Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

さんばん、さっぱりですケーキ(3)

2018-11-19 11:08:51 | 日記

 さて、私が最初に焼いたケーキはレンジのレシピ本通りに作りました。スポンジケーキの土台ですが、多分ご想像通りの表面がごつごつと硬いむっちりとした小麦粉の塊のようなスポンジに焼き上がりました。その頃のお店で売られているケーキしか知らなかった私の目には、ふわふわのスポンジと言うのが当たり前でしたから、これは全くの不出来な失敗作に映りました。私はがっくりと来てしまい創作意欲が無くなりました。

   「味は美味しいじゃないか。」等々、父等は言ってくれましたが、母も私同様不満気でした。母の顔色からは、材料費の割に不味かったという、材料費を無駄にしてしまったという後悔の念が感じられました。以降しばらく私はレンジを使ったお菓子作りから離れました。

 その後、本格的に何度か試行錯誤を重ねて迄、ケーキを焼こうと頑張る時期が来るのは、私が二十歳を超えた頃でした。社会人になって未だ独身時代の頃、何度目かに思うような味と柔らかさのケーキが出来、私は漸く一つのケーキ作りの目途を立てる事が出来るようになりました。それまでの私の作るお菓子の味は、どちらかと言うと父好みのチョコレート味に片寄っていました。あっさりとしたバニラ味は我が家の味ではなく、母や妹もチョコレートケーキが好みであったようです。それで、レンジのレシピ本から離れて、ある日別のレシピでチョコレート味のケーキを焼いてみることにしました。結果はこれがとても良い出来になったのです。味もスポンジの具合も満足のいくものに焼き上がりました。

 このケーキには名前が付いていました。「シバの女王」です。チョコスポンジにゆるく泡立てた生クリームを掛けただけのシンプルなケーキです。ケーキには由来があり、国を訪れたローマ兵に、シバの女王が持て成す為に出したケーキ、それがこれだという事でした。(ローマ兵ではなくソロモン王だったようですね。シバの女王のように、褐色の肌色のチョコレートケーキという意味もあるようです。)

   以降は焼き上げたスポンジの間にクリームや果物やジャムを挟んで、表面もクリームやチョコレートでコーティングするなど、本格的にデコレーションしたりして、チョコスポンジにチョコ掛けする、有名なザッハトルテもそれなりに作ったりしました。これ以上進めば、飾りつけの飴細工やチョコレート細工などもするのでしょうが、私はそこ迄行かず、市販の可愛いチョコ菓子やグミ菓子で飾り立てて、コミカルな、如何にもお子様仕立てなケーキのデコレーションケーキ止まりにしています。

 私に取ってケーキ作りは、結構根気と労力のいる作業です。作る元気と、食べる食慾がマッチして、暇もある時でないと作成しないお菓子です。食慾が有っても、自分で作るのが面倒になる時は、地域にハンドメイド風なお菓子屋さんがあり、そちらで購入してくるという気力の無さでした。これはビスキュイにするとふわふわの腰砕け状態というものですね。


さんばん、さっぱりですケーキ(2)

2018-11-19 10:39:56 | 日記

 ここで私の記憶が最も曖昧なのがこのレンジの設置時期です。我が家の最初のレンジはガスレンジでした。家の親戚にプロパンガスを扱うお店が有りました、それで電子レンジ以前に我が家にはガスレンジが設置されたのです。このガスレンジが置かれていた場所や台所の光景を今から思い浮かべてみると、それは祖母の没後になるのです。台所は祖母の没後に改修されたからでした。

 新しい台所の流し台の横に、ガスレンジは置かれていました。改修前と改修後で流し台の位置は廊下の正反対の位置に移動しました。旧は家の壁側、改修後は明るい庭に面した窓側に位置が変更されました。ガスレンジは新建材で明るくなった台所の、明るい窓側に場所を占めて、近代的で機械的な彩りを我が家にもたらしてくれていました。

 ガスレンジにはレシピ本が付いており、本の中にはクッキーやケーキやシュークリーム、それこそカスタードプリンも出来上がりの写真入りで載っているという、甘党には相当な創作意欲を掻き立てる魅力的な本でした。

