ここで最初に戻り、この梅雨空を見上げながら、果たす気の無い約束の履行年(日にちが曖昧なので)を思うと、私はふと『約束なんて破る為にする物なんじゃないかな。』と考えた次第です。
約束相手にすれば、今迄の過去は良い面の皮だったかもしれません、相手がもし待ち続けていればですが。少々気の毒な話かもしれない、私はそんな事もふと感じてはいました。しかしそれについては先送りして極力考えたくないと思ったりしたのでした。
『しかしそれにしたって…、』と私は思います。向こうは相当な迷惑を私に掛けていたのだし…。と、自分では言い訳めいた事を考えたりするのでした。
確かに、私は約束は約束として、確りと覚えているのです。私の今までの人生で、約束はもう決してしないと決めた子供時代のあの日から、私の内に1つしか存在しない約束なのですから、それは確かな事になるのでした。
私にすると、感情の湧き上がるままにしただけの約束に過ぎない約束。でも、その期日は勿論現在より前の事では無く、今年や来年でもないのでした。早や約束してから半分の歳月は過ぎて、既に後半に入ってしまった期日ですが、まだもう少し猶予が有るという事を忘れてはいません。
今年初めより何だか忙しなく、暗く沈んだ感情に囚われ、やたらと気が急くのは、5月になり約束の出来事を思い出したのは、そして6月になり梅雨空の下約束についての私的な出来事を思い出したのは、私自身がその原因では無いように私には感じられて、私は約束相手のせっかちな感情が、私自身に具にぶつけられている様に感じるのでした。
当時の私は、自身が健康では無かったことから期日までには自分はいなくなっているかもしれないと考えていました、そうすれば猶の事約束は守らなくてよい事になると期限の遠さを好ましく思ったものでした、それだけあれば相手の気も変わるかもしれないと、果たす気の無い約束をして余裕の歳月だったものです。
さて、今年になってみると、実は昨年の暮れからなのですが、前述したように私は何だか重苦しい気分に囚われるのでした。こんな状態は今まで無かったので、何かしらの病かもしれないと考えたりしました。年が明けて、ふと約束相手の面影が脳裏に浮かんで来ると、私はその人の事を思い出しました。そして不思議な事に私には微笑ましい感情が湧いてくるのでした。あの約束を覚えているのかしら?その約束を果たそうとしているのかしら?私が果たすと待っているのだろうかと、そう思うと微笑ましくなって来るのでした。そうして、当時あれだけ果たす気持ちが無かった私なのに、何だか約束を守ってもよいなと考えたりするのでした。
そして、また、相手はそんな風に私が約束を守るだけの信頼できる人物だろうか、とか、やはり信じる事などしてはいけない、信頼出来ない人物なのでは無いか、等、私の思考は左右するのでした。
ま、如何でもよいでは無いか、私にとっての1つの人生は終わったような物、期日までにはまだ時間もあるし、その時になって、自分の気持ちの向くままに自分にとって相手がどのように感じられるかで判断すればよいでは無いか。私はそんな風に今年の水無月の曇天に、雨空に思ったりしたのでした。期日の中間の様に、今日は梅雨の合間、よく晴れた気持ちの良い青空となっています。