雰囲気が伝わって来て、私を苛立たせたり、不安にさせたり、鼓舞させたり、得意にさせたり、高慢にさせたりしました。が、兎に角、私の方は作ると決断したからには作る事に決めていました。

 作り始めて、一番の難所はやはり卵白の泡立てでした。私にも徐々に大変さが分かって来ました。泡立て器などというものが家にあったのかどうか?その点は覚えがなく、菜箸など何本かでガシャガシャかき混ぜていた様にも思います。後に泡立て器に変わった気がしますから、家には泡立て器が有ったのですね。それ迄、祖母も母も使うのを見た事がありませんでしたが、有ったようです。奇麗な物だったんじゃないでしょうか。

 まぁ、私が覚えているのは、卵白は殆ど半透明な状態の儘であり、どこまでやれば固く泡立てるという状態になったのかが私には全く分からず、これで如何かと何回か母や祖母に尋ねながら、時には母や祖母にかき混ぜるのを代わってもらった事や、皆でガシャがシャと…気の長いお菓子作りに勤しんでいた事等です。


はじめのマシュマロ(1)

2018-11-16 10:46:30 | 日記

 私のお菓子作りはマシュマロから始まった様に思います。それは小学2年生の頃か、3年生の頃だったと思います。子供向けの教育月刊誌に載っていた作り方で作りました。もちろん昭和当時の日本、私が住んでいた地方に植物のマーシュマロウなど自然に生えているはずが無く、マロウの根のでんぷんの変わりはコーンスターチか片栗粉でした。何かしらのでんぷんで作ろうという作り方だった様です。

 さて、この頃近くの商店にコーンスターチという物が有ったでしょうか?、当時は未だ無かったんじゃないかと思います。とろみも片栗粉なら、それを固める回りの粉も片栗粉という有様だったと思います。でも、家の近くには百貨店が有りましたから、その辺りでコーンスターチは調達できたかもしれません。

 さて、本を片手にお料理、特にお菓子を自分で作るという事に興味を持った私は、期待と不安で一杯でした。それは本を見てすぐの月ではなく、記事を読んでから何か月か過ぎた頃に作ったからでした。その間あれこれと思いあぐねて、漸く決心して取り組んだだけに、相当緊張していたと思います。季節的にもひんやりとした気候でした。雪は有りませんでしたね。

 料理を始めた私は、砂糖と片栗粉を鍋で煮溶かして(多分これは母か祖母の作業)、片栗粉を箱に敷き詰め、卵パック(パックが有ったかしら?卵その物で型取りしたかもしれません)で片栗粉に窪みを付けただけの型に、そのとろとろと甘い片栗粉を注ぎました。

 ここで、現在、待てよと思います。マシュマロの白い色と弾力が私の頭に浮かんだからです。あの白い色は、と考えると、卵白を忘れていた事を愕然と思い出しました。型に注ぐ前に卵白を泡立てて、煮溶かしたカタクリ液と混ぜたなと思い出したのです。そして、卵白を泡立てた時の光景を思い出しました。

 その前に、ここでまた、当時の家の大人は皆マシュマロという物を知らないと言っていた事を思い出しました。私自身が食べた事が無いお菓子、見た事も無いお菓子について、家族の皆に、知っているかと作る前にリサーチしておいたのです。当時の私は家の誰かがマシュマロについてどんなものか知っていたなら、作る時にこれでよいか等聞く事が出来る、作る要領が分かるのではないかと考えていたようです。残念ながら頼みの綱の母も祖母も知らないという事で、私は見た事も無い食べた事も無い未知のお菓子作りに、本だけを頼りに挑戦する事になったのでした。緊張したのも当然の事でした。


今日の思い出を振り返ってみる

2018-11-16 08:26:26 | 日記
 
美湾
 ケアンズに着いて2日目、旅に出てから3日目です。3月7日(日)の日程は、「終日グリーン島1日クルーズにご案内します。グラスボトムボートなどで珊瑚の海を観察したり、シュノーケリ......
 

 日本が冬のこの時期、そう思うと私には嬉しくて楽しい、期待した海水浴でした。時間的に島に到着したのはまだ9時台、砂浜は時折時雨て、案外寒かった覚えがあります。3月に入ると日本では9月頃の気候、そう思うと初秋ですね。やはり浜風も涼しくなる海岸です。昼に近付くと水着でも過ごしやすい、暑い気温になりました。

 島ではワニのショーが人気だったようです。私は殆ど海岸にいたので、ワニのショーについては書けません。