また翌年の早春の時期になりました。その年も何時もの場所で土筆を確認した蛍さんは、八百屋のおばさんにもう雪は降らないからと教えるのでした。これは前年の大当たりに、彼女の言葉に感心したおばさんから、また雪の降らなくなるという日を教えて欲しいと頼まれていからでした。「そうかい、それは良かった。」とおばさんも嬉しそうに瞳を輝かせて答えていました。が、これが良くありませんでした。その年はこの日の後からも雪が舞い、蛍さんの予言は大外れとなって仕舞ったのでした。
「どうなっているんだい、大外れじゃないか。」
こう八百屋のおばさんに責められたので、蛍さんもしょんぼりしてしまい、酷く責任を感じるのでした。『あの土筆は当てにならないんだ。』そう思うと、蛍さんはもうあんな場所の土筆はもう見に行かないでおこうと決心しました。雪が降らなくなる目安と思えばこそ、彼女は毎年あんな寂しい場所へ、ほのぼのとした期待を胸にして1人でせっせと土筆の確認に行っていたのですから。
2日程、八百屋のおばさんは彼女の顔を見る度に酷く苦情を言ったものです。おばさんも誰かに苦情を言われていたのでしょう。蛍さんもこれにはほとほと参ってしまいました。蛍さんにしても、何時も当てにしていた土筆に裏切られた様な気分でいた上に、おばさんにも責められるのですから。身の置き所が無いと言った感じでいました。彼女は人に良かれと思っても、何でも他人に言う物では無いなと悟るのでした。
この次の年から、一向に早春の寺に土筆の確認に行かない蛍さんに、娘から事情を聞いて知っていた父は、何故土筆を見に行かないのかと尋ねました。
「誰かにも報告しないといけないんじゃないのか。」
と言うのです。「誰に?」蛍さんは父の物言いを不思議に思いました。彼女はあの場所の土筆の観察など、誰にも頼まれた覚えなどなかったのです。彼女にすると、単に、
あの場所で土筆を見た→雪が降らなかった→土筆が生えると雪はもう降らない→早く土筆が生えないかな→そうするともう春だ。
そう言った考えと、希望に満ちた気持ちで心待ちにしていた花見ならぬ土筆見だった訳でした。誰の為でもなく、それは自分の為だったのです。
「あそこの場所の土筆は当てにならないのよ。」彼女は父に言いました。そんな1回ぐらいで、と父は言うのですが、そんな父に答えて彼女は言いました。
「土筆は自然の物でしょう、お天気も自然の物だもの、自然の物は捉えどころが無くて当てにならないのよ。人も自然の一部でしょう。自然の事は自然の一部である人には分からないのよ。」
「人は自然の物でしょう、人が当てにならない様に、自然の土筆や自然の天気も当てにはならないのよ。」
それがよく分かったのだと彼女は父に答えました。「そんな1回ぐらいの事で、」と父は繰り返すのですが、彼女は頑として父には応じずに答えるのでした。
「1回で十分よ。1回当てにならなかったんだから、又当てにならない事が必ずやって来るのよ。季節は自然の事なんだもの、人に自然は把握できないのよ。」
人も当てにならないでしょう、それと同じ事よと父に土筆の駄目出しをしたのでした。
「土筆」終り