   このレンジが家に来た時期がはっきりしないのですが、私の高校時代にはもうその場所に鎮座していたと思われます。多分、中学時代、1、2年生の時に来たのかもしれません。中学1年時代の友人に、レンジが来た話を嬉しそうに話したり、友人に乞われて学校にレシピ本を持って行き、廊下で2人で写真を見ながらレシピ本に載っているお菓子の話をした記憶があります。友人にお菓子が作れるようになったんだねと言われ、私の方は胸に不安を覚えながら、材料や作り方は本に書いてあるからねぇ…と、そんな事を話した覚えがあります。読むと作るのは大違いという事を、当時の私もうすうす知っていた様ですね。

 レンジが来た早い時期に、私は作り易そうなクッキーを作ったような気がしますが、多分出来栄えが気に入らなかったのでしょう、そう数を作った記憶がありません。私の記憶にはそれ以上に手間の掛かるケーキを焼いた覚えばかりがあるのです。

   このレンジでシュークリームも確かに作った覚えがあります。でも、そう記憶に残っていないのは、クッキー同様やはり大した出来栄えにはならなかったからのようです。この辺りは、私にとって魅力ある物や、出来の良い物でないと再度作製しないという、私の性格が大きく物を言っているようです。気に入らな物は記憶から削除、という具合です。

 それでケーキです。最初に焼いたスポンジケーキは、ガスレンジが来てから可なり後に作ったと思われます。高校時代でしょうか。これにはこう言った洋菓子作りに欠かせない粉振るい、泡立て器、ケーキ型、ヘラ等、先ず調理器具を揃えないとお菓子作りが出来なかったという環境要因が有ります。これらの器具は殆どが私の自前であったと思うと、安易に購入出来、私の調達資金もそれなりに無理が無くなる時期、高校時代ぐらいまでは周囲の環境が整わなかったとみるべきかもしれません。私の高校時代には、ハンドメイドのお菓子を作る子もそう稀では無くなりつつありました。


さんばん、さっぱりですケーキ(1)

2018-11-19 08:51:55 | 日記

 如何ですか、私のエッセイ、面白くないでしょう。お菓子のエッセイですが、サンドイッチを入れたのはちょっと風変わりでしたね。次は定番のお菓子、ケーキになります。ところが、いざ書き始めてみて気付きました。ケーキになると思い出してみる度に記憶は曖昧になるのです。それできちんとかける所だけを抜き出す事にしました。それでも可なり曖昧な気がします。

 ケーキは、もしかすると、作り方自体を知ったのは小学4年生か5年生の頃だったかもしれません。その当時の友人が私にケーキを作る所を実演してみせてくれたのです。唯、この友人に実際に最初のケーキを習ったのは確かな事です。

 ある日、友人が、多分学校で、「私はケーキが作れるのだ。」と私に言ったのです。ケーキが?私はびっくりしました。バースデーケーキやクリスマスケーキ、小さなカットケーキなど、私がそれ迄お店で売っている物を買って来る物だとばかり思っていたケーキです。確かに、それ以前にも私は遊びに行ったお宅で、そのお家のお母様手作りの洋菓子をご馳走になった事はありました。が、同い年の子供が、あのとても作り方など想像も出来無い様なケーキを、自分で作れると私に言ってのけたのです。私は『本当かしら?』と、半信半疑で友人の顔を見詰めてしまいました。

 友人の話を直ぐには鵜呑みに出来なかった私は、あれこれと友人に質問して、彼女の話を熱心に聞いていました。その時の友人の方も、何かしら私へのアプローチが積極的でした。到頭作って見せるから家に遊びに来れば、という話になり、日時を決めて私は友人からケーキ作りを習う段取りになりました。習うと言っても作製手順を見るだけの事、私自身は全く手を出しませんでした。終りに材料や分量など紙に書いて貰い、友人宅で少し遊んで帰って来ました。

 このように、私が最初に知ったケーキ作りは、大まかな手順だけを見知って来た程度でした。何しろこの時期、ケーキ作りに欠かせないレンジやオーブンなど我が家にあろう筈がありません。私自身が実地に作りたくても、実際には作る事が出来ないという我が家の台所事情でした。


昔の小説ですが

2018-11-19 08:41:25 | 日記

 父が好きだったので、かなり昔の本ですが、「青い山脈」「若い人」等。石坂洋二郎原作です。もう忘れられたかもしれませんね。昔はテレビドラマにもなり、父が喜んで見ていました。可なり何十昔前の青春物語りです。

 この後検索すると、「日の当たる坂道」もありました。この作品は私も読み、好きな作品です